「もっかい抱きしめてもいい?」
「……いいよ」
KKは、変なことを訊く奴だと言いたげな顔でうなずいた。許可をいただいたMZDは遠慮なくその身を抱きしめた。所在なさげだったKKの片手が、そっと背中に回された。MZDは一度強く抱きしめ、そうして、ごめんな、と呟いた。
「なにが『ごめん』なの」
「俺が代わってやれたらいいのになあ」
その言葉を聞いたKKは思わず吹き出した。
「こんなの、俺だけがなってりゃいいんだよ」
そういえば、笑うのは久し振りだ。KKがそう思った時、奴がいきなり顔を寄せてきた。あごをくすぐる髪の毛から逃げようとKKが顔を上げると、少しだけ身を離してこちらをみつめてくる。
前髪が触れるほど近くに顔があって、KKは思わず目をそらせた。しばらく黙っていると、いきなり額にキスをされた。
「仕事忙しいん?」
「……別に」
「やなこととか、あった?」
「ねぇよ」
即答に、奴は怪訝そうな顔をする。うつむいているとまた抱きしめられた。KKは息を吐き、まいったな、と胸の内で呟いた。
――なんだってんだよ。
抱きしめられるのが気持ちいい。
額にキスが落ちた。そうして唇が重ねられた。遠慮がちに、そっと触れて、また離れてしまう。嫌がられるんじゃないかと心配する目がこっちをうかがっている。KKは目を伏せ、迷いながらも顔を寄せていった。唇を重ねて舌を絡めあって、背中を抱き寄せる腕の心地良さに気付いた瞬間、激しい怒りに叫び出しそうになった。
――結局俺も同じか。
道具を上手く使ってるだけだ。その嫌悪感が全身を駆け巡り、思わず奴の胸をこぶしで押していた。唇を離したMZDは、やはり困惑顔だ。
「……あのさ」
「なに?」
「なんでお前、俺の頼み聞くわけ?」
こんなくだらねぇ頼みごと。呟いた瞬間、自嘲の笑みが洩れた。訊くまでもないことだ。電話をかけるまでに何度も逡巡を繰り返して、でも多分奴なら断らないと計算を済ませていた。結局同じことをしているわけだ。どうすれば一番確実か、そればかりを考えて行動している。
MZDはしばらく考え込んだあとににっかりと笑い、
「惚れた弱みってヤツ?」
バカバカしい、と吐き捨てた。思っていた通りの答えだった。KKは両手で頭を抱え込んでうつむいた。俺にジジィを非難する資格なんざねぇ。結局、俺も同じなんだ。
「KK」
足に奴の手が触れた。床に座り込んで、こちらの顔をのぞき込んでくる。
「なんだよ。俺、役得があるから来たのに、そんな怖い顔ばっかしてんなよ」
「……なんだよ、役得って」
「KKに会えること」
バカバカしい、弱い言葉が口を出た。だけどMZDはめげた様子も見せずにまた笑い、みたびKKの体を抱きしめた。背中を軽く何度か叩き、温もりを味わうようにじっとしている。
「……ジィさんになにか言われたん?」
KKは小さく首を横に振った。榊はなにも言わない。それが一番の問題だ。
奴の胸に体を預けたまま大きなため息を吐き出した。自分がこんなにも脆い生き物だとは思いもしなかった。結局のところ、動揺から立ち直っていないだけの話なのだ。情けない。
腕から逃れてうつむいた。
「お前、帰れ」
「……」
「勝手で申し訳ないんだけど。……帰ってくんねぇか」
「やだ」
いきなり手を取られた。MZDは手を握ったまましゃがみ込み、
「やだー。もっと一緒に居るー」
まるでこちらの考えを見透かしたかのように笑っている。いつもなら悪口の三つ四つが出てくる筈なのだが、その甘えた笑顔を見ていると、無理に追い返すのも気が引けた。なにより握られた手の感触が心地良くて、それを振り払うことが出来なかった。
「もっと一緒に居る」
繰り返し、念を押すように、手に唇を触れた。KKは嫌だとも言えずに奴の顔をぼんやりと見下ろしている。
やがて奴は立ち上がり、ベッドに寄りかかって顔を寄せてきた。舌を絡めて息を交わし、ふと走り抜けた快感から逃げる素振りを見せると、首に回した手で抱き寄せられた。かすかに声が洩れてしまい、それに気付いたのかMZDが唇を離した。そうして耳元に唇を触れ、そのまま首筋を吸い上げた。着ているトレーナーの裾から手が差し込まれて背中を撫でられた時、KKはようやく我に返って奴の体を強く押しやった。
しばらくのあいだ、互いに無言だった。
「……どうしよう」
