「元気ないわけじゃないんだけど」
そうしてのろのろと手を伸ばすと、孝介の指を握ってきた。
「学校、楽しい?」
「楽しいですよ」
「どんな風に?」
「どんな、って……友達居るし、部活も面白いし」
「そう」
火を付けておきながら足立は煙草を吸うこともなく、けぶるままに任せていた。風が吹き、顔の前へ煙が流れてきても、厭う素振りは少しも見せない。
「……足立さん?」
――なんでお前なんだ。足立は苛立ちと共に考える。お前にあんな力さえなけりゃ、あの四角い穴蔵のなかに放り込んで、それで終わりに出来るのに。
涼しい風が吹き抜けた。汗ばんだ肌がすっと冷やされて、孝介は一瞬寒さに身震いをするほどだった。だが足立は相変わらずどこかぼうっとしたまま、身じろぎもせずに視線を落としている。
「ちょっとうらやましいなぁ。僕なんか勉強してた思い出しかないし」
ようやく思い出したように、足立は煙草を持ち上げて吸い込んだ。煙を吐き出すとこちらへ振り向き、なにがおかしいのかかすかに笑ってみせた。
「僕も十年前は高校生だった筈なんだけどね」
「……足立さんの高校時代って、ちょっと想像つかないな」
「ね。っていうか、もう十年も前なのか。今自分で言ってビックリしちゃったよ」
足立はもう一度煙草を吸い込むと、そのまま足元に落として踏み潰してしまった。
二人のあいだには人が一人入れるほどの距離が空いている。いつもの強引さで抱き寄せられることもなく、頭を撫でられることもない。握られた指だけがかろうじて二人をつないでいた。
「君、今幾つだっけ」
「十六です」
「誕生日いつなの?」
「一月です。一月十九日」
「僕と近いね。僕二月一日」
じゃあほぼ十一歳差か、と呟いて足立は自嘲気味に笑った。孝介は同じように手すりに寄りかかって足立の横顔を眺めた。
「こんなおっさんと一緒に居て楽しい?」
足立が突然に振り向いた。気が付くと真っ暗な穴蔵がみつめていた。孝介は一瞬なんと答えればよいのかわからなかった。
「おっさん、って。まだそんな歳じゃないでしょ」
「いやあ、もう充分におっさんだと思うよ。早い人は結婚して子供も居るしさ」
僕なんか落ちこぼれだよと、相変わらず真っ暗な目でみつめてくる。
「楽しいの?」
「……楽しいですよ。なに言い出すかわからないし」
「へえ」
口元が笑った。――多分、笑ったのだ。
「気のせいなんじゃない?」
「あの、」
足立は不意に視線を落とすとうつむいてしまった。手を握り直し、そっと引いてくる。孝介は腕を引かれるままに歩み寄って足立の隣に並んだ。
「……どうしたんですか」
「どうもしない」
そう言って子供のようにぶんぶんと首を振った。
「どうもしない」
まるで自分に言い聞かせるかのように繰り返している。そのあとの言葉はなかった。
昼間、足立は久し振りに生田目のところへ行った。議員秘書から運送屋へと職替えを余儀なくされた男は、お中元の時期は大変でしたと陰気に笑っていた。だが足立が差し出したものを目にしたとたん、あっという間に笑顔を消した。
「山野さんの遺品にまじってたんですけどね、どう見ても男モンじゃないすか。生田目さんなら知ってるかなーって」
「……」
手のなかにあるのは針の止まった腕時計だった。名の知れたブランドだが高級品ではない。生田目は震える手を伸ばしてそれを受け取ると、「私のです」と絞り出すように呟いた。
「以前、一緒に居る時に電池が切れていることに気付いたんです。そうしたら彼女が、自分の分と一緒に電池交換に出すからと……」
「そのまま亡くなられたんですね」
「はい……」
生田目はガラス盤に残る傷を指でそっと撫でている。足立は片手を胸ポケットに入れると、「それ、お返ししますよ」と言って伝票を取り出した。
「受け取りのハンコとサインだけ貰えればいいですから」
しばらく迷った末に生田目は伝票を受け取り、確認の署名と捺印を済ませた。
「犯人、捕まりましたね」
時計を作業着のポケットに仕舞い込む生田目は、言葉に反して暗い目付きだった。
「ようやっとですよ。まったく、ガキの癖にいい度胸して」
「高校生だという話ですが、本当なんですか」
「ええ」
「そうですか……」
高校生ですか、と暗い目で生田目は繰り返した。
「罪状はどうなるんでしょうね」
足立はポケットに手を入れて肩をすくめた。
「まあ三人も殺してるとなれば、普通は死刑か、最悪でも無期懲役になるんでしょうけどねぇ」
言葉尻を濁す姿になにかを感じたようだ。生田目は怪訝そうに目を上げてこっちを見た。
「その……まず未成年ってとこが引っかかるでしょ。言ってることも結構曖昧で精神鑑定が必要なんじゃないかっていう話だし」
「そんな」
「それに、ホントに山野さんたち殺したのかどうか」
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