孝介は寒気を覚えて居間に振り返った。カバーを掛けただけで電気の入っていない壊れたコタツがそこにある。
――悪い想像はやめろ。
もし菜々子を取り戻せなかったらどうなるんだろうか。自分を信じて、病院で眠る叔父はなんて言うだろう。既に愛する家族を一人失い、たった一人きりの愛娘まで居なくなったら、あの人は。
――考えるなよ。
叔父さんはなんて言うだろうか。いや、きっとあの人は俺を責めるなんてことはしない筈だ。むしろ何故あの時菜々子を一人にしたんだと、そうやって延々自分を責め続けるに違いない。
何故あの時生田目を止められなかったのだと、
――やめろよ。
何故死んででも止めなかったのかと、
――やめろよ……!
なのに何故お前は生きているんだと――。
呼び鈴が鳴った。
孝介は急に我に返って玄関に振り返った。ヤカンのお湯はとっくに沸いていたらしく、注ぎ口から盛大に湯気を吐き出していた。あわてて火を止めた時、聞き間違いかと思っていた呼び鈴がもう一度鳴らされた。
「はい」
誰だろうと思いながら孝介は立ち上がった。玄関の明かりを点けると、扉の外に男性らしき姿が見えた。陽介だろうか?
「こんばんは」
声が聞こえた瞬間、鍵を開けようとした手が止まった。一度ためらったのちに孝介は鍵を外し、ゆっくりと扉を開けていった。
「ごめんね、遅くに突然」
目の前に足立が立っていた。ふと脇を見ると、空になっていた駐車場に車が止まっている。いつ来たのだろうか。全然気付かなかった。
孝介が言葉を探していると、足立は背広の内ポケットから封筒を取り出した。
「病院から頼まれたんだ。身内の緊急連絡先を教えて欲しいって。ホラ、大丈夫だとは思うけどさ、念の為に」
「……わかりました。明日持っていけばいいですか?」
「いや、急いでるみたい。今書いてもらったら、僕が明日署に行く前に受付に出せるんだけど」
「……」
ちょっと待っててくださいと言って孝介は三和土に上がった。ボールペンは確か棚の引き出しに入っていた筈だ。そうしてふと玄関に振り返ると、足立は扉の内側にも入ろうとせず、ぼんやりと隅の方を見下ろしていた。
「あの……」
「ん?」
声に足立が振り向いた。いつもの間抜けそうな顔に、孝介は少し安心を覚えた。
「よかったら上がりませんか。お茶でもどうぞ」
「え、え? あー……うん」
一ヶ月振りの会話だった。
書類は治療に関しての同意を得る為の物で、自分がこんなところに筆頭で名前を書いてしまっていいのかと最初は躊躇したが、現状を鑑みれば他に居ないのだから仕方がない。両親は仕事で海外に居るし、他に近場に居る親しい身内というのも孝介には思い付かなかった。なるほど、こういう時に親戚付き合いというものが大事になってくるのかと、妙な納得をしながら携帯番号と自宅の電話番号を書き込んでいった。
二人は台所のイスにそれぞれ腰掛け、お互い沈黙を保っている。テーブルの上には湯呑が二つ、それから足立の為に引っ張り出してきた灰皿がひとつ。奴はさっそく煙草に火を付けている。
「――学校の番号も書いておいた方がいいですか?」
「あぁ、うん。一応あった方がいいと思う」
部屋から名簿を持ってきて代表の電話番号を書き込んだ。足立はそのあいだお茶を飲み、煙草を吸い、黙ったままだった。
「これで大丈夫ですか?」
書類を足立に向けて差し出した。名前と連絡先がひと通り書き込まれている。足立は大丈夫だというように一度うなずき、
「あのさ」
「はい?」
「……僕も、ここに名前書いてもいい?」
万が一孝介に連絡が付かなければ、足立のところへ電話が行くということだ。願ってもないことだった。
「お願いします」
孝介はそう言ってボールペンを差し出した。
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