部屋の間取りは2LDK。
ケイは部屋が二つあればいいよなどと簡単に言っていたが、俺が台所の広さにこだわった。それに二人で暮らすとなれば嫌でも顔を突き合わせることになる。それなりに距離が取れないと俺が我慢出来なくなると思ったのだ。
保証人の都合で借り主はケイの名前になっている。勿論金は半分ずつ出した。今も毎月の家賃と水道・光熱費は折半している。食費に関しては結構曖昧なところがあるが、自炊をする時は俺が好きに買い込んで作るし、外で食おうとあいつが誘えばたいていは奢ってもらう。それ以外は各自好きにやっている。
こういうシステムを提案して実行に移させたのはケイだった。あいつは意外と几帳面なところがある。本当に意外だが。
「Kちゃ〜ん」
ベッドに寝転んで本を読んでいると、部屋のドアがノックされた。俺が横になったまま、なんだと返事をすると、静かにドアが開いてケイが顔をのぞかせた。何故か心配そうな表情で、「もう寝ちゃう?」と訊いてくる。
俺は時計を見て、まあそうだなと答えた。日付は変わって深夜一時。あらためて時刻を確認した時、こいつがこんな時間まで起きていたことに少し驚いた。そういえば明日は休みだとか言ってたな。俺は体を起こしながら思い出していた。
「あのさ、」
「なんだよ」
「……一緒に寝ない?」
俺の部屋で。
ケイはそう言ったあと、緊張した面持ちで俺をみつめた。
ちなみに部屋の広さは六畳と七畳半で俺が六畳の方を使っている。ベッドを入れるとかなり空間が狭められ、そこに棚だのなんだのを入れると、殆ど床が見えないような状況になってしまった。
それでもさほど支障はない。何故って、年の半分以上はケイの部屋で寝ているからだ。
俺は本を閉じてベッドを下りた。ドアのところまで行くと、待ち兼ねたようにあいつが俺の手を握り唇を押し付けてきた。照れた笑いをひとつ見せてから、こっち、と俺の手を引く。
一緒に暮らし始めて一年半が過ぎた頃、ケイはベッドをひと回り大きな物に買い替えた。こいつは意外と几帳面なのだ。本当に意外だが。
俺が初めてジィさんに会ったのは確か十五ぐらいの時だった。
その頃の俺は掻払いをして暮らしていた。親が居なくて養護施設で育ったのだが、中学二年の時、施設に居るのが嫌になって脱走した。一週間で、やっぱりやめときゃ良かったかなと後悔したが、ひと月も過ぎると、まあこれも有りかと思えるようになっていた。
施設を出てすぐ、かなり歳のいったヤクザと知り合いになった。ヤクザと言ってもうだつの上がらない三下で、若い頃兄弟分となった相手が出世したお陰でのらりくらりと暮らせているような奴だった。
確か池袋でカツアゲをしようとしたのだ。ヤクザだとはこれっぽっちも思わなかった。ナイフを向けられて怯えながらも、行くとこねぇんだったら俺んとこ来いと言われ、実際泊まる場所などなかったから素直についていった。
そうして、気が付いたらそいつの手下ってことにされていた。
競馬場でのコーチ屋の手伝いだの日雇い失業保険の不正受給だの、シノギとも言えないちゃちな仕事ばかりやらされた。まあそれはそれで面白かったし、一応飯は食わせてもらえたから文句はなかった。
唯一嫌だったのは、どうにも日銭が稼げない時の最終手段だ。例の出世した兄弟分のところへ連れて行かれて、「俺ぁいいんだが、こいつにひもじい思いさせるのが忍びなくってなあ」と金を無心するのだった。
俺をダシに使うんじゃねえ――金を受け取るそいつに無理やり頭を下げさせられながら何度も思った。
兄弟分だという組長の憐れむような目と、その舎弟たちが陰で嘲笑っているのを知りながら、そいつは平然と金を受け取る。てめえはそんな風にたかって生きることに馴れ切ってるんだろうが、俺は違う。一緒にすんな。
そんなことが幾度か続いたある日、俺はそいつが貰った小遣いを全部奪って逃げ出した。あいつは追いかけてきたが、勿論捕まえられる筈がない。
もう誰かに命令されたり恩を着せられたりするのは真っ平だ。そう思って、なんとか自力で稼ごうと考えた。が、住所不定の未成年がまともに雇ってもらえるわけがなかった。その結果、どうしても方法は荒っぽくならざるを得ない。いわく、カツアゲに掻払い。
元々背はでかい方だったし、ガキの頃から喧嘩は得意だった。繁華街で似たような奴らと知り合いになり、狭い部屋で雑魚寝をしながら一年ほど過ごした。
ジィさんは最初、俺の獲物だった。銀行で大金を下ろすところをたまたま見かけ、何気なく後を尾けていった。電話ボックスに入りどこかに電話をかけたあと、ボックスから出てきた瞬間を狙ってバッグを奪った――筈だったんだが。
今考えてみても、どこをどう掴まれてなにをされたのか全く理解出来ない。とにかく気が付くと俺は放置自転車の列のあいだに倒れていて、奪った筈のバッグはジジィの手に戻っていた。倒れた時に打ち付けた背中が痛くてたまらなかった。
