「どういう人なの」
そう訊くと、その質問を待ってましたとばかりにMZDはにたぁと笑った。
「もぉね、も、すっ――――――――――――――――」
「もういいよ」
「最後まで聞けよ!」
スギは、はいはいとぞんざいに答えて酒を飲んだ。
「も、すっげー可愛いよ。たまんないぐらい可愛いよ。とてつもなく可愛いよ。宇宙で一番」
「会ってみたいね」
「駄目。あれ、俺のだから」
思わず口笛を吹いていた。ここまで手放しにのろけられるとは思ってもみなかった。だけどそんなことを言いながら、MZDの表情はまたすぐに沈んでしまう。
「なんてな」
嘲笑を口元に浮かべて酒を飲んだ。
「んなことが言える相手だったら、こんなんしてないっての」
どうやら傷は深いようだ。
カチャリという音に顔を上げると、早々影が食事を終えたところだった。美味しかった? と聞くと、影は満足そうに笑ってうなずいた。MZDがこんな状態なのに少しも気にする素振りを見せない。ドライだなあと思ったが、それがこの二人の関係であれば口出しする謂れも無い。スギは黙って酒を飲むばかりだ。
「見込みが無いからさ、俺、すっげーずるいことしてんの」
MZDはべったりとテーブルに上体を着け、酒の入ったグラスに向かって話しかけていた。目元に浮かぶ表情から判断して相当酔っているのだろうが、スギは一瞬だけ、これが本当に自分の知っている男かと疑ってしまった。
今までに見たこともないほど、嫌な顔付きをしている。
「弱みに付け込んでさ。……やな男だよな」
「……そうだね」
サイテーだねと言うと、ようやくMZDはこちらを向いた。口元に自嘲の笑みを浮かべて、またぼんやりと視線をさまよわせている。
テレビで短い叫び声が起きた。二人はちらりとそちらへ目を向け、無言のまま酒に戻った。
「どこがいいの」
声をかけると、MZDはのろのろと体を起こした。
「そんな嫌なことしてまで引き止めるほど、どこに惚れたの」
「俺と全然違う」
短く言って、グラスの底に残っていた酒を飲み干した。
「なにかを大事にするのが怖いみたいに、全部平気で捨てる」
そして後悔はしない。まるでそれが当然のように思っている。
「あと気が強くて子供みたいなところ。――もぉさ、たまにホントにガキかお前はって思うぐらい可愛くって意地っ張りでさ」
「はいはい」
のろけなのか愚痴なのかさっぱりだ。スギはぞんざいに言葉を返すと、ピーナッツをつまみあげて影の口に放り投げた。
「別に、俺のこと好きじゃなくてもいいんだけどさ」
自分に言い聞かせるかのように大きく言うと、MZDはあくびを洩らして床に横になった。
「俺が勝手に好きなだけだからいいんだけど。迷惑じゃないんならそれで」
ただね、と神は言う。
「……たださ、どうやったらあいつが幸せになれるんかなぁって考えると、さあ……」
「神様の愛で」
「無理だよ」
望んでない人に無理やり押し付けられないよ、と淋しそうに笑った。そうしてテレビへと視線を向けたが、すぐに目を閉じてしまった。
スギは無言で酒を飲んだ。置いてきぼりにされてしまったようだ。もっとも本人がやけ酒と言っているのだから、こんな風に尻切れトンボで終わるのが正しいのかも知れない。手ひどくクダを巻かれなかっただけ幸いなのだろう。
しばらくして影が毛布を持ってくると、
「影は相手知ってるんだよね?」
と、小声で訊いてみた。影は少し迷ったのちにうなずいた。
「そんなに可愛いの?」
影はMZDの体に毛布をかけながら首をひねっている。答えようかどうしようか考え込んでいるらしい。
「可愛いっつってんじゃん」
「うおっ」
眠ったと思っていたMZDが、不意に体を起こしてスギのグラスを奪っていった。
