誰もなにも答えなかった。無言で検分するような眼差しを注いでいるだけだ。足立はその視線に怯え、不意に大声を上げた。
「も……なんすか、急に質問責めにして。……なんなの、この雰囲気は、もう!」
そうしてこちらに歩み寄ろうとしていた遼太郎を乱暴に押しとどめた。
「堂島さん、そろそろ病室戻ってくださいよ。そんなんだから怪我治んないんですって」
「うるせえ」
「君たちも!」
厳しい表情で振り返る。
「とっとと帰りなさい! だいたい今、何時だと思ってるんだ!」
――俺はなにを知らないんですか。
足立の怒鳴り声は廊下に大きく響いた。聞きつけた誰かが居たのだろうか、無人のナースステーションでナースコールがやかましく鳴り出した。廊下の陰から姿を現した一人の看護師は自分たちを見て一瞬怪訝そうな顔をし、だが呼び出しの音に催促されてナースステーションのなかへと消えていった。
興奮の面持ちで足立はこちらを睨み付けてくる。だが誤魔化された人間は一人も居なかった。
「最後の確認をさせてください」
直斗が一歩前に出た。
「最初に殺された二人は、実は生田目の仕業じゃないと、はっきりわかったんです。別の誰かが殺したんだ。……足立さん、知りませんか?」
陽介が動いた。足立に視線を据えたまま、左へ延びる廊下の真ん中へと逃げ道を塞ぐように移動する。空いた場所には完二がやって来た。周囲を固められて、足立は再び動揺したように仲間の顔を見渡した。
「い……言ってる意味が、よく……」
「テメェなんじゃねえかって言ってんだよ」
「な……バカ言うな!」
あなたが否定してくれれば、それで全部捨てられた。
「そんなの、生田目が全部入れたに決まってるだろ!」
全員が足立を見ていた。足立は孝介を見ていた。自分の失言に気付いてなにかを言おうとし、だが言葉は出ないまま目をそらせ、歩き出そうとして、逃げ場を失っている。
「全部……入れた? 入れたとか入れないとかってのは、なんの話だ?」
一人だけ事情の呑み込めない遼太郎が、わずかに咎める口調で問い質した。
「あの、……あのですね」
「お前、手口についてなにか知ってるのか? まさかこの前の、テレビがどうとかって、あの話……」
「――そうか、今わかりました」
不意に直斗がうなずいてみせた。
「足立さん。実は僕は、過去のあなたの言動のなにかが、ずっと引っ掛かっていたんです。……堂島さんの事故現場で、僕が生田目の日記を読んだ時のこと、覚えてますか?」
「さあ……」
足立は困ったように笑いながら首をひねった。直斗は構わずに言葉を続けた。
「『未遂で助かって世に出なかった三件目以降の被害者も書かれてる』と僕が言った時、あなたはこう言ったんだ……『すごい、そりゃ、決まりだね』って。――なにが『決まり』なんですか? あの時警察はまだ、事件に未遂のケースがあったなんて知りもしなかったのに。……おかしいじゃないですか」
「……」
「しかも、数日消息がつかめないなんて無数にあることだ。なのに、僕が読み上げた名前に異論が出ないのもおかしい」
陽介と完二が一歩を詰めた。直斗の言葉がまっすぐ足立に向かう。
「答えてください……足立刑事」
足立は目を見開いて自分の周囲を見回した。そうしてにじり寄ってくる陽介と完二の姿に気付くと怯えたように視線をそむけ、
「……知らないよ! ……い、忙しいって言ってるでしょ!」
足立の腕が孝介を突き飛ばした。
「待て、ごらぁ!」
壁にぶつかっているあいだに完二と陽介が走り出していた。足立は走りながら廊下の隅に寄せてある薬の載った作業台を二人に向けて放り出した。完二は危うくのところで脇をすり抜けたが、お陰で陽介がよけきれず、ぶつかって大仰に転んでいる。
「足立さん!」
孝介は一歩遅れてあとを追いかけた。足立が逃げ出したのだということがすぐには理解出来なかった。
だって、逃げる意味がわからない。
狭い通路に入ったところで今度は足立がなにかを横倒しにした。大きなストレッチャーだ。通路を塞ぐように倒れたストレッチャーを完二は走り続ける勢いのまま蹴立てて飛び越えたが、惜しいことに着地で失敗した。完二が転んでいる脇を孝介は飛び越え、更に走った。
「足立さん!」
――俺はなにを知ってたらよかったんですか。
走りながら孝介は足立を思い出している。あの虚ろな表情、突然泣き出したこと、真っ暗な目で笑っていたこと。
理解したいと思っていた。怖くても、少しずつでもいいから足立を知りたかった。
望んでいたのは、暴くことじゃない。
廊下の途中にある曲がり角に入ろうとして足立は壁に激突した。そうして跳ね返り、転びそうになりながらもまた走り始めている。あとを追いかける孝介は同じように曲がろうとして勢いを殺し損ねた。足を滑らせ、あわてて壁に手を引っ掛けて横に転んだ。すぐ側にあったベンチの端で顔の半分を打ち、一瞬目の前が真っ暗になりながらも体を起こして足立を見た。
ぼやける視界のなかで二重写しになった足立が走り続けている。
「足立さん……!」
すがる思いで孝介はその名を呼んだ。
足立は振り返らなかった。
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