堂島家の食卓は久し振りににぎやかだった。普段は寡黙がちな遼太郎も、酔いのせいか、はたまた足立が居るせいか、大いに笑い、よく喋った。この四ヶ月もの苦労がようやく報われたのだ。嬉しくない筈がない。
 テレビでは四月に起きた二件の殺人事件についての説明が続けられている。孝介は寿司へと伸ばしかけた手を止めてテレビに見入った。死亡した山野真由美と小西早紀、二人の写真が画面に映った時は、もう少し早く自分がこの町へ来れば、もしかしたら助けられたかも知れないのに、と胸が痛くなった。
 だがそれは、順番としては有り得ないことなのだろう。小西早紀が死ななければ、テレビの世界へ行こうなどと陽介は言わなかった筈だ。
 それに、モロキンの死亡は阻止出来なかった。
 起こってしまったことは変えようがない。――孝介は足立の言葉を思い出す。そして自分の脇で楽しそうにビールをあおる、その言葉の主を盗み見る。
 足立は菜々子にちょっかいを出して、遼太郎に頭をはたかれていた。いだ、と悲鳴を上げる足立も、はたいたあとの遼太郎も、共に浮かべているのは笑顔だ。菜々子は少し驚いているようだが、和やかな雰囲気に安心しきった表情だった。
 孝介は苦笑を洩らして寿司をつまんだ。
 ともかく久保美津雄は逮捕され、事件は終了した。
「……いやあ、なんていうか」
 壁に寄りかかって座った足立は、情けない顔で笑った。
「思いっきり気が抜けちゃってね」
「ようやく逮捕ですからね」
 孝介も笑ってうなずき、足立の隣に腰を下ろした。
 食事のあと、遼太郎は菜々子と共に風呂を使っている。鬼の居ぬ間に、というわけではないのだろうが、足立は久し振りに孝介の部屋へ上がっていた。残り少ない缶ビールの中身を飲み干し、背広から煙草を取り出すと、無言で火を付けて煙を吐き出した。
 孝介は煙の行方をなんとなくみつめている。
「君も安心でしょ」
 言ったあと、足立はこちらをみつめてくる。一瞬だけ言葉の意味がわからなくて孝介も振り返った。
「いや、町が安全になってさ。菜々子ちゃんも安心して遊びに行けるし」
「そうですね……」
 考えてみれば殺人犯と同じ町に暮らしていたのだ。菜々子が狙われる可能性は殆どなかったとはいえ、そういう意味では、確かに安心だ。
「――なんであんなことしたんですかね」
 軽く足立に寄りかかりながら孝介は呟いた。足立は煙を吐いて、さあね、と肩をすくめた。
「諸岡さんには恨みがあったみたいだけど、山野アナとあの女子高生の殺害に関しては、ちょっと供述に曖昧な点が多過ぎるんだよなあ。なんか、一個話が繋がると別のところが破綻しちゃう感じでさ」
「変な話ですね」
「……もしかしたら、犯人、別に居たりして」
 驚いて孝介は身を起こした。足立は一瞬だけハッとした顔になり、それからあわてて首を振った。
「なぁんて、まさかね。そんなわけないよねえ」
「脅かさないでくださいよ」
 孝介は息を吐き、再び足立に寄りかかった。煙草をもみ消した足立は「ごめん、ごめん」と笑って孝介の頭を撫でてきた。そのまま首に腕をかけて抱き寄せられる。
「まぁともかく、これでやっと落ち着いて休めそうだよ」
「夏休みとかあるんですか?」
「一応、交代で取ることにはなってる。でもどうかな、堂島さんとか上の人が優先だろうし、まぁ僕なんか連休があれば御の字って感じだと思うよ」
「そっか」
 下っ端というのは大変なようだ。
 ふと引っ張られて振り向くと、足立が唇を重ねてきた。煙草の香りにむせて、孝介はわずかに身を引いた。眉間に皺を寄せているのが見えたらしい、足立は笑って唇を離し、今度は額にキスを落としてきた。
「やっと落ち着いて君といちゃいちゃも出来るし」
「……や、そこは前から落ち着いてましたよ」
「君はまだ僕の本気を知らないだけだぞ?」
「本気出さなくていいですから……っ」
 足立がおかしそうに笑い声を上げた。孝介は照れてそっぽを向き、なんとなく視界に入ったテレビの真っ暗な画面をみつめた。
 もう不安と共にあれを眺めることはないのだ。そう思うと全身から力が抜けるようだった。もう誰かがテレビに放り込まれるかも知れないと怯える必要はない。
 あっという間の四ヶ月。
 混乱と不安の日々は、もう来ない。


 足立から電話がかかってきたのはそれから十日ほども経った夜のことだった。
『今暇? 暇ならちょっと出てこない?』
 夕飯が終わったあとだった。この日を狙っていたのか、「今日は堂島さん居るでしょ」と足立は続けた。
『ドライブ行こうよ』
「こんな時間にですか?」
『夜に走るのもオツなもんだよ。そんな遠くには行かないからさ』
 もう近くに居るというので断ることも出来なかった。場所を聞いた孝介はすぐに行くと言って電話を切った。一応携帯電話と家の鍵と財布を持って部屋を出た。
 居間では夕飯の続きで遼太郎が酒を飲んでいた。ここしばらくは、こうして居間でのんびりとしている姿を見ることが多い。
「ちょっと出かけてくる」
 声をかけると、遼太郎は眠そうな目を孝介に向けた。
「どこ行くんだ、こんな時間に」
「友達がなんか、話があるって言うから」
 誰、と明確には言わなかったが、陽介やその周辺のメンバーを思い浮かべたようだ。遼太郎は一度時計を見たあと、仕方ないなと言うようにうなずいてみせた。
「あんまり遅くなるなよ」
「はーい」
 孝介は素直に返事をして玄関に向かった。


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