カーテンを閉めても部屋は明るいままだ。
一応遮光カーテンではあるけど隙間から光が射し込んでしまい、完全に真っ暗にするのは不可能だった。スマイルは少し嫌そうな顔をしていたが佐久間は無視した。問答無用で布団に押し倒し、唇を重ねてシャツを剥いだ。どのみち時間が経てば互いにわけがわからなくなってなにも考えられなくなる。事実今の佐久間は、やべー、イキそうかも、うわやべぇやべぇと、そんなことばかりを考えながらじっとスマイルの顔を見下ろしている。
佐久間の首に両手をかけて突き上げられるたびにうめき声を洩らし、わずかに涙ぐんだ目でスマイルはどこかをみつめていた。位置からいって鎖骨の辺りか? いやもちっと上の方かと、佐久間はなるべくどうでもいいことを考えようとした。その視線に気付いたのか、ふとスマイルが目を上げて「なんだよ」と呟いた。
「なんか、今日は余裕じゃないっすか」
「…どうでもいいだろ」
不機嫌そうに言った瞬間、不意を衝かれたのか大きく嬌声を洩らした。スマイルは顔をそむけて片手で口をふさぐ。佐久間は動きを止めるとその手を無理やりに引き剥がし、正面を向かせて唇を重ねた。
首にかかったままの手が佐久間の体を強く抱き寄せて背中を引っ掻く。絡み合わせた舌は快楽を求めてうごめき、息を吐きながら唇を離すと、ねだるようにまた抱き寄せられた。
そうして唇を離せば、いつもの照れた笑いが口元に甦る。
「…なんか、明るい時間にこうしてるのって、変な感じだね」
「そっか? 健康的でいいじゃないっすか」
「どこがだよ」
スマイルはくすくすと笑いながら佐久間に取られた手を組み合わせてきた。
空いた手でスマイルの髪を梳くと、佐久間はまた腰を引いて突き上げ始めた。とたんにスマイルの顔が快楽にゆがむ。嬌声を抑えようとする気配が見えるたびに佐久間の動きは激しくなり、しまいにはなにも考えられないまま、互いの熱だけを感じている。
握り合わせた手からは力が抜け、代わりにもう一方の手が首から背中にかけてをひっきりなしに引っ掻いていた。その痛みが大きくなればなるほど佐久間も強い快楽へと引きずり込まれ、スマイルの悲鳴がまた繰り返される。
いつまでもこんなふうに、なにも考えられないままの状態で居たいと佐久間は思う。ひどく敏感になった体で快楽だけを追い求め、こんなふうに恍惚に酔っていたい。なのに心のどこかはもうたくさんだと考えている。早く終わらせようと先へ急ぐと、耳を打つ嬌声にひどく残酷な思いを掻き立てられて、また快楽を追い始める。
無限ループに入り込み、最後には目の前が真っ白になる。
わずかに流れ落ちる汗の感触と首の辺りに広がる痛みが、かろうじて佐久間を現実にとどめていた。まるですすり泣くようなスマイルの声もやがては途切れがちになり、必死になって首をのけぞらせては、もはや声にならない悲鳴をあげ続けている。
最後に一度、首の後ろに鋭い痛みが走った瞬間、二人は間を置いて熱を吐き出した。
「……ってーよなぁ」
佐久間は洗面台の鏡の前でどうにかして患部を見ようと奮闘していたが、ちょうど首の真後ろである為に、どうやっても目が届かなかった。小さく舌打ちをすると風呂場から顔を出し、
「おいスマイル、ちっと来いよオメー」
「えー?」
引き戸の向こうからとぼけたような声がして、ややのちに下着姿のスマイルが現れた。
「なに、どうしたの」
「どうしたもこうしたもありませんよ」
そう言って佐久間が背中を向けると、「うわっ」とスマイルが驚きの声をあげた。
「すごいね、これは。ミミズ腫れだ」
「んな、他人事みてぇに言ってんじゃねえや。テメーがつけたんだろうがよ」
「舐めとけば治るって」
くすくす笑いながらスマイルが顔を寄せてくる。そうして傷のところに舌を這わせ、そのたびに佐久間はくすぐったさと痛みで悲鳴をあげた。
「あーったくよお」
傷口をタオルで押さえながら佐久間は風呂場を出た。わずかに曇ってしまったメガネを外し、顔の汗を腕で拭ってエアコンの効いた室内へと逃げ込む。九月半ばとはいえ暑さは相変わらずで、エアコンの稼働率は盛夏の頃とあまり違いはなかった。
遅れてやって来たスマイルは引き戸を閉めると布団の上に寝転がった。
「…ちょっと、目立つね、それ」
メガネをかけ、ビールを喉の奥に流し込みながら振り返ると、スマイルはじっと首の後ろの傷を眺めていた。
