そもそも初めから教えてやるつもりもない。そんなことを言ったら、きっとKKは怒る。怒るだけじゃなくて軽蔑される。多分、二度と会ってくれなくなる。
「……どうもしない。ただ知りたいだけ」
 榊の不審そうな視線が飛んでくる。返事に詰まって目をそらせた。
 MZDは人間の生き死にに関与しない。世界を変えられるわけでもない。世界は生きるもの全ての為にあり、自分はそれを眺めているだけだ。
 榊がいつか死ぬと決めたのなら、自分はそれを止められない。生きると決めたことを覆せないのと同じように。
 いつも、世界は遠い。
 吐き出された煙の行方を眺めたあと、不意に悲しくなってMZDはうつむいた。
「俺、多分あんたのことが嫌いなんだ」
 上着のポケットに両手を突っ込んで呟いた。榊は顔を上げて、ほお、というようにわずかに目を見開いた。
「結局あんたはKKの人生で一番大事なとこに居るだろ。普通親ってそういうもんだと思うよ。いいにしろ悪いにしろ、子供に一番影響与えてる」
「まあ、そうだな」
「……あんたが、中途半端にいい人だからさ」
 死に損ないの子供を拾い、衣食住を与えて育て上げた。教育を施して殺し屋にした。道具としてKKを扱うクセに、その性能の良さを信頼している。
 「所詮は他人」とお互いに言いながら、その「他人」をどこの誰よりも強く思っている。
 だけど、俺だって「所詮は他人」じゃないか。――なにが違うんだ?
「なんでとっとと死なないの? あと二年のうちになにすんの?」
「……」
 榊が不快そうに眉をひそめた。もうやめようと思うのに、何故か言葉が止まらない。
「なんであん時戻ってきたの? せっかくKKがあんたのこと殺そうって踏ん切り付けたのにさ、なんでわざわざ戻ってきたの?」
「……なあ、」
「あんた居なくなったあとKKどうすると思う? 言っとくけど俺はなんもしてやれないよ? ってか、KKの方が嫌がるもんさ。あいつバカだけど意外とプライド高いんだ。それにあいつが抱えてるしがらみなんてあんたのことしかないだろ? ないよな!?」
 ――俺のことなんかこれっぽっちも。
 わずかに風が吹いてハンガーが軋むような音を立てた。我に返った瞬間、困惑顔の榊が目に飛び込んできた。彼はやれやれと言いたげに小さく首を振り、
「戻ってきたのは、一発殴ってやらんと気が済まなかったからだ」
 そう言いながら、足元に置いた灰皿で煙草をもみ消した。
「とっとと死なないのは、あの時あいつが私を殺さなかったからだ」
 火が消えたことを確認すると、榊は灰皿を部屋に戻した。
「君はよくわからん人だな。あの時はあいつに『殺すな』と言ったり、今度は私に『早く死ね』と言ったり」
「……早く死ねなんて思ってないよ」
「そうか?」
「そうだよ。……ごめん、言い過ぎた」
 今更のように後悔の波が押し寄せてきていた。でもどう取り繕っても、口から出た言葉は取り戻せない。誤魔化す為にメガネをずり上げ、乱暴に口元を拭う。
「職業柄、恨まれるのは馴れているが」
 わざとらしくこちらをみつめたあと、榊は一度大きなため息をついた。
「さすがに面と向かって『死ね』と言われるのはキツイなあ」
「だから思ってないって! 違うよ……!」
 ――だからやめとけって言ったのに。
 影が叱るみたいに呟いた。
 わかってたけど。
「……」
 KKがなにも言わないのも、言わないクセにずっと不安そうな顔してるのも、不安そうな顔してるクセに笑ったり悪口言ったり普通にしてるのも、それは、大本の原因は榊にあるけど榊のせいじゃない。
 わかってたよ。わかってたけどさ。
 なにか言わなければいけないのに、思い付く言葉は全部言い訳になってしまう。MZDはうつむいてこぶしを握りしめ、次から次へと言葉を探した。
