唇を離すと、孔がスマイルの腕に手を置いた。そのままなにかを考え込むように、しばらくうつむいていた。ふと顔を上げたので、どうしたの? そう尋ねるように首をかしげると、背中に回していた手を引き寄せてそっとスマイルの首に両手をかけた。
 指でえりあしをもてあそびながら、また唇を寄せてくる。
 ――なんていうか、……
          ……懐かしい感じだな。
 こちらをみつめる孔の瞳は、まるで陶酔したように濡れている。舌先で唇を舐めると、小さく悲鳴を洩らしてスマイルの腕のなかで身じろいだ。ほんの少し怯えたような表情をしながらもまたキスをねだってくる。強く抱き寄せて唇を重ね、舌を滑り込ませると、
「ん…っ」
 鼻にかかった甘い声を洩らし、両手で首に抱きついてきた。そうして舌を絡めあうが、ふとメガネがぶつかってしまって、二人は唇を離す。スマイルは苦笑しながらメガネをはずしてテーブルに置いた。そうして孔の顔をあらためてみつめ、また唇を寄せた。
 かすかに煙草の味がする。
 ――どうしよう、やっぱり気持ちいい……
    ……なんでこんなに気持ちいいんだ…?
 孔の甘い匂いが、汗と共に強く香る。
 ペコじゃないのにと戸惑いを覚えながらも、抱きしめた肩の感触は驚くほどそっくりで、こちらをみつめる孔の瞳はひどく潤んでおり、もはや二人とも自分を止められない。
「ベッド行く…?」
 ささやくと、孔は小さくうなずいた。スマイルはかすかに笑い返して立ち上がり、孔の手を引いた。孔は立ち上がって部屋の明かりを消した。そうしてスマイルに手を引かれるままベッドに倒れ込み、唇を重ね、欲望のおもむくままに激しく舌を絡めあった。
 ――この手のなかにあるのが誰だろうと、
 構うものかと、ほんの少しだけ、投げ遣りに思いながら。


「あんっ、あ…! は…ぁ…! ……あんっ!」
 孔の甘い悲鳴が部屋に響いている。
 ベッドにうつ伏せ、腰だけを高く上げただらしない格好で、スマイルが突き上げるたびに身悶えし、あえぎ声をあげる。シーツを握りしめながら、ただ肉体の快楽に溺れている。
「はぁ…っ、あっ、あ…! …ん、…あん…っ、…っや、」
 深く突き上げながらスマイルはふと孔の背中に覆いかぶさり、うなじを吸い上げた。孔は嫌々をするように首を振り、
「……もお、いやぁ…っ」
 涙ぐんだ声でそう言った。
 スマイルは一旦ものを引き抜き、孔の体を仰向けにした。そうして足を抱えて再び押し入り、唇を重ねた。息を交わしながら孔の体を抱きしめる。
 孔の腕が首にしがみついてきた。荒い息を吐きながら時折苦しげにうめき、そうしながらもすがるように激しく舌を絡めてくる。唇を離してスマイルは乱暴に孔の髪を掻き上げる。そうしてじっと動かないまま、見える筈のない孔の表情をうかがった。
「…月本、」
 苦しそうな声で孔が名前を呼ぶ。
「なに…?」
 スマイルはわざとらしく間延びした声で聞き返した。
「…はやく…っ」
 孔はせがむように腰を動かしてスマイルの髪をまさぐる。熱くなった孔の手をふとつかみ、
「嫌なんじゃなかったの?」
 そう言ってくすくすと笑った。そうしてもどかしげに逃げようとする孔の手をベッドに押し付けて、また唇を重ねた。
「意地悪しないで…っ」
 唇を離すと、鼻にかかった甘えた声で孔がそう言った。自由になる方の手でスマイルの首にしがみつき、「ねぇ…」とねだってみせる。
「そういう時はなんて言うんだっけ?」
 首筋を吸い上げながらそう聞くと、孔が息を呑む音が聞こえた。
「忘れちゃった…?」
「…やぁ」
 孔は顔をそむけて身をすくませる。耳の裏を舌先でくすぐりながらスマイルはじっと返事を待つ。
「ホントにやめる?」
「や…っ」
「どっちだよ」
 苦しげに息を吐きながらも、孔が顔を寄せてくるのがわかった。
「…やめないで」
「……」
「ね…もっと、して…!」
 スマイルは嘲笑うかのように鼻を鳴らして、
「正解」
 そう呟くと、不意に激しく突き上げ始めた。
「あん! あ…っあ、…はぁ…っ!」
「いやらしい声」
「や…っ、あぁっ! あ…んっ、あ…っ!」
 歓喜の悲鳴をあげながら孔はひたすら快楽の波に酔う。そうしながらも何故かふと悲しくなり、スマイルの首にしがみついたまま静かに涙をこぼした。勿論それが暗闇のなかで見える筈もない。二人は肉体が感じる快感だけに熱中し、互いの腕のなかにあるのが誰なのか本当に忘れる瞬間を何度も迎えながら、ただ絶頂を目指して走り続けた。
「はあ…っ…あっ! あ…ぁ…っ、あん…! あ…!」
「気持ちいい…?」
「い……あんっ、…あっ! …ぁ、もっと…して…! ね、もっとぉ……あぁっ!」
「…すっごい淫乱」
 肉のこすれる感触に我を忘れ、スマイルは孔の足を抱えながらひたすら突き上げ、孔は艶の帯びた声で鳴き続ける。時折感極まって、
 ――ペコ、
 ――風間、
 そう呼びかけそうになる瞬間だけ、ふと我に返り、相手が違うのだという現実を思い出す。そうして悲しくなり、それを忘れようと、また快楽に溺れる。
 ――誰だっていいんだ。
 どちらともなくそう思う。
 ――この腕にあってくれれば、それでいい。
 呼びかけることが出来ないのは、お互い様なのだから。
「や…んっ、や…も、駄目、だめぇ…っ! あ…ぁ…っ、あ…っ!」
 ひときわ高い悲鳴と共に、孔は熱を吐き出した。激しく体が痙攣し、それにつられてスマイルも熱を放出する。汗が流れ落ちるのをどこか遠いところで感じながら、抱えていた足をおろし、大きく息を吐き出した。気だるい気分のまま孔の髪に手を差し入れ、唇を重ね、舌を絡めあう。そうしてかすかな煙草の味に、再び現実へと立ち戻らされる。
 それでも荒い息を吐き出しながら孔の体を抱きしめれば、それは求める人の背中とそっくりで、スマイルはどうしたらいいのかわからない。声を殺しながら少しだけ泣いて、泣きながらまた孔の体を抱きしめた。
 誰を想って腕のなかにあるのかなんて、どうだっていい――投げ遣りのようにスマイルはそう思う。
 ただこの体があってくれれば、それでいい。


 …こんなふうにして、「お互い様」の関係が始まった。一度も確かめたことはなかったけれど、相手が自分以外の人間を思いながら自分と抱き合っていることははっきりしていた。それでも求めることをやめられない自分に苛立ちながら、二人はいつも抱き合った。いつまでも抱き合った。

 ――まさか本気で好きになるなんて、思ってもみなかった。


かげろう/2004.05.22


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