「すっごくおバカですっげ可愛いよ。かわいそうなぐらい可愛いよ」
そうして、かわいそうと可愛いって同じ意味なんだよな、と笑った。スギはMZDのグラスに新しく氷を入れていたのを、ふと手を止めて考え込んだ。
「え? それはかわいそうだから可愛いの? 可愛いくってかわいそうなの? あれ?」
「あーもー、どっち向いてもバカばっか」
「……それは自分も含めてってことだよね」
「そうだよっ」
俺が一番のバカなんだよ、そんなんわかってるよ――MZDは毛布を抱きしめて自棄のように大声を上げた。
――わかってんだよ。
お前は別に、俺が必要なわけじゃない。
振り向いてもらえないと愚痴を言う権利すらない。絶対に受け入れてもらえないことなど、とうの昔に理解している。
一番の問題は、MZDがわかっていることを、本人が理解していないということだ。
「バーカ。バカバカ、大バカさんめぇ」
誰に向かってなのかわからないままMZDは呟き続けた。言えば言うほど淋しくなり、しまいには唇を噛んでスギを睨みつけ、
「……ちょっと、泣く」
毛布に顔を隠して少し泣いた。スギが困ったように影を見上げたが、影も言葉が無いらしく、肩をすくめるばかりだった。
ソファーに寝転がってヘッドホンからの音楽に耳を澄ませていたKKは、部屋のドアが薄く開いたのをみつけて目を上げた。
「ちわ」
オーナーのMZDがこっそりと顔をのぞかせている。よお、と呟いてKKは再び音楽に戻った。結局、秋口からたびたび店に足を運んでいる。面倒は多々あるが、眠るにはここへ来るのが一番手っ取り早い。
「なに聴いてんの?」
KKはヘッドホンを外して差し出した。MZDは床に腰を下ろし、ヘッドホンを耳に当てて、ああと大きくうなずいている。
「貸してやるよ。俺、もう寝るし」
「えー」
不満げな顔で奴が振り向いた。
「なんでよ。ちょっとお話しようよ」
「やだよ」
「ちょっとだけ」
「なんの話だよ」
「――昔々あるところに……」
「おやすみなさい」
勢い良くタオルケットを引っぱり上げると、抗議するように引っぱり返された。そうして押し問答には意味がないと悟ったのか、今度はソファーの上にまで乗り込んできた。
「も、けぇーけぇーってばあー」
――どこのガキだ。
呆れて言葉も出なかった。眠る為にここに来ているのに(そしてオーナー自らその為に利用しろと言っていた筈なのに)、ただでは眠らせてもらえないらしい。
「……そんな怖い顔しなくたっていいじゃん」
「してねぇよ」
「嘘だ。こーわーいーも」
「うるせぇ」
しばらく睨み合っていたが、やがてどちらからともなく吹き出した。MZDはメガネを外しヘッドホンと共にテーブルに乗せると、どっかりと体を落として抱きついてきた。
「KK」
「あ?」
「KK、好きー」
言葉を口にしたまま動かない。なんとなく据わりが悪かったのでKKは奴の体を引き上げ、背中を抱くように腕を置き、力を抜いた。
首筋にかすかに奴の呼吸を感じた。
ドアの向こうでは音楽が鳴り響いている。相変わらずの夜だ。腕を上げると髪に手が触れたので、そのまま軽く梳いてやった。
MZDが顔を起こしてこちらを見た。それを見返すと、奴は照れたように小さく笑い、そっとあごの辺りに唇を触れてきた。
そうしてまた抱きついてくる。
「KK好き。大好き」
KKは無言で髪を梳いている。そうしてヘッドホンから洩れ出る音楽を、ドアの向こうの騒音から選り抜いて聴き出そうとしている。
何度か体を重ねた。こうして抱き合うのにもあまり違和感を覚えなくなった。だけど奴の重みを感じながらも、KKはそれがなんであるのか、上手く理解することが出来ない。奴の言葉に対する返事が、自分のなかにみつけられない。
虚空の響き/2007.12.23