白い風景のなかに、白くて小さな物が落ちてきた。
――雪?
孝介は足を止めて頭上を仰ぎ見た。しかしいくら待っても続く物は落ちてこなかった。
「月森?」
道の少し先のところで陽介が足を止めている。孝介はあわててあとを追った。
「どしたん?」
「いや、雪が降ってきた気がしたんだけど……」
一緒に歩き出しながら陽介も空を見上げた。同じように孝介も空を見たが、やはり雪は降ってこなかった。
「見間違いだったかも」
「まぁ、この霧じゃわかりづれぇよな」
陽介は周囲を見回して苦笑する。そうだなと孝介も答え、上着のポケットに両手を突っ込んだ。
吐く息が白い。ここ何日ものあいだ、世界はうっすらと白に染まっている。
夕方だった。日は暮れかかっており、特捜隊のみんなは町を歩き回って疲れた足を、愛家目指して引きずっていた。さっきから千枝が「肉丼〜、肉丼〜」と呪文のように唸り続けていてやかましい。完二が「チャーシューメン倍盛〜、倍盛〜」と続け、それに乗ったりせが「回鍋肉〜、回鍋肉〜」と歌うように繰り返している。
「やめろお前ら、すっげぇ怪しい集団だぞ」
雪子が我慢出来ずに吹き出した。りせに腕を引っ張られる直斗はあからさまに困惑顔だ。先行きの見えない状況のなかで、いつもどおりのみんなに少しだけ安心した。
ここ数日で色々なことが変わってしまった。菜々子の容態が急変した。遼太郎はふさがりかけていた傷口が開いてしまった為に絶対安静を言い渡されている。殺人犯は生田目でないことが判明した。そしてクマが居なくなった。
変わらないのは町を覆う霧だけだ。
「あああぁぁ、つっかれたぁ」
愛家のイスに腰を下ろした途端、千枝はテーブルに突っ伏した。他の皆も似たり寄ったりだ。疲労感だけが蔓延していて、総出で行った聞き込みになんの収穫もなかったことが見て取れた。孝介はこっそりとため息をついてメニューに目を落とした。半ば予想していたことではあるが、やはり状況は厳しいようだ。
「っつうかさ、この期に及んで真犯人がまだ町に残ってると思うか?」
食事の最中、陽介が言った。
「もうどっかに逃げちゃったとか?」
「え、でも月森くんのところに脅迫状が届いたじゃない。っていうことは、少なくとも先月の頭までは居たんじゃないの?」
「僕はまだこの町に残っていると思います」
そう答えたのは直斗だった。皿に盛られた五目炒めのなかからキクラゲだけを選り分けている。
「脅迫状の内容から見て、長期的に先輩たちを観察していたことは間違いありません。これだけ長いあいだ状況を見守っていた真犯人が、特別な事情がない限り現場を離れるとは考え難い。むしろ生田目の処遇がどうなるのか気になっているんじゃないでしょうか」
そう言ってキクラゲを口に運んだ。嫌いなのかと思ったらそうではなかったらしい。
「……真犯人ってさ、私たちの知ってる人なのかな」
りせの呟きに皆が振り返った。
「もし知ってる人だったら、なんか怖いなって思って。だって二人も人を殺しておいて、それでも顔を合わせたら普通に話してたかも知れないんでしょ? ちょっとぞっとするっていうか、どういう神経してんのかな、って……」
「殺人犯というのは、案外普通の人ですよ。なにも特別な人だけがなるわけじゃありません」
直斗の言葉には妙な説得力があった。そのせいだろうか、みんな何かを考え込むような顔で静かに食事へと戻っていった。
孝介も箸を動かしながら、その通りだなと内心で同意していた。一昨日は一歩間違えれば自分もそうなるところだったのだ。多分それは些細なきっかけでも行われる。殺人を犯す者とそうでない人を分けるのは、本当に僅かな差なのだろう。
「話を整理しましょう」
食事を終えたあと、直斗が言った。
「まずマヨナカテレビという現象は稲羽市のなかだけで起こっています。真犯人がどういう形で関わっているのかはわかりませんが、それを利用しているのであれば、少なくとも山野アナと小西さんが殺された当時、真犯人が市内に居たことは間違いありません」
「で、脅迫状の件から見て、恐らくはまだこの町に居る、と……」
「そうです。そして脅迫状が直接先輩の家に届けられたという事実から、誰がさらわれた人を助けているのかはわかっている筈です。僕たちが今日こうして集まっていることも、もしかしたら知られているかも――」
「え、気が付かないとこで見られてるかも知れないってこと? うぅわ、きっしょ」
今更のように声を上げ、千枝は我が身を掻き抱いた。
「それと、生田目の行動もある程度は把握していた可能性があります。それから脅迫状なんですが」
直斗は一旦言葉を切り、水の入ったグラスを口に運んだ。
「僕は個人的に、二通目の内容がひどく気に掛かるんです」
皆は不思議そうに顔を見合わせた。
「二通目って……なんで?」
雪子の質問に答える為か、直斗は手帳を取り出している。
「『今度こそやめないと、大事な人が入れられて、殺されるよ』……生田目本人が書いたのであれば、ひどく挑発的な文章だと思います。でも真犯人が書いたと考えると、少し不思議な気がしませんか」
「なんでだよ。先輩や俺ら振り回して楽しんでるだけじゃねぇか」
「そもそも真犯人の目的はなんなんだ?」
孝介は思わず言っていた。考えがまとまらず、少しイライラし始めていた。詰問口調に驚いたのか、陽介がびっくりした顔で振り向いた。
「単にあの二人を殺したいだけなら、目的は果たした筈だろ? なんでそのあとも町に残ってたんだ? 下手したら逮捕されるかも知れないんだぞ?」
「それは――」
「……捕まらないという絶対的な自信が真犯人にはあったから、ですかね」
呟いた直斗も、そうだという確信があって口にしたわけではないようだ。恐らく状況を振り返ったらそうとしか思えないから、という程度だろう。孝介は思わず天を仰いだ。
「ちょっと考え直してきます」
手帳をポケットに戻したあと、暗い表情で直斗が立ち上がった。その後ろ姿を見送った孝介は、グラスの水を飲み干して同じように席を立った。
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