駅前でつかまえたタクシーの運転手も、さすがにその神社のことは知らないようだった。説明しますからと孝介が言うと、運転手は訝しげに首をかしげながらも車を発進させた。
トランクには陽介の愛車が積まれている。紐で閉まらないフタを押さえつけているのが、なんとなく不安でたまらない。そんなことはないとわかっていても、道路のわずかな段差などに乗り上げるたび、陽介は背後を振り返って愛車の存在を確かめずにはいられなかった。
車は一度大通りに出てバイパスを目指した。孝介が指し示した山は隣町との境になる辺りで、民家や畑が点在する以外に目立った施設はなかった筈だ。予想通りバイパスに入ったとたん、両脇を小高い丘に囲まれてしまった。孝介は前方に身を乗り出して、じっと通り過ぎる風景をみつめている。
「――あそこです」
曲がるべき道をみつけたらしい。腕を伸ばして運転手に示している。
「向こうでUターン出来る場所あります?」
「あります。大丈夫です」
運転手の不安そうな声に、孝介はしっかりとうなずき返した。
道を曲がると、急に辺りが薄暗くなった。背の高い樹木が陽射しを遮ってしまっているようだ。あとはまっすぐ行くだけですからと言って、孝介は座席にもたれかかった。そうして窓の外に視線を投げると、等身大の人形のように動かなくなった。
陽介はなんとなく声が掛けられずに居る。
車は比較的ゆっくりとしたスピードで頂上を目指していた。すれ違う車は数えるほどしかない。陽介も脇を見てみるが、これといって目を止めるものなどひとつも見当たらなかった。相棒の座る方へ目を向けた時、ふと春の陽射しが車内に満ちてあっという間に消えていった。その時だけ孝介は座席の上で座り直したが、やはり口は開かないままだった。
「あそこかなぁ?」
運転手の間の抜けた呟きが車内の沈黙を崩してくれた。見るとガードレールが途切れ、三台ほど車が止められそうな狭い広場が現れた。孝介はその広場をじっとみつめ、反対側の山肌に細く延びる石段を見たあと、ここです、と言ってうなずいた。
タクシー代は孝介が支払った。半分出すと言ったのだが、付き合わせたの俺だし、と言って受け取ろうとしなかった。陽介はトランクから下ろした自転車のハンドルを握り、広場を囲む背の低い柵に向かって歩き始めた。その最中、タクシーは無事Uターンを済ませて来た道を戻っていった。広場を入ってすぐのところに自販機が二台並んで立っている。それ以外にはベンチもなければ案内板もない、本当にただの空き地だった。
孝介はひと足早く柵へとたどり着き、腰の高さのそれに両手を付いてそっと身を乗り出している。すぐ側に自転車を止めて同じように身を乗り出してみたが、見えるのは山ばかりだった。稜線が途切れる辺りに町らしきものがわずかに見えたが、それだけだ。
こんなところが、と思わずにはいられなかった。
「神社ってどこにあるんだ?」
景色には早々興味を失っていた。多分石段登っていったところだと思う、孝介は柵にもたれ山をじっとみつめたまま答えた。
「俺、ちっと行ってくる」
「うん」
陽介が道路の向かい側にある石段目指して歩き始めた時も、孝介はずっと山をみつめていた。
――どういう人だったんかなぁ。
車の全く来ない道路を渡り、幅の狭い石段をゆっくりと登り始めた。勾配はいささか急で、手すりにしっかりと掴まっていなければ、雨でも降った日には簡単に足を滑らせそうだ。しかも右へ左へと曲がりくねっているので、途中で振り返ってみたが、既に相棒の姿は木の枝に隠されて見えなくなってしまっていた。
どういう人だったんだろう。
目的もなく石段を登りながら陽介は考えた。あの相棒が惚れ込むほどの相手だ、浮ついた女じゃないだろう。歳が離れているとも言っていた。フラれた、などと言って簡単に終わったように見せているが、本当はどうだったんだろうか。
不安が抑えきれないのは、孝介のあの表情を見たせいだ。
『一人じゃ無理そうだ』
一緒に来てくれないかと懇願された時に見せたあの顔。どこかで見た覚えがあると思ったら、あの晩だ。足立が犯人だとほぼ確実になったあの夜、小雪がちらつくなかで隠そうとしていたあの表情に似ている。
自分が傷付けられたのだと理解出来ずに茫然としている子供のような、そんな顔。強いと思っていた孝介がそんな表情を見せるのは初めてだった。自分がどんな無理に付き合わせていたのか、陽介はその時やっと実感した。だから言ったのだ。
『嫌なら来なくてもいいぞ』
そんなことを言ったからって相棒が納得するとは思わなかったが、言わずにはおれなかった。
お前は今辛いと感じてるんだと、少なくとも教えてやりたかった。
何故そんな顔をまた見なくてはいけないのか。陽介は脇から背を伸ばす雑草を引き抜いて、石段を取り囲む林のなかへと放り投げた。なんだか胸がもやもやする。神社など行かず側に居てやった方がいいんじゃないだろうか。だけど、たとえ見るものは何も無くても、あそこはどうやら思い出の場所であるらしい。それなら少しだけでも一人きりにしてやった方が気持ちの整理が付くんじゃないだろうか。いやでも。しかし。うーむ。
そんなことを考えているうちに、足は石段を登り切っていた。神社は確かにあった。だけど普段は一般に開放されていないらしく、境内を取り囲む鉄柵が陽介の侵入を呆気なく阻んだ。入口の扉に手を掛けてみたが、案の定鍵が掛かっている。
「ちぇ」
しばらくそのままの格好で境内を眺めていたが、誰かが現れるということはなかった。耳を澄ませても話し声は聞こえない。やはり誰も居ないようだ。
――どーすっかなぁ。
ふと辺りを見回した時、柵に沿うように細く獣道が延びていることに気が付いた。日常的に使われているわけではないらしく、探そうと思って見なければ気付かないほどの頼りない道だ。どこに出るのかはわからないが、どうせほかに行く当てもなし、試しに進んでみることにした。
目の高さに伸びる枝を手で払い、下草に見失いそうな道をじっとたどっていくと、道はやがて柵から離れて林のなかへと入り込んだ。滑らないよう木の幹に手を掛け、おっかなびっくり足を踏み出す。が、仕舞いに道は途切れてしまった。
どこか目的地らしいものはないかと辺りを見回したが、それらしい建物も苔のむしたお地蔵様も見当たらなかった。草むらのなかに白っぽいものがあったので見に行くと、なんのことはない、見馴れたジュネスの買い物袋だった。風に飛ばされてここまでやって来たのだろう。
――つまんねえの。
戻ろうとして振り返った時だった。さっき掴まっていた木の幹に何かがぶら下がっていることに気が付いた。またぞろ木の蔓かなんかだろうと思って顔を近付けてみると、不細工な出来ながらそれは人形だった。しかも吊るされているわけじゃなくて、きちんと釘で打ち込まれていた。
それが何を示すものなのか、頭が理解することを拒んでいる。
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