「なんだよ」
「欲情してきた」
妙に真剣な表情で言うので、KKは思わず吹き出してしまった。そのまま笑い続け、わざとらしく逃げるように顔をそむけていたのに、奴はしぶとく追ってくる。無精髭だらけの頬と、右のこめかみと、眉間に唇を触れて首に両手を回し、軽く抱き寄せられたKKは、また言葉を失った。
「すっげさわりたくってたまんない」
からかっている様子は微塵も感じられない。指で髪の毛を梳いて、そのままじっと見下ろしてくる。返事しなけりゃいけないんだろうか、そう考えれば考えるほどに、言葉が泡のように消えていく。
「やだ?」
唐突に、窓の外の雨音に気が付いた。部屋が必要以上に静かなことに気が付いた。目の前の男のことを考えないようにしているからだろうか、意識は現実から逃げたくてたまらないらしい。首にかかる手の温もりが驚くほどに気持ち良くて、うっかりうなずいてしまいそうになるのを、あわてて押しとどめた。だけど、また抱きしめられてもなにも出来ず、KKは頑ななまでにうつむいたままだ。
「KK」
強い視線を感じた。そっと目を上げると、熱っぽくこちらをみつめる目とぶつかった。多分拒絶したところで怒りはしないだろう。だけど、嫌だと言葉を口にするにはためらいがあった。――この二ヶ月、なんで眠れなかったのか、理由はわかりきっている。
「KK?」
「いいよ…っ」
人恋しくてたまらない。
利用しているだけだ、KKは何度も自分に言い聞かせている。こいつの気持ちを利用して自分が楽になりたいだけだ、拒否らないこいつがバカなだけだ――そう思うのに、抱きしめる手をぞんざいに扱えない、触れる唇の感触に声まで洩れそうになってしまう。
こちらをみつめる優しい目に、なんだか泣きたくなってしまう。
「……っ」
声が洩れそうになるのを、肩に噛み付いて押しとどめた。首筋を舌先で舐められた時、小さく笑い声が聞こえたような気もする。ものをこすり上げる奴の手は緩慢な動きで、KKは思わずもっととせがみたくなってしまう。
それを知っているのか、にやついた目で奴が見ている。
一度睨みつけると、いきなり抱き寄せられて口をふさがれた。噛み付くみたいにキスを交わして、唇を離した瞬間、大きな快楽の波にさらわれそうになった。
「ん…っ、……っ、」
なんの為に首を振っているのか自分でもわからなかった。腕にしがみついて背中を丸め、視線をさまよわせれば、奴の手と欲望にたぎった自らの姿が目に入る。顔をそむけて見ない振りをしても、不意の快楽に声が洩れそうになる。
――なにしてんだ。
ヤニで汚れた部屋の壁を見て、ベッドの上の自分の足を見た。だらしなく開かれ、時折快感に緊張し、ほんの少しだけ寒さを感じている。捲り上げられた布団に片足を突っ込んで、自分の方からキスを求めた。そのまま首筋を吸い上げて、くすぐったさに笑う声に思わず酔いそうになった。
「KK」
熱っぽく見る目から顔をそむけ、抱き寄せられるままにしがみついた。背中が痛いと文句を言われても、言葉を返す余裕はない。終わりが近く、早く、とKKは思い、まだ駄目だとも同時に思う。
「は…ぁ……、…あ…っ!」
終わりは一瞬だ。背中を震わせながら奴の手に熱を吐き出して、まるですすり泣くような自分の声を聞いた。茫然としながら顔を上げると、奴が軽く唇を触れていった。肩にもたれかかり、まだ意識がはっきりしないまま、KKはベッドの上をみつめている。
力を失ったそれを、奴の手がもてあそんでいる。慰めるように頭を撫でられて、時折過ぎる快感に、また小さく身を震わせた。
熱を吐き出したあとは無性に淋しくてたまらない。涙のにじんだ目を上げると、MZDが小さく笑い返してきた。
「もっとする?」
返答代わりにKKは抱きついた。笑い声が耳元で聞こえたが怒る気にはなれなかった。
何故か不意に榊の姿が思い浮かんだ。ジィさん、なにしてんだろう。そう思いながらKKは奴の耳に噛み付いた。挑発するような仕種にMZDは淫靡な笑いを洩らし、そうしながらも、どこか醒めた目でみつめてくる。
「……なんだよ」
「KK、好き」
濃厚なキスが待っていた。こんな夜なら終わらなくていいのに。そう思って抱きついて、なのに目を閉じたKKは、今誰と居るのかを一瞬だけ忘れている。
夜を縫う/2007.11.14