俺ってばジィさんにあんまし信用されてないみたいで、ここ数年はヘルクリーンからのお声がかかることもめっきり減ってきた。裏は勿論、表の方も。
いたいけな十代の少年をいきなし裏稼業に引っぱり込んでおいて、使えないとわかったら惜しげもなくポイなんて、ちっとばかしひどくね? とは思うものの、実は裏を干されてホッとしたのも事実だった。
『おめぇはやめとけ』
ヘルクリーンに入って三ヵ月も経っていない頃だったと思う。掃除仕事の最中に、ジィさんがぽつりと言った。
あまりに唐突だったから、直前の休憩中に話していた「女の子の居る店に遊びに行こう!」のことかと思って、『なんで!?』って素でビックリしちゃったよ。
そりゃ確かに俺未成年だしね、でもさホラ、溢れる欲望をそのままにしとくと危ないでしょ? こういうのは適度にガス抜きしてかないとね……ってあわてて言い訳したら、そうじゃねぇよ馬鹿野郎って笑われた。
ジィさんからしてみたら、俺は「とてもじゃないけど無理」なんだって。
人殺しみたいな「器用なこと」は、とてもじゃないけど「無理」だ、って。
さすがにむかついたよ。当たり前じゃん。やってみたこともないのに(って、そんな簡単に出来ることでもないけど)、なにが無理なんだよってさあ。
でも、ジィさんがそう言うんならお前は駄目だって、当時の先輩にも言われちゃった。
納得いかなかったけど、結局引き下がった。だってみんなおんなじ目してるんだもん。ジィさんも、先輩も、周りの奴ら全員。
知らなくていい世界ってのはホントにあるんだぞっていう目。
勿論納得いかなかったよ。なんか子供扱いされたみたいで、すっごくむかついた。だけど、いつだか先輩が話してくれたんだ。お前見てるとかわいそうになるんだ、って。
――みんなが捨ててきちゃったもの全部、今のお前が持ってるんだよ。一度捨てたら一生取り戻せないものを全部。それをさ、二度もなくしたくないだろ。
みんなお前がかわいいんだよ、頼むからわかってくれよ――なんて、そんなこと言うんならさぁ、なんで最初っから……。
俺、二週間労働放棄しました。やけ酒飲んで遊びまくって、なんかもーどーでもいいやーって感じだった。
ホントはもっと遊んでるつもりだったんだけど、十日過ぎた頃から遊んでるのにも飽きちゃってね。事務所に連絡入れて、のろのろ掃除仕事(いわゆる「表」稼業ですね)に顔出し始めたんだ。
朝、現場でジィさんと顔合わせた時の怖さったらもう。
ずっとなにも言わないで俺の顔じとーって睨んでるの。周りの奴らも、俺がずっとサボってたの知ってるから、なんにもフォロー出来なくてね。
とりあえず謝んないといけないかと思って、すんませんでしたって言って頭下げた。ジィさんの足元みつめて、なんか怒鳴られるんだろうなーまぁしょうがないかー、なんて思いながら。
でも、どんだけ待っても、ジィさんはなにも言わなかった。それで、あれ? なんて思って顔上げたら、いきなり殴られた。横っ面。誰かさんと一緒。
身構えてなかったから体勢崩して作業車にぶつかって、でも周りは誰も動かなかった。俺は顔いてぇーってか頭も打ったしーとか、グラグラするなかで考えてたら、ジィさんが静かな声で言ったんだ。
『おめぇの代わりは山ほど居るんだぞ』
って。
俺、なんか足が震えた。
自分が甘えてたってことに初めて気が付いた。
世間からしたら、多分掃除仕事ってくだらないものに見えると思う。汚いしきついし給料も安いしで見事に3Kど真ん中。
だけど、それでもこれは仕事だ。この作業の為に誰かがお金を払ってくれてる。それにジィさんの言う通り、俺の代わりはどこにでも居る。
そして俺は、その「誰にでも出来る」掃除仕事さえまっとう出来ずにヘラヘラ平気な顔してた。
なんか、足が震えた。お前には無理だってジィさんが言うのも納得出来た。先輩がああ言ってくれたのは優しさからだ。なのに、なんにも知らずに甘えてた。
俺、「知らなくていい」世界は当然ながら、「知ってなきゃいけない」世界にも気付いてなかったんだ。
そん時、恥ずかしいけど泣いちゃったんだよね。黙ってもう一度頭下げると、ジィさんは俺を無視するみたいに「始めるぞ」って言って歩き出した。
みんながいつも通り気楽に構えててくれるのが嬉しいやら恥ずかしいやらで、なんかもぉ堪らなくってさあ。穴があったら入りたいって、ああいう時のこと言うんだろうなあ。
まあ、そんなわけで俺は未だに――あれから十年以上経ってる筈なんですが、ええ未だに――ジィさんからは信用されてないみたい。元来飽きっぽくて一個のこと続けるのがものすごく苦痛な俺だから、しょうがないかな、とは思うけど。
Kちゃんと知り合ったのはヘルクリーンに入って三年くらい経ってから。
当時の俺と殆ど変わらない年齢で、でもしっかり裏稼業をこなしてるKちゃんが、ちょっと羨ましかった。俺とどこが違うんだろうってすっごく考えた。
無口なとこ? あんまり笑わないとこ? 目の細さ――は、関係ないよね。なんて、色々考えてるうちに、好きになってったような気がする。
まあ、ともかくさ。なんでか知らないんだけど、KK見てると、俺が駄目な理由がわかるような気がするんだ。昔先輩が言ってた、「一度失ったら一生取り戻せないもの」。
それは甘さだったり弱さだったりするのかも知れない。正直俺としてはあんまり喜べない理由だけど、Kちゃんが来るなって言うからあきらめた。
『お前は来なくていい』
Kちゃんが仕事終わって帰ってくるのはたいてい朝方だ。俺がまだ寝てるような時間。
荷物放り出して着替えもしないで、Kちゃんはまっすぐ俺の部屋に来る。そんでベッドにもぐり込んできて、ぎゅって俺にしがみつく。俺がお帰りーって言ってもなにも答えないで、ずっとしがみついている。
そういう時思うんだ。
Kちゃんってなにがあっても動じないし、全部なんでもないみたいにこなしてるけど、実は結構ぎりぎりのとこでやってるんじゃないのかなって。
ジィさんとか先輩とか、裏稼業の人たちとも普通に接してたからあんまり感じたことがないんだけど、みんながやってるのは犯罪だ。人を、殺してる。
俺に出来たかどうか、今となっては自信がない。Kちゃんが止めるからって言い訳してるけど、もし誰も引き止めなかったら、俺は素直にそっちへ行けたかな?
俺にあってKKにないものってなんだろう。俺が知らないでKKが知ってるものってなんなんだろう? 俺たち二人ってどこか似てるけど、でもやっぱり違ってる。その違いに戸惑うし、だから惹かれるし、時々いらついたりもする。
ある意味でKKは、そうなってたかも知れないもう一人の俺だ。その俺が『来なくていい』って言うんだから、多分知らなくていいことなんだろう。
だけどやっぱり知りたいよ。興味あるもん。Kちゃんのこと全部。いいとこも悪いとこも、かわいいとこもそうじゃないとこも、みんなみんなみぃーんな。