車は大通りの路肩に止まっていた。孝介が道に出ると、短くクラクションを鳴らして知らせてくれた。フロントガラスの奥では煙草をくわえた足立が手を振っている。
「わーい、久し振りー」
 助手席に乗り込むと足立は嬉しそうに言って孝介の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「堂島さん、なんか言ってた?」
「いえ、別に。遅くなるなとは言われましたけど」
「そっか」
 足立は煙を吐いて腕時計を見やり、「ま、いっか」と呟くと煙草をもみ消した。
「どこ行くんですか?」
「んーとねえ、ひと気のない山奥」
 シートベルトを締めかけていた手が止まった。足立はこちらに振り向くと、わざとらしいほどに大きくにたりと笑った。
「だぁれも居ないところで、思う存分、いやぁらしいことしようねえ」
「……帰ります。っていうか、帰れ!」
「冗談だよお」
 おかしそうにケタケタと笑いながら足立は車を発進させた。孝介は無言でシートベルトを締めた。まったく、冗談にも程がある。
「ま、山のなかはホントだけどね」
 そう言って足立は進む先の夜空を示してみせた。目を凝らすが、夜空を切り取る稜線が暗がりのなかにわずかに見えただけだった。
「あっちの方、行ったことある?」
「いえ……」
 方向を示す看板からすると、稲羽市を大きく取り囲む山に向かっているようだった。確か山のなかを突っ切るバイパスが通っている筈だが、なにか施設があるとは聞いていない。
「確かになんもないけどね。でも東京にないものがあるよ」
「なんですか?」
「それは行ってのお楽しみぃ」
 足立は歌うように言うと、ネクタイに手をやってわずかにゆるめた。
「もしかして仕事帰り?」
「そ。今日も頑張って働いてきましたよ」
「お疲れ様です」
 信号で車を止めた足立は嬉しそうに笑い、頭を乱暴に撫でてきた。
「どっかコンビニ寄ろっか。ジュースでも買お」
 運転中の足立は、意外なことに静かだった。孝介が買ったアイスを「ひと口ちょうだい」と言ってたまに齧るくらいで、煙草に手を伸ばすことも殆どなく、ほぼ無言でハンドルを握り続けた。
 運転に集中したいタイプなのかと思って、孝介も話しかけるのは遠慮していた。スピーカーからは孝介の知らないアーティストの音楽が流れ続けている。好きに替えていいよとレンタル店の袋を示すが、そのままにしておいた。
 山を突っ切るバイパスの途中で、足立は車を脇道に乗り入れた。最初のうちは畑や民家も見えていたが、やがて道の両脇を背の高い樹木が覆うようになった。ゆるやかな上り坂を車は静かに進んでいく。対向車は一台もない。
 しばらく行った先の曲がり道で一瞬だけ視界が開け、裾野に広がる稲羽市が見えた。いつの間にかかなり高い位置まで来ていたようだ。孝介は思わず驚きの声を洩らした。
「結構高いでしょ」
 ライトの射し込む夜道をみつめながら足立は笑った。
 車は山頂近くの小さな駐車場に乗り入れた。見える範囲内にほかの車は一台もなかった。綺麗に整備されていると思っていたら、この更に上のところに小さな神社があるのだという。足立は車を止めるとエンジンを切った。そうしてシートベルトを外しながら「ほら」とフロントガラスの上の方を指差した。
 満天の星空だった。
「うわ……っ」
「ちょっとした見ものでしょ」
 煙草を取り出した足立は、そう言って誇らしげに笑った。
 孝介はシートベルトを外すと、ダッシュボードに身をもたれかけて夜空を見上げた。確かに東京にはないものだ。稲羽市に来たばかりの頃、窓からの景色に当たり前のように星があるのを見て、やっぱり田舎なんだなと思った覚えがある。それでもこんないっぺんに大量の星が見えることはなかったし、実際に眺めた経験もこれまでに殆どなかった。
 煙草を吸い終わった足立は、ちょっと出ようかと孝介を誘った。車を降りた孝介はぐるりと天上を見回して大きなため息をついた。
「すごいですね」
 ほかに言葉が思い付かない。
「意外と穴場なんだ。みんな、だいたいはキャンプ場の方行っちゃうからさ」
 足立はそう言うと駐車場の縁に向かって歩き始めた。手すりにもたれかかると心地よく風が吹き抜けていった。もうここからでは町を見ることが出来なかった。見えるのは暗がりに沈む山と、星の輝く夜空と、外灯にぼんやりと照らされた足立の横顔だけだ。
「ここ、よく来るんですか?」
「んー、たまぁにね」
 足立はそれだけ言うと、手すりに両腕を引っ掛けてしゃがみ込んだ。組み合わせた手の上にアゴを乗せて、気の抜けた顔で夜空を見上げている。
「もうすぐ夏休みも終わっちゃうね」
「そうですね……」
「どっか行った?」
「祭りには行きましたけど、ほかは特に」
「あーお祭りかあ」
 あったねえ、と他人事のように呟いている。
「まぁでも、遊べるのも今のうちだからね。いっぱい遊んどくといいよ」
 そう言って足立は立ち上がり、手すりに腰を下ろすと煙草を取り出した。
「……なんか、元気なさそうですね」
「んー? んー」
 火を付けて煙を吐き出したあと、ちょっとね、と呟いて笑った。


next
back
top