ぬるりと滑りこんでくる感触にスマイルは思わず悲鳴をあげた。
「今、なにした?」
「あ?」
 振り返ると佐久間はあぐらを掻いた格好のまま、とぼけたような表情でこちらを見返していた。
「指突っ込んだ」
「そうじゃなくって…っ」
 体内を探る佐久間の指の動きにまた小さく悲鳴を洩らし、あわててシーツをつかみながら息を吐き出した。
「…なんか…気持ち悪い…っ」
「そっか?」
 からかうような佐久間の声にムッとしながらも、背筋を走るしびれに似た感覚にスマイルは言葉を失った。ベッドにうつ伏せになりながら、そういえばなんで電気消してないんだろうと今更のように疑問に思う。
「――なんか、変なものつけてない?」
「別に変なもんじゃないっすけどね」
「なにつけたのっ」
 あわてて佐久間の手を押さえつけてスマイルは体を起こす。佐久間はにやにや笑いながら「ジョンソン、ベビーローショ〜ン」と歌いように言い、小さな入れ物をからからと振ってみせる。
「なんでそんなもの――」
「雑誌で読んだ」
「なんの雑誌だよ!」
「えっちいヤツ」
 さも当然とばかりの口調で答えると、佐久間はわずらわしそうにスマイルの体をベッドに押し付けた。
「痛ぇよりはマシだろうが」
「そうだけどさぁ」
 続けて文句を言おうとして、また快感に言葉を失った。あえぐように息を吸い、小刻みに体を震わせながらシーツを握りしめる。
 不意に佐久間がのしかかってきた。双丘を割って侵入してくる指の数が更に増え、内部で自在に動き回る指の感触にスマイルは小さく悲鳴を洩らし続ける。なだめるように首筋を吸われて熱いため息を吐き、ベッドに頭を押し付けながら目の前のシーツをぼんやりとみつめた。
 やがて指が引き抜かれ、しばしの平穏に安堵して呼吸を整えていると、佐久間のものがあてがわれて一気に突き入れられた。
「は…ぁ…!」
「すげ、いきなり入る」
 まるで他人事のように佐久間は感心し、そのまま奥までずぶずぶと侵入を続けた。人の体だと思ってと怒りを覚えたが、息苦しさに声が出せない。痛みと快感がいっぺんに突き抜け、頭を振りながら正気を保つので精一杯だ。
「やっぱ痛ぇ?」
「…痛いよ」
「いつもよりは楽だろ?」
「聞くなバカっ」
 佐久間はけらけらと笑い、スマイルの頭を撫でながら肩の辺りにキスを繰り返す。そうしてじっとしていると佐久間の熱がひどくはっきり感じられ、意識しないうちに吐き出す息が熱いものへと変わっていく。
 一度ゆっくりと腰を引き、また突き上げられた。やがて肉のこすれる感触にたまらなくなり、小さく声を洩らしながらスマイルは快感の波に乗ろうとする。
 正直、気持ちいい。
 正月以来、二週間に一度ぐらいの割合で佐久間からメールが入るようになった。内容はだいたい一緒で、暇なら飯でも食わないかという誘いだった。どのみち家へ帰っても一人で食事をすることになるのだからと、バイトがない限りはオーケーの返事を出して駅で待ち合わせた。
 飯を食ったり酒を飲んだりしたあと、どういうわけかスマイルの家に佐久間が寄るようになった。どちらが言い出したのか今では覚えていない。そうしてビデオを見たりしてだらだら過ごすうちに、気が付くとこんなことになっている。
「…電気、消さない?」
「消さない」
 毅然とした声で佐久間は答え、一度ものを引き抜くとスマイルの体を仰向けた。そうして再び侵入し、にやにや笑いながらスマイルの顔をおかしそうに眺める。
「これの成果を確かめなきゃですんで」
 そう言って佐久間はつながりあった部分をそっと指で撫でさする。スマイルは大きく悲鳴をあげ、あわてて口を閉じると佐久間の顔を睨みつけた。
「実験かよ」
「そーゆーこと」
 佐久間は悪びれもなくうなずき返し、スマイルの足を抱えてまた突き上げ始めた。
 確かになにもない時よりかは幾分か楽でいいが、苦しいことに変わりはない。スマイルは意地で唇を噛みしめ、それでも時折声を洩らしてしまい、それを聞きつけた佐久間が恍惚の表情でこちらを見下ろしてくる。
 その視線から逃れようと顔をそむけ、そうして誰の為の実験だと思わず聞きそうになり、スマイルはあわてて言葉を飲み込んだ。
「今度お金取るぞ、もぉ」
「売春っすか?」
「人体実験費!」
 言いながらスマイルは手を伸ばして佐久間の口をつねる。痛みに顔をしかめつつ佐久間はその手を握り、
「体で払うから勘弁してくださいよ」
 そう言って唇を寄せてきた。
 スマイルはくすくす笑って佐久間の首に抱きつく。そうして唇を重ね、舌の絡まる感触にまた小さく声を洩らした。
 こんなふうに佐久間と抱き合うことに特別な意味はなかった。それはまるで握手の延長上にあるスキンシップのようなもので、少なくとも親愛の情があることだけは確かだったが、今のところそれ以上のものはみつからない。
 それでも触れる人肌の温もりは心地良く、背中を抱きしめられればそれはまた気持ちがいい。偶然を装いながら求められ、求め返し、そんなふうにして二人は、互いに長いあいだ抱いてきたわだかまりを少しずつ崩していっていた。――時折話題に乗せようとして言葉に詰まる佐久間の恋人の存在だけが、暗黙の了解のうちにタブーになっている以外は。
「ん…っ」
 首筋を舌先でなぞりながら佐久間が深く突き上げる。そうして離れていこうとするのを押さえつけて、スマイルはうかがうように佐久間を見上げる。佐久間は一度スマイルの髪を梳き、どこか嬉しそうに笑いながらまた唇を重ねてきた。


