前回の反省を踏まえてか、今日は二人ともおとなしい晩酌だった。
「菜々子ちゃん、僕と一緒にお風呂はいろっかぁ」
「足立。今なら水風呂入り放題だぞ。好きなだけ浸かっていけ」
「なんだったら俺が上からフタ閉めて差し上げますよ」
……なごやかな夕飯だった。
最初に菜々子が部屋へ行き、やがて孝介も自室へ戻った。本当は少し遼太郎と話をしたかったのだが、足立が居てはそれもかなわない。仕方なくあきらめて翻訳のアルバイトでもすることにした。
そうしてテーブルに向かってからどれくらい時間が経った頃か。
「孝介、ちょっといいか」
遼太郎の声がドアの向こうから聞こえてきた。
「なに?」
「お前、スウェットみたいなの余計に持ってないか」
ドアの向こうに現れた遼太郎は、既に眠そうな目をしていた。翌日が休みだということで気が抜けてしまっているようだ。
「あるけど……ああ、足立さんの?」
「おお。俺の貸そうかと思ったんだが、まともなのがこれしかなくてな」
そう言って遼太郎は自分が着ている服を指でつまみ、引っ張ってみせた。
「っていうかあの人、着替えも持たずにうち来たんですか」
「いやあ、俺もそこまで気が回らなくてな」
遼太郎は自分が責められたかの如く恥じ入ってみせた。孝介はそれ以上言うことが出来ず、あとで持っていくとだけ返事をした。
「すまんな」
「……なんか叔父さんって、足立さんには甘い気がする」
「そ、そうか?」
孝介の言葉は意外なものだったらしく、遼太郎は目をぱちくりとさせている。
「まあ、普段仕事でこき使ってるからな。直属の部下だし、面倒は見てやらんと」
「そういうもの?」
孝介は首をひねる。そんな余裕があるならむしろ菜々子を構ってやれと思ったが、さすがにそこまで出過ぎたことは言えなかった。しかし本人も思い当たる部分があったのだろう、遼太郎はこちらをじっとみつめたあと、無精髭の残るアゴを掻きつつ少し気まずそうに笑った。
「あいつは春に本庁から来たばかりなんだ。現場仕事には不馴れでな。ああいう性格だから署の連中には呆れられてるが、俺ばかりはそういうわけにもいかん。少なくとも警察の仕事を続ける気なら、どこへ行っても通用するように育ててやらんと」
そうして遼太郎は、ふとなにかを懐かしむような目になった。
「昔、俺が先輩にそうしてもらったようにな」
「そっか、叔父さんも昔は新米だったんだ」
なんとなくだが、遼太郎は昔から今の姿でいるような気がしていた。思ったことが顔に出たのだろう、「最初から老けてたわけじゃないんだぞ」と遼太郎は笑い、孝介の頭を小突いてきた。
「じゃあ、すまんが頼む。布団は居間に出してあるからな」
「うん。――あ、ねえ」
呼び止めておきながら孝介は躊躇した。階段の途中で足を止めた遼太郎は、先程から続く笑顔のなかに居る。
「……今度、叔母さんのこと、聞いてもいい?」
「……」
遼太郎は口を結び、そっと視線をそらせた。気まずい沈黙をどう埋めようかと孝介が考え始めた時、再び遼太郎がこちらに向いた。
「悪い。……少し時間をくれ」
「……うん」
「おやすみ」
おやすみなさい、と呟いて、孝介は叔父の背中を見送った。
物音で遼太郎が部屋に入った頃を見計らい、孝介は下へ行った。足立は風呂から出たばかりらしく、下着だけの姿でソファーに座り、濡れた髪の毛をがしがしと拭いていた。足元にはテーブルをどかして布団が敷いてある。
「足立さん、着替えです」
「あーっと、ありがとね」
「クリーニング代千円」
「お金取るの!?」
「冗談ですよ」
足立が着替えているあいだに孝介は玄関へ行き、戸締りを確認した。
「そだ、ついでに三千円払うからさ」
台所へ戻ると、布団に座り込んだ足立はそう言って孝介を手招きした。
「寝る前に、おやすみのキスしてくんない?」
「――はあ!?」
思わず飛び出た大声に自分で驚いてしまった。あわてて口をふさぎ、堂島親子の寝室へと振り返る。幸いにして遼太郎が出てくる気配はなかった。足立へ向き直ると、彼も一応気を遣っているらしく、口の前に人差し指を当てて「声でかいって」とあわてたように言った。
「……なんでそういう話になるんです?」
「だって僕、寝る前におやすみのちゅーしないと落ち着かないんだもん」
――知るか、そんなこと!
孝介は殴ってやりたいのをどうにかこらえ、「アイちゃんに頼んだらいかがですか」と冷たい笑顔で言ってやった。
「あれえ? なんで君が知ってるの?」
「……この前、酔っ払った時に言ってたんですよ」
さすがに代わりにされたとまで教えてやる気にはなれなかった。足立はその名前を聞くと何故かうっとりとした表情になり、「ホントは僕もアイちゃんがいいんだけどさぁ」と言った。
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