「三四日もすれば消えるとは思うけど」
「しばらくTシャツ着れねぇな」
「……すいませんでした」
「どういたしまして」
照れたようなスマイルの顔がおかしくて、佐久間はつい吹き出した。缶をテーブルに戻して煙草に火をつけ、煙を吐き出しながら布団に横になる。スマイルに寄りかかるようにして身をもたげると、背後から腕が伸びてきて、空いている方の手をそっとつかまれた。
「今、何時?」
「――五時回った」
「まだそんなもんか」
佐久間は煙草の灰を叩き落とし、スマイルの手に指を絡ませた。
「なんか腹減らねえ?」
「んー…ちょっとね」
「もうちっとしたら飯食いに行こうぜ」
「うん…」
答えるスマイルの声はなんとなく気だるげだ。しばらく無言で煙草を吸い、ふと振り返ると、案の定スマイルは目をつむっている。
「お兄さん」
「…なんですか、不届き会社員」
「んだよ、その言い種はよ」
「だってホントだろ」
くすくす笑いながらスマイルは身を起こした。
「いいじゃねえかよ、まいんち真面目に働いてんだからよ」
佐久間は煙草をもみ消すと布団の上で向き直り、起き上がったばかりのスマイルの腕を引いて自分の体の上に抱き寄せた。
「たまにゃあ休ませてくださいよ」
「そりゃ、アクマが休むのは勝手だけどさ」
少し困ったような顔でスマイルが言う。
「ズル休みもたいがいにしなよ」
「わぁってらあ…」
朝目を醒ました時からなんとなく体がだるかった。具合が悪いわけではないが、どうしても布団から起き上がる気になれない。仕方なく佐久間は上役の北原に電話を入れて、一日だけ休ませてもらうことにした。
そうしてぼーっとテレビを見ながら過ごしていたのだが、昼頃にふと思い付いてスマイルに電話を入れると、家で暇を持て余しているという。互いにどこかへ出かける気力はなく、結局駅前の店でビデオを借りて佐久間のアパートに集まった。
ビデオを見終わってだらだらと抱き合い、そうして今、二人はだらだらと夕方を迎えつつある。
うつむいているせいでメガネが落ちるとスマイルが笑った。そうして大儀そうに手を伸ばして自分のメガネを外すとあらためて抱きついてきた。佐久間は天井を眺めながらぼんやりとスマイルの髪を梳いている。
「夏ももう終わりだね」
「そっすね…」
髪を指に絡めては外し、また絡めては外す。そんなことを意味もなく繰り返しているうちに、ふっと思い出した。
「そういやぁお前、今月誕生日か?」
「そうだよ。月本くん、二十一歳おめでとう」
そう言って、何故かスマイルの方からキスをしてくる。はにかみながらうつむき、また抱きついた。
「なんか欲しいもんありますか」
「別に。――あ、でもスニーカー欲しいかも」
そうして、今履いてるのが駄目になってきちゃってさあ、と呟いた。相変わらず色気のねぇ野郎だなと佐久間は思い、小さく笑う。
「買ってやるよ」
「いいの?」
「あんま高くねぇヤツな。こっちも生活が苦しくてねえ」
「だったら仕事休むなよ」
「うるせえな」
有休使ってんだからいいんだよとぼやいた時、部屋のどこかで携帯が鳴り出した。自分の方の携帯だ。仕方なく佐久間は体を起こし、脱ぎ散らかした洋服の下から携帯をみつけだした。
恋人からだった。
「もしもし?」
『マー君?』
「おう、なんだよ」
視線がふとスマイルから外れてしまうのが自分でも情けない。ごまかすように煙草を拾い上げ、意味もなく部屋の隅をみつめた。
『マー君、どうしよう〜』
「あんだよ」
『お母さんが入院した〜』
「はあ!?」
火をつけようとした手が止まる。煙草をテーブルに戻し、
「入院って、あんで。いつ?」
『まだわかんない。あ、えと、入ったのは今日なんだけど』
「って、お前どこ居んだよ。まだ会社か?」
『ううん、もう出て小田急線乗るところ。仕事終わって携帯見たらお父さんから着信があって、かけ直したんだけど通じないの。伝言確認したら、入院したから病院来てくれって、それだけ』
「どこの病院?」
恋人は自宅からさほど遠くない総合病院の名を告げた。ここからだと電車で二駅だ。佐久間は思わずスマイルに振り返った。スマイルも入院という言葉に反応してこちらを心配そうに見上げている。
「行きなよ」
そう言って佐久間の足を叩いた。
「行ってあげなよ、早く」
佐久間は思わずスマイルの手を握り、視線をそらせながら「今から行くわ」と答えた。