ジジィは歩道にだらしなく伸びる俺の手首を踏み付けておいてから、一発あごに蹴りをくれた。そうして悠然と俺を見下ろした。
『小僧、小遣いが欲しいのか。それとも食うに困ってんのか』
俺は返事をせずに、ずっとジジィの顔を睨み付けていた。警察に突き出すなら好きにしろと思った。なんの目的もなく施設を飛び出してから二年近く。正直当てのない暮らしにいささか倦んでいた。
なにも答えない俺を見て、ジジィはバッグから札を何枚か取り出し、俺の顔の上に放った。そうして無言で歩き出した。
俺はフラフラと揺れる体をなんとか支え(あごを蹴られたせいで視界も揺れていた)、ばらまかれた札を引っつかんで放り投げた。
『ふざけんじゃねえ!!』
――後にも先にも、あんなに腹が立ったことはなかった。てめえらはいつもそうだ。なにも知らねぇクセに。ただ歳食ってるってだけで偉そうなツラしやがって。
あちこちよろけて通行人にぶつかりながらジジィの後を追った。とにかく一発殴ってやらなけりゃ気が済まなかった。
ジジィは俺の怒鳴り声に気付いて足を止めていた。やっとのことで目の前にたどり着き、胸倉を掴んだ時、
『五日だ』
ぽつりとジジィが言った。
『お前があそこに置きっぱなしにしてる金。あれだけ稼ぐのに五日かかる』
それがどうした。俺の知ったことか。
『みんな金が欲しくて働いている。掻払いも仕事のうちだが――お前がやりてえってんなら、もっと割のいい仕事を紹介してやる』
『……どうせロクな仕事じゃねえんだろ』
『よくわかったな』
そこでジジィは初めて笑い、人殺しだ、とささやいた。
「えー、でもジィさんはいい人だよ〜」
ケイはいつも呑気にそう言う。確かに怒るとおっかないけどさ。そう言って、それでも楽しそうに笑っている。俺もある意味ではそうなんだろうと思う。ジジィの周囲に居る奴らの態度を見ていると、まあ尊敬はされてるんだなと感じることがよくあった。
だけど、善い人間であることと性格がいいことはイコールじゃない。俺は結局ジジィのお陰で今食えているが、だからといって手放しに感謝出来るかというと――そんな訳あるかよバカ野郎が。
十年以上経った今でも、いつかあの時の借りを返してやろうと心に誓っている。少なくともあごを蹴られた分、それから手首を踏まれた分、そして――
その日の夕方、知らない奴のアパートに連れていかれた。なにに使うんだか全くわからないガラクタが入口の脇に山と積まれていた。誰も住んでいないんじゃないのかと思ったが、ジジィがドアを叩くと、なかから背の低い男が一人出てきた。腰の曲がった年寄りで、眠そうに垂れた小さな目でジジィを見ると、「なんの用だ」とぶっきらぼうに訊いた。
「しばらくこいつ預かっててくれ」
ジジィはそう言って俺をあごで示した。っつうか、なんでこうも行く先々で年寄りと顔を合わせる羽目になるんだろうと、俺はいささかげんなりしていた。
腰の曲がったそいつは下の方から俺の顔をのぞき込み、小さく鼻を鳴らしただけだった。俺は無言で睨み返した。ジジィに足を蹴られて、世話になるんだから礼ぐらい言えと命令されて、仕方なく頭だけは下げた。
「仕事はやらせたのか」
男は部屋に戻りながらジジィに訊いた。
「まだだ。明日使ってみる」
道具じゃねえんだからよ。
ジジィは明日の夜迎えに来ると言って帰ってしまった。
部屋は六畳一間の狭いアパートで、なにに使うのかわからないような道具が壁際の棚にきちんと並べられていた。案外部屋のなかはキレイで、ちょっとだけ拍子抜けしてしまった。
「珍しいか?」
男は興味深そうに棚を眺める俺に気付いて、ニヤニヤ笑いながら訊いてきた。
「……なんか作ってんのか」
「おぉ。さっきの野郎はお得意様だぁ」
そう言っておかしそうに笑い、ボロ布に包まれたものをポンと放ってきた。
改造拳銃だった。
……ホラじゃなかったのか。俺は初めて手にしたそいつをいじりながら、弾もあるのかと訊いた。男は、俺は改造だけだと言ってゴロリと横になってしまった。
「飯食いたきゃ勝手に食え。眠ってぇってんなら、布団はそこに入ってる」
押し入れを示してそれだけ言うと、男は部屋の隅に積んである山から文庫本を一冊抜き取って読み始めた。突然現れた居候のことなどどうでもいいという感じだった。
とりあえず喉が渇いたのでペットボトルの麦茶を一杯もらい、グラスと拳銃を持って窓際に座り込んだ。
アパートは木造の二階建てで、男の部屋は二階の通路の突き当たりに位置していた。窓の外には似たようなボロい建物がひしめいていて、もう間もなく日が落ちるというのに、明かりが点いている部屋はわずかしかなかった。
――結局、
こういう場所が俺にはお似合いなのかも知れないな。そんなことを考えながら、狭い路地を照らす外灯のぼんやりとした光を眺めていた。