 ――あれ?
 ムー子は道を歩きながら佐久間の部屋に明かりがないことに気付いて思わず足を止めた。不意にクラクションにあおられて小さく悲鳴をあげ、あわてて道端によける。そうして腕時計に目をやり、
 ――まだ帰ってないんだ。
 せっかく来たのにと、小さくため息をつく。
 三月も半ばだが、夜はまだ寒い。スカートのなかで足を縮こませ、とりあえず部屋の前まで行って呼び鈴を押してみたが、当然のように反応はなかった。
「んー…」
 ――どうしよう。
 今夜は別に約束をしているわけではない。決算の時期なせいかお互い仕事が忙しく、週末に会う回数も減っていた。今日は珍しく早く上がれたので、少し顔でも見に行こうと不意に思い立ってやって来たのだ。
 やっぱり先に電話すれば良かったなと、ムー子は今更のようにバッグのなかを探った。そうして携帯を取り出しながら、もしまだ仕事中だったら悪いかなと、ふと手を止めた。
 携帯の画面を開いてドアに寄りかかり、そのまま座り込む。発信記録のなかから佐久間の名前を探しつつ、なぁんか最近マー君冷たいよなぁと思わずぼやいた。
 忙しいのはお互い様だから仕方ないのだろうが、ここずっと、連絡を入れるのは自分の方からばかりだ。たまに電話をかけてもどことなく返事が素っ気無く――以前からそういう傾向はあったけれど――そんなことが続いているとさすがに不安になってくる。
 ――もしかして、あたしに飽きた?
「それは嫌ぁ」
 思わず声に出してしまい、あわてて辺りに人が居なかったか確認する。そうして誰も居ないことが確かめられると、ムー子は更に小さく縮こまり、吹きつける風に誘われて夜空を見上げた。
 今夜はやけに星がきれいだ。月の姿はどこにもなく、風に吹かれて星は輝いていた。
 こんなきれいな晩に、一人きり。
 ――むなしすぎる。
「マー君のバカ」
 小さく呟いてムー子は携帯をしまった。そうして立ち上がり、それでも駅へ戻る気にはなれず、しまったばかりの携帯をまた取り出した。
 少し迷ったのちに、佐久間の番号を探し始めた。


 風呂場で鳴るくぐもった音を聞きながら、佐久間はぼんやりと天井を見上げつつ煙草をくゆらせている。
 本当ならベッドに寝転がったままだらだらしていたいのだが、部屋が煙草臭くなるからとスマイルに蹴るようにして追い出されてしまう。仕方なく佐久間は居間のコタツに足を突っ込んで情事の余韻にひたるというわけである。
 情事。
 ――なんか、色気のねぇ突っ込みだけどなぁ。
 ふと身を起こして壁にもたれかかり、煙草の灰を叩き落した。
 そもそも男とヤルのはどうよ、と自分でも思ってしまう時があった。生まれつきものが付いてしまっているので穴があれば入れられるのは仕方がない。しかし相手がよりによってスマイルとは。
 ――どうよ、自分。
「あー、さっぱりした」
 タオルで頭を拭きながら風呂場からスマイルが出てきた。台所でグラスにジュースを注ぎ、「アクマもいる?」と聞いてくる。
「いる」
 さすがに他人の家の冷蔵庫は勝手に開けられない。目の前にオレンジジュースの入ったグラスが置かれ、佐久間は煙草をもみ消して口をつける。
 スマイルも同じようにジュースを飲みながらコタツに入り込んできた。そうして大きく息をつき、また髪を拭き始めた。
「…なんか、まだ残ってる気がする」
 もぞもぞと座り心地が悪そうに腰を動かしてスマイルが呟いた。
「俺が掻き出してやろっか?」
「ふざけるなっ」
 やや曇り気味のメガネの奥で、眉間にしわを寄せながらスマイルは佐久間の横っ面をはたく。痛みに顔をしかめ、佐久間はその手を握るとふと顔を寄せた。
「やっぱ後始末は大事だかんなぁ」
「そりゃあ、不快にさせられた責任は取ってもらわないと駄目だけど」
「不快でしたか」
「…ちょっとね」
「すっげ気持ち良さそうな顔はしてたんすけどねぇ」
「うるさいなあ」
 だから電気消せって言っただろうとぼやいた口をふさぎ、そのまま何度か口付けを交わす。スマイルの顔を盗み見ながらそっと手を握り、握り返される感触に佐久間は陶然となる。
 少なくとも、
 ――こうしてんのは気分悪くねぇんだよな。
 昔に比べてスマイルの笑顔を見ることが多くなった。基本姿勢の仏頂面は相変わらずだったが、だからこそ時折洩れる笑顔が嬉しい。それが自分に向けられたものであればあるほど喜びは強くなっていく。
 ――なんか、おっかしいのな。
 恋でもしているみたいだ。


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