 イライラと足を叩き、謝ろうと思って顔を上げたとたんに、言葉が喉の奥で固まっていく。自己嫌悪の為に込み上げる吐き気をこらえて、ようやく言えたのが、ごめんというひと言だけだった。
「……ごめん」
 駄目な神様。
「――悪かったよ」
 言葉に続いて、小さく吹き出す音が聞こえた。のろのろと顔を上げると、何故か榊がおかしそうに笑いながらこちらを見ていた。
「冗談だ。そんな本気に取らんでくれ」
「……」
「くたばれだのなんだの、そんな台詞は何万回と言われてる」
 多分KKに、だ。MZDは口元を歪めてぎこちなく笑い、へえ、と呟いた。
「口の悪さはジィさん譲り?」
「いや、あれは周りの友達が悪いんだな」
 絶対そうだと言って榊はうんうんうなずいている。その姿がひどくおかしくて、MZDは思わず苦笑した。
「帰るよ」
「そうか」
 座ったままの恰好で宙に浮き上がり、ふと思い直してベランダの手すりに足を乗せた。
「俺、やっぱあんたのことは好きじゃないみたい」
「……そりゃどうも」
 榊は煙草に火を付けて軽く肩をすくめた。
「でもKKはあんたのこと大事に思ってるから、その気持ちだけは尊重してる」
「……」
「じゃあね、パパ」
 吸い込みかけた煙をおかしな風に吹き出してむせている。その姿に笑って手を振り、MZDは空へと浮かび上がった。
 地表近くに半月が浮いている。MZDは仰向けになるようにしてふわふわと空中をさまよった。こっそりと影が姿を現して、こっちを見ているのがわかった。片目を開けると、叱るように、あるいは心配するように、みつめていた。
「……へへー」
 弱々しく笑い返したとたん、ちょっとだけ涙が出た。自己嫌悪。俺ってば、ホント最悪。
 そうして最悪ついでに我慢が出来なくて電話した。口実はなんでも良かった。会えればなんでも。
 だけど、そうやって無理やり引っぱってきたKKは眠そうな顔をしている。そりゃそうだ。今日もお仕事、明日もお仕事。結局俺は、自分が淋しいってだけでみんなを巻き込んでいる。ホント最悪。
「帰ろっか?」
 山頂の東家での休憩中、そう訊いてみた。眠そうな目が同意を伝えてきた。MZDは苦笑して立ち上がり、KKの体を抱えるとそのまま浮き上がった。
「なんでこの体勢なんだよっ」
「いいじゃーん。一度やってみたかったんだよねー、お姫様抱っこ」
「……最悪」
 うん、知ってる。
 しかし意外にもKKはおとなしく抱かれてくれていた。宙に浮いて、落ちたら後がないとわかっているからだろう。命綱を付けるわけにもいかない。
「お前、今日どうすんの?」
 風が冷たいと言って手をこすりあわせながらKKが訊いた。
「どうって?」
「帰んのかよ」
「……え、や、あの」
 かすかに期待してはいたが、なんとなく後ろめたくて即答出来なかった。迷っている姿を、KKは無言でみつめている。そしてとうとう痺れを切らしたのか、突然大声を張り上げた。
「あと十秒以内に返事がなければ問答無用で断固拒否! はい、じゅーう、きゅー」
「わー待った待った! 泊まる、泊まります! ってかお願いだから泊めてください!」
「最初っからそう言えよ」
 不機嫌そうに呟くとMZDに体を預けて力を抜いた。そのまま目を閉じてしまう。MZDは嬉しいような悲しいような、おかしな心持になり、一度だけ、力を込めてKKを抱きしめた。


 脱ぎ散らかした服が月の光に照らされている。
 今日の奴はいやに静かだ。ずっとなにも喋らない。聞こえるのは互いの息遣いばかりで、それが逆に恥ずかしい。
 髪の毛をまさぐると、不意に抱き寄せられた。快感に身を震わせながらキスをした。唇を離しても、洩れるのは吐息だけ。
 静かで怖くて、なにか言いたくなる。
 思わず好きだと言いたくなる。


駄目な神様/2009.03.13


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