卒業式が近いというのは、同時に三学期の期末試験が近いということでもある。午前中だけで解放された生徒たちは、各々暗い表情で正門へと向かっている。
陽介は数学を教えてくれと頼み込んで相棒という名の個人教師を確保していた。しかし勉強するとしても、フードコートでは騒がしくて勉強どころではないし、図書館は恐らく占領されたあとだろう。うちでするか相棒の家へ行くかと、購買で買い込んだ総菜パンを片手に、二人は校舎の屋上で話し合っている最中だった。
「――あのさ」
フェンスにもたれて遠くを見ていた孝介が不意に口を開いた。
「あそこ、どうやって行けばいいかな」
「ん? どこよ」
相棒が指し示す方向を見るが、見えるものと言ったら山しかない。沖奈市とは反対方向の隣町に接する、なんの変哲もないただの山だ。
「どこよ」
「あの山。――ホラ、頂上の辺りに小屋みたいなの見えないか?」
神社があるのだと教えてくれた。見る角度を変え、目を細めてようやくそれらしきものを視界に捉えた。言われなければ絶対気付かないほど屋根は色褪せ、周りの樹木と同化してしまっていた。あんなのよく気付いたなぁと感心して言うと、まぁねと孝介は誤魔化すみたいに笑った。
陽介は同じくフェンスにもたれ、山へと続く道を目で確かめた。どうやら路線バスは通っていない方角のようだ。だが徒歩は無理だし、自転車で上がるとしても相当体力が必要になるだろう。
「やっぱ車じゃね? 堂島さんに頼んで乗っけてってもらえば?」
「……叔父さんには、ちょっと」
「じゃあタクシーだな」
陽介がそう言うと、やっぱりそれしかないかと孝介は嘆息した。
「何があんだよ」
孝介はしばらく逡巡したあと、別に何もないんだけどと言って小さく苦笑した。
「向こうへ帰る前に、ちょっと見ておきたいんだ」
「ふうん……」
そう言われると、もう何も訊けなくなってしまう。陽介は再び方向を確かめながら考えた。
「チャリとかどうよ」
陽介の言葉に、相棒は困ったように首をひねっている。
「行きはタクシーに積んでってもらってさ、帰りはチャリ乗ってくりゃいいじゃん。山下るんだったら楽勝だろうしさ」
「いいな、それ」
「よかったら俺の使う? まだちっとギコギコうるせぇけど、ちゃんと乗れるぜ」
渡りに船とばかりに孝介はうなずいた。
二人は簡単な昼飯を済ませると陽介のうちへ向かった。自宅への道を辿っているあいだ、陽介は、例の彼女がらみのことかなぁとぼんやり考えていた。
いつの頃からか孝介は恋人のことを全く話さなくなった。元々積極的に話してくれる方ではなかったが、年が明けてどれくらい経った頃か、ふと訊いてみると、「フラれた」と言って肩をすくめてみせた。それで終わりだった。
東京へ戻る時期が近付きつつもあったし、陽介は深く突っ込まなかった。必要以上に傷を広げて稲羽市に来ることを拒まれてはたまらない。それに、傷の癒し方は人それぞれだ。もし孝介が頼ってくるのであれば応じるし、そうでないならさわらない。そんな気遣いの仕方を、この一年で陽介は学んだ。
部屋へ行くよりも先に車庫へ向かった。母親が使う軽自動車の後ろに、陽介の愛車が置いてある。春に調子が悪くなってから通学には一切使わなくなったが、今でも整備をしているし、天気のいい休みの日には鮫川の方まで一緒に出掛けることもあった。
棚を探って鍵を取り出すと、掛けていたチェーンを外して車庫から引っ張り出した。日の光の下で見ると、うっすらと埃をかぶっている。陽介はあわてて車庫に戻り、やはり棚に詰めてあったボロタオルを持ってきて車体を拭いてやった。
「ほれ、これだ」
「ありがと」
陽介が差し出すそれを、相棒は怖々と受け取った。少し押してみてその場でサドルにまたがり、高さを調節している。
「返すの、いつでもいいからさ」
「うん。……あの」
孝介が自転車から降りてこっちを見た瞬間、何を言われるのかわかっていたような気がした。
「……その、勉強会なんだけど」
「ん?」
「今日じゃないと駄目かな」
申し訳なさそうに言ったあと、相棒はハンドルの方へと視線を投げた。わかっていた筈なのに、なんとなく勢いで訊いてしまった。
「もしかして、これから行くのか?」
「…………どうしようかな」
自分から言い出したことなのに、自分でも迷っているような口ぶりだった。陽介はおどけて両手を上げ、別に構わねぇよと答えてみせた。
「どうせ試験は来週だし、お前の都合がつきゃいつでも」
「……」
孝介はまだ迷っているみたいだ。両手で握りしめたハンドルから片手だけ放し、一度こっちへ押し返すようにしながらも、また自分の方へと引き戻している。
「……陽介」
「ん?」
振り向いた孝介は、やっと決心を付けたようだ。だがその口から出た言葉は、陽介には意外なものだった。
「一緒に来てくれないか」
「へ!? 行っていいの?」
「うん」
そうしてぽつりと、一人じゃ無理そうだと呟き、自嘲気味に笑った。同じような表情をいつかどこかで見たなと思う合間に、陽介は玄関へ向かっていた。
「じゃあ、とりあえず着替えてくるわ。ちっと待ってて」
「ごめんな」
「ばーか、なに謝ってんだよ。――あ、あとお前も荷物」
「うん」
放られたカバンを受け取って陽介は玄関のドアを開けた。ひょっとしたら彼女との思い出話とか聞けるかも、と不謹慎ながらも期待に胸が弾むのは、隠しようもない事実だった。
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