受話器を置いた益田がこちらに振り返って手招きをした。月本は客にグラスを渡すと「ちょっと失礼します」と笑いかけて席を立った。
「指名。泊まり指定」
『桜木町「シルク」 佐久間』
 店の電話番号も一緒に載っている。迷った時の為らしい。
「行く気、ある?」
「注文受けちゃったんでしょ」
 月本は紙を受け取って苦笑した。ここしばらくのあいだ、あからさまにやる気の無さを見せていたので、益田も心配してくれているらしい。
「ありがと。…行ってくる」
 席に呼んでくれた客に断りを入れて月本は店を出た。
 風はないが、夜の空気は凍えるほどに冷え込んでいた。上着のなかで身をすくませて、とぼとぼと道を歩き、電車で指定場所へと向かった。
 店は駅から数分のところにあった。入口で佐久間の名前を告げると個室へ案内された。
「いらっしゃーい」
 佐久間はソファーに腰をおろし、少し酔っ払ったような口調でそう笑った。この前と同じように萩原が同席しており、店の女が二人ついている。佐久間が目配せをすると萩原は立ち上がり、女たちを連れて個室を出ていってしまった。
「まあまあ、駆けつけ一杯」
 酒を作ってグラスをぶつけた。佐久間は既にだいぶ飲んでいる様子だった。酔っ払うなんて珍しいですねと笑うと、
「まあなぁ、ちっとなあ」
 月本の髪の毛をもてあそびながらまた笑った。
「なにかいいことでもあったんですか?」
「逆だよ」
「え?」
「――いや、逆でもねえんだけどよ」
 そう言って佐久間は手を離すと酒を一口飲み、煙草をくわえた。月本はライターを拾い上げて火をつけながらうかがうように佐久間の顔を見た。
 なにを考え込んでいるのか、ふと真剣な表情になる。
「俺も情けねえよなぁ」
 そう言って自嘲するように小さく笑った。
「酔わなきゃ怖くて聞けないんすよ」
「……? なにを?」
 また佐久間の手が伸びてきた。髪の毛を引っぱり、指に絡ませてはまた放す。なにかを考え込むような表情は相変わらずだ。
 ひどく緊張した空気を感じたが、恐ろしいとは思わなかった。射るような眼差しをじっと見返しながら、不意にこの男の全部を知りたいと月本は思った。どんないきさつがあって今の地位に就いたのか、子供の頃はどうだったのか、どんな家庭環境で育ってきたのか。何故ヤクザになったのか、大事に思う人は居るのか。
 自分のような立場の人間が、それら全ての答えを得られるとは思えなかった。普通に付き合っていたとしても全部を知るのは無理だろう。告白する勇気が出ないのは、その事実を突きつけられるのが怖いからだ。言わなければ笑っていられる。答えを出さなければ、もしかしたらと期待を抱いていられる。
「お前、付き合ってる奴、居んのか」
 不意に佐久間が聞いた。月本は思いがけない質問に驚きながらも首を横に振った。
「じゃあ惚れてる奴は?」
 心臓が一度大きく打つ音が聞こえた。
「……」
 佐久間は急かす様子もなく、じっと返事を待っている。
 月本はうつむき、グラスを握りしめたまま、
「…居ます」
 呟くようにしてそう答えた。続きを、と思うのだが、口のなかがカラカラに渇いてしまって上手く舌が動かせなかった。決断の勇気をどこから搾り出したらいいのか想像もつかない。それでも、言わないでいるよりはマシだ、そう決意して顔を上げた瞬間だった。
「そっか」
 佐久間の手が離れていった。
「じゃあ、しゃあねえな」
「え…」
「ご苦労さんでした。本日のお仕事、これにてしゅうーりょー」
 そう言って佐久間は背中を押してくる。つられてグラスを置き、立ち上がりながらもわけがわからずに振り返った。
「あの…?」
「――なんも後腐れがねぇんだったらよ」
 煙草の煙を吐き出しながら佐久間が言う。
「囲い者にでもしようかと思ってたんだけどよ。惚れてる奴が居るんじゃあ、しゃあねえやな。俺も馬には蹴られたくねえからよ」
 そう言って、ばいばーい、と手を振った。
 ――なんだよ、それ。
 月本は呆気にとられて二の句が継げずにいた。
「早く出てけよ」
 既に佐久間は視線をそらせて、ちらりともこちらを見ようとしない。
「金はあとで店に持ってかせっからよ。十万もありゃあ足りんだろ」
「……」
「今から帰りゃあ、もうひと稼ぎ出来んじゃねえの?」
 突き放すような冷たい言葉が、もう殆ど猶予の残っていないことを教えていた。月本は意を決して口を開いた。
「あの、……お願いがあるんですけど」
「金か?」
「違いますっ」
 やっぱりそんなふうにしか見られていないのかと悲しくなった。それでも月本は心を落ち着けて、うつむきながら言葉をしぼり出した。
「…そばに置いてもらえませんか」
「……」
「お願いします」
 かすれるような声でそう言って月本は頭を下げた。これがもし金の為だと思われたとしても、それでも構わなかった。言わずに死ぬより、ずっとマシだ。
 佐久間は無言でソファーを叩いた。顔を上げると、あごをしゃくり、座れと命令する。緊張と混乱で上手く動けないまま月本はソファーに腰をおろして、お願いしますともう一度言い、頭を下げた。
 すぐそばに顔があるのに怖くて目も上げられない。
 気が付くと佐久間の手が髪を梳いていた。月本は背広にしがみつき、目をつむり、ありったけの勇気をふりしぼってその言葉を口にした。
 好きなんです――。


「――あんときゃあ、かわいかったよなあ」
 佐久間は時々、当時のことを蒸し返してそう笑う。
「まだ初々しさっつうのがあったよな」
「じゃあ今は?」
「――父さん、お前をそんな風に育てた覚えはないぞ」
「育てられた覚えもないよっ」
 泣き真似をする佐久間の背中をぺしゃりと叩いて、月本はベッドにもぐりこむ。
「だいたい、そんなすっごい昔みたいな話し方しないでよ。まだ一年ちょっとしか経ってないんだから」
 そうしてこの先、あとどれだけ一緒に居られるのか、なにも確かなものはない。もしかすると明日には呆気なく終わってしまうのかも知れない。
 それでもあの頃のように、勇気のない自分を嘆き続けているよりはマシだった。少なくとも今はそばに居てくれる。そばに居て熱に触れ、その匂いを嗅ぎ――それで充分幸せだ。
「しっかし、オメーも変わってるよなぁ」
 ベッドに横になって月本の体を抱き寄せながら佐久間が言う。
「なにもわざわざ、俺みてぇなヤクザもんに惚れなくたっていいだろうによ」
 てっきり断わられると思っていたそうだ。もしくは金目当てに「飼われる」ことを承諾されるかの、どちらかしか考えていなかったのだという。
『好きなんです』
 まさかそんなことを言われるとはつゆとも考えていなかったと。
「そんなこと言ったって、しょうがないじゃん」
「あにが」
「ヤクザだろうとなんだろうと、学さんが好きなんだからさ」
 有無を言わさず犯られた。


似たもの同士・後編/2005.05.07

2006.04.03 一部加筆訂正


back 組事務所入口へ