「上海で生まれた。上海で育った。卓球をした。面白かった。強くなる、そう決めた。コーチに会って、ユースに入った。試合をした。だけどユースの試合で勝てなくなった。駄目だと言われて、日本へ来た」
 孔がなにを言おうとしているのかわからなかった。風間はただ聞くしかなかった。そうだな、と呟いて、小さくうなずく。
「日本で勝つ、またユースに戻る、そう思って日本へ来た。だけど、風間に負けた」
 そう言って、孔は初めて微笑んだ。
「風間に負けた、星野に負けた。もう駄目だ、そう思った。コーチも居ない、ユースは資金を打ち切る。私は卓球を捨てる、上海へ帰る。帰って働く、そう思った」
「……」
「だけど風間が言った。意味はある、そう言った」
 ――君が居る意味はある。
「あれで頑張れた。卓球を辞めなくて済んだ。私は外国人だ、だけどここに居る」
「……ああ」
「風間が居る。私は外国人だけど、風間はそれを知ってるか?」
「…知っている」
 声がかすれていた。
「知っているよ。だがそれがなんだ、私が上海へ行けば、私が外国人だ」
「大変だな」
「ああ、大変だ」
「心配だな」
「…心配してくれるのか」
「風間は、してくれた」
 そう言ってわずかにうつむいた。伏し目がちに言葉を続ける。
「心配してくれた。風間は私を外国人と言わない人だ。…いい人だ」
「…そばへ行っても構わないか」
 両膝に手を伸ばして、孔は小さくうなずいた。
 風間は立ち上がり、孔の脇に座りなおす。そうしてうつむいたままじっと固まっている孔の頬に手を伸ばした。
 指先が触れると、ぴくんと孔の体が揺れた。
「嫌か…?」
 孔は小さく首を振った。風間はそっと頬に手を当てる。そうして孔の温もりを確かめながらくすりと笑い、
「そんなに怯えないでくれ」
「オ…?」
「怖がらないでくれ、と言ったんだ」
「怖いは、違う」
「体が逃げているぞ」
 膝の上で両手を握りしめたまま、背中だけが風間から遠ざかろうとしている。
「嫌ならやめるよ」
 そう言いながらも風間の手は孔の頬に触れたままだ。
「嫌は、違う」
 孔はふるふると首を横に振り、それでも怯えたような目でそっと風間の顔を見上げた。
「少し…」
「なんだ?」
「…わからない。胸が、痛い」
「――私もだ」
 そのまま孔の体を抱き寄せた。初めは緊張していた孔の体から徐々に力が抜けてゆく。強く抱きしめると、そろそろと背中に孔の手が伸ばされた。まるでしがみつくように。わずかに手が震えている。なだめるように風間は孔の首筋に唇を触れた。
「ん…っ」
 そのまま首筋に鼻を押しつけて、孔の匂いをかぐ。わずかに甘い、不思議な匂いに、風間は陶然となった。
 首筋からあご、そして耳元へと唇を這わせてゆく。
「や、…あ…っ」
 唇が触れるたびに、孔は体を震わせて怯えた。背中に回された手が痛いほどに握りしめられる。
「嫌ならやめるよ」
 そう言って唇を離して孔の目をみつめる。真っ黒なビー玉のような目が、困ったように揺れている。
「風間は、意地悪だ」
 ぽつりと呟いた孔に微笑み返して、
「私も、今初めて知った」
 そう言って唇を重ねた。

  −たまにはこんな日 了−


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