深々とため息をつくのがおかしかった。孝介は思わず苦笑を洩らした。結局抱き枕の代わりにされてしまうらしい。まぁいっか、と力を抜いてもたれかかった時、突然首筋にぬるりとした物が触れて身を起こした。
驚いて振り返ると、舌を出したままの足立がきょとんとした目でこちらを見ていた。そうして今更自分の行動に気が付いたと言いたげに舌を仕舞い込み、
「映画観てていいよ」
「……わかってますよ」
にたりと笑って、今度は同じ場所へ唇を押し付けてくる。シーツを握り締めて映画に集中しようとしたが、流れ始めた字幕を読もうとした途端にうなじを軽く噛まれ、更にねぶられて、思わず声を洩らしてしまった。
そうするとやり過ぎたと思うのか、足立は少し離れていく。だが息を整えてまた画面に集中しようとすると、邪魔をするように足立の呼吸が近付いてくる。何度も首筋を吸われ、舌先でくすぐられ、なのに他の場所へは一切手を出されないのがもどかしい。耳の縁を齧られてとうとう我慢が出来ず、足立の腕を掴んでいた。
映画が始まってどれくらいが過ぎたのかなど、既にわからなくなっている。振り返って睨み付けたが、足立は静かに笑うだけだった。
不意に抱き寄せられて唇が重ねられた。やり場のなかった快感を足立の熱に求めて、何度も息を交わした。耳に飛び込んできた怒声で我に返ったが、もはや映画を見続ける気にはなれなかった。
陶酔のため息を吐いて孝介は足立に寄り掛かった。
「……も、映画観れないじゃないですか」
「あれ、映画観に来たんだっけ?」
驚いて顔を上げると、足立はにやにや笑いながら孝介の髪を梳いた。
「足立さんが電話してきたんじゃないですか。レンタルしたから一緒に観ようって――」
「そうだったっけ?」
とぼけた口調で言い、眉間に唇を触れてくる。そうしてまた唇を奪われ、わずかな抵抗として手首を引っ掻いたが、いつの間にか逆に押さえ込まれていた。
「ごめん。何話したのか忘れちゃった」
離れていく真っ黒な目がおかしそうに笑っている。決して忘れてなどいないとその目が語っていたが、ワイシャツのボタンを外す手の動きに抗うことなどもう出来なかった。
林間学校のあの晩、ずっと帰りたいと願っていたことを思い出した。苦しいほどこの男に会いたかったことを思い出した。けれど、どんどん惹かれていく自分も怖かった。どうせ遊ばれているだけだ。それがわかっていても、ふとした瞬間に見せる真剣な眼差しに包まれたとたん、否も応もなく滅茶苦茶にもてあそんで欲しいと思ってしまう。
この人は何が面白くて俺なんかを構うんだろう。
いつか飽きられたらどうなるんだろうと考えた瞬間、全身を恐怖が走り、絡め取られた手を握り締めていた。足立は不思議そうにこちらを見た。あの真っ暗な目が何かを探るようにじっと覗き込んでくる。
吸い寄せられるようにしてキスを交わした。互いの手が熱かった。
靴箱のなかには砂埃と革の匂いが詰まっていた。菜々子は三和土で膝立ちになって棚の奥を覗き込んでいる。上から二段目、ちょうど棚の真ん中辺りに求める品があった。腕を伸ばして取っ手を掴み、手前へ引っ張ろうとしたけど、予想外の重さに驚いて一度手を離してしまった。
だけど、今家には自分しか居ない。やるしかない、と気合いを込めて再び取っ手を握り締めた時、足音が聞こえて玄関の扉が開いた。
「――菜々子、何してるんだ?」
「お兄ちゃん」
まるで天啓のように孝介が帰ってきた。菜々子は取っ手を片手で握ったまま靴箱のなかを示してみせた。
「あのね、これ出して欲しいの」
「どれ?」
菜々子が手を離したあとを孝介は覗き込んだ。「これでいいの?」と言いながら軽々と引っ張り出された物は、遼太郎が使っている工具箱だった。鉄で出来ている為に空でもかなりの重さになる代物である。
「ありがとう」
「そんなの、何に使うの?」
「あのね」
菜々子は一度台所に戻ってテーブルの上に置いておいた紙コップを持ってきた。
「今日学校でね、糸電話作ったの。それでね、おうちにある糸でもためしてみましょうって先生に言われてね、毛糸みつけたから作ろうと思ったの」
作り方は簡単だ。紙コップの底に穴を開けて糸を通し固定するだけ。しかし鉛筆では思うような穴が開かずに困っていたところ、遼太郎の工具箱の存在を思い出したというわけである。
「糸電話か、懐かしいな」
孝介は嬉しそうに言って工具箱のフタを開けた。
「お兄ちゃんも作ったことあるの?」
「あるある。やったよ、小学生の時。結構ちゃんと聞こえるんだよね」
「うん。さなちゃんの声がすぐ近くで聞こえるんだもん。すごくビックリした」
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