バカ騒ぎの幕は毎晩上がる。
いまや顔パスとなったKKはフロントを当然のようにすり抜け、カウンターで酒をもらうとそのまままっすぐ部屋へと向かった。それを足止めされたのは、
「KKさんだぁ〜」
後ろから酔っ払ったような声でMZDが抱きついてきたせいだ。
「放せ、うざいっ」
「なんだよぉ、冷たいこと言っちゃってさぁ」
そうして、まるで嫌がらせのようにより一層強くぎゅうとしがみついてきた。結局KKはMZDの体を引きずりながら部屋へと行った。
扉を閉めると騒音は半分以上解消される。いい加減にしろっつうの、と呟いて足を踏みつけると、ようやく腕が離れていった。
「久し振りだってのに、つまんないのなぁ」
「ほかにも歓迎の仕方はいくらでもあるだろうが」
KKは呆れてソファーに座り込む。愛情表現だよ、と言う奴の顔に火の付いた煙草を押し付けたい衝動をかろうじてこらえ、無表情を装って酒をひと口飲んだ。
「今日は残業?」
「……」
他愛ない言葉が何故か気に障った。ジーンズの尻ポケットに突っ込まれているナイフの用途を咎められたような気がして、KKはわずかに視線をそらせながら「人殺してきたんだよ」とぶっきらぼうに答えた。
「お陰で五百万の収入。――人の命ってのは、ずいぶん安く売られてるんだな」
KKの嘲笑に、今度はMZDが黙り込む番だった。KKはその視線を無視して煙草を吸い込み、天井へと向かって煙を吐いてみせた。
「……お前、なんでそんな仕事してんの」
「説教なら聞かねぇぞ」
「違うよ。ただの質問」
隣に腰をおろし、肘掛に背中を預けるようにして横向きになりながらMZDは笑う。
「ジィサンもそうだけど、全然らしくないよなぁって思ってさ」
「……俺の親父が変態だったせいだよ」
「はあ?」
「ジジィはどうなんだか知らねぇけどな」
そう言ってKKは煙草の灰を叩き落とす。
「どこぞの若い女さらってきては、殺して観賞して遊んでたんだよ。死姦までしてたかどうかは覚えてないけど」
父親はいつも「買ってきた」と言っていた。最初はそれが、自分と同じように寸前まで生きていたのだとはわからなかった。街には本当にそういうものを売る店があるのだと思い込んでいた。そうでないと知ったのは榊と出会ってからだ。
父親が部屋に籠もってなにをしていたのかは知らない。なにかを強要された覚えもない。ただひとつ、死体を見て「きれいだね」と毎回言わされたこと以外は。
『――ケイ』
「なんか、手を出したらまずいガキにでも手ぇ出したんじゃないの? ある日ジジィが親父を殺しに来たんだよ」
誰に頼まれたのかは未だに教えてもらっていない。KKも一度も尋ねていない。
『ホラ、おいで』
MZDは言葉を失ったままこちらをみつめている。KKは一度深く煙草を吸い込むと力いっぱい灰皿に押し付けて火を消した。
『かわいいだろ。お前と同い年の子だよ』
――きれいだね……。
「そんで、そのままジジィのとこで育って、みっちり色々教え込まれて今に至る、と」
「――育ててもらった恩返し?」
「そんなんじゃねえ」
「じゃあなに、復讐の隙でもうかがってるわけ?」
KKは思わず苦笑した。
「金にもならないのに、なんでジジィ殺さなきゃなんないの」
なんだってこいつは今日に限ってそんなことを訊くんだ、とKKは内心イライラしながら酒を飲む。放ってあったタオルケットを首までかぶり、反対側の肘掛に背中をもたれかけて、眠い目でMZDを見た。
「お前にゃ関係ねえだろ。別に迷惑かけてないし」
「……そうだけど」
そう言ってMZDは、断わりもなしにグラスを持ち上げると酒を一口飲んだ。そうして、
「人殺す時ってどんな気持ち?」
「別に」
KKはまだ眠い目でMZDをみつめている。
「前にも言ったろ。掃除と同じだよ。誰かが汚れを落としてくれって言うんだ。俺はそこをきれいにする。――それだけ」
「かわいそうだとか思ったりしないわけ」
「しない」
全ての人間は自分とは違う世界で生きている。自分の知らないものを見て聞いて感じて、自分とは無関係にそこに居る。
向こうの世界へ行けるのは、唯一殺しに行く時だけだ。そこで初めてKKは存在し、終わったらまた居なくなる。誰にとっても自分は道具であり、それは昔から続いている。
それを聞いたMZDは、しばらく考え込んだあとで小さく笑った。
「淋しい人生だなあ」
KKも同じように笑い返す。
そうして腕を伸ばすとMZDの胸倉をつかんでソファーに引き倒した。首元に腕を置いたまま体重をかけ、身動き出来ないようにしておきながらポケットのナイフへと手を伸ばす。
「……お前さ、」
なにが起きたのかわからないというように、MZDはぽかんとした表情でこちらを見上げていた。
「最近、ちゃんと自分の足で歩いてるか?」
引きつった笑いが喉の奥から洩れる。
「空ばっか飛びすぎて、人のこと見下すのに馴れちまったんじゃねぇの」
「……」
今まで個人的な理由で他人の命を奪ったことはない。――少なくとも奪ってはいない。そもそもこの男を刺したところで死ぬことがないのはわかっているが、それでもKKの手は無意識のうちにナイフを構えていた。
しばらく無言でみつめあったあと、KKはゆっくりとソファーから降りて立ち上がった。そうして残っている酒を静かに飲み干すと部屋を出た。
MZDはあとを追いかけるでもなく、ただじっと、閉められた扉をみつめていた。
翌日、KKの勤める清掃会社の事務員だという女性が、MZD宛てに荷物を持ってきた。会社の名前が印刷された事務封筒に入っていたのは札束だった。
「あたし、よくわかんないんですけど」
部屋代だって言っておいて、との伝言である。
そんなつもりは毛頭なかったし、あんな物置のような場所を借りるにしては大金過ぎる。だが絶対に渡してこいとの命令らしく、返そうとすると「あたしが怒られます」と強く拒絶された。
「……わかった。ありがと」
MZDはそう言って笑い、封筒に「俺様の!」と書いて金庫に放り込んだ。
それから毎月、KKから金が届けられるようになった。金庫には封筒が幾つも溜まっていった。本人は今までと変わりなく店に来るが、冬になった今でも、まだ一度も言葉を交わしていない。
フグVSハリネズミ/2006.09.06