夏が終わり、空気が冷ややかなものになるにつれて、知らずのうちに風間の胸は騒いだ。寒い季節は苦手だったが、どういうわけか去年から急に待ち焦がれるようになった。
理由は簡単だ。寒くなれば鍋の季節。孔のアパートへ遊びに行く堂々たる理由が出来る、ただそれだけのことだった。
九月に代々木体育館で行われた秋季大会では惜しくも優勝を逃したが、仲間も、風間の顔も、不思議と明るかった。負けることが嬉しいわけはなかった。けれど、負けを受け入れ、だから次こそはと素直に前向きになることが、ようやく出来るようになった。
いつ足元をすくわれるのかとびくびくしていた過去の自分が、まるで幻のように思える。こんなに伸びやかな気持ちでいられるようになったのも、ペコのお陰だった。ペコやスマイルや、
――孔。
彼らと出会ったことで確実に自分は変わった。言葉では言い表せないほど感謝している。
『心配されても私は…!』
時々、泣いている孔の姿を思い出す。
手違いで長野の合宿から早めに戻ってきた晩、電話をかけると知らない女性が出た。切ろうとしたら孔が倒れたと言う。藤沢駅。江ノ電沿線に住んでいる孔が、何故わざわざ小田急線の藤沢駅に居たのか、知る由もなかった。孔も未だに教えてくれない。だが無理に聞こうとも思わなかった。
倒れたと聞いた時はどんなひどいことになっているのかと気が気ではなかった。もし既に病院に運ばれていたら、もし手術だなどという恐ろしいことになっていたら――この世の終わりだ、そう思った。だから無事だとわかった時は嬉しさのあまり泣きそうになった。
目を閉じると、両手のなかに抱いた孔の体の感触が思い出される。
涙を流しているせいで孔の首筋から甘い匂いが強く立ちのぼっていた。孔の匂いだ。そう思うたびに、彼のことがいとおしく感じられた。背中にしがみついてきた腕も、小柄な肩も、思いのほか薄い体も、なにもかも。
『風間にはわからない』
そのとおりだ。
『風間には関係ない』
まったくだ。それは、君の問題だ。君の人生であり、君が選んだ道だ。私にはなにも出来ない。最初からわかっていた。君も何度も言った、私には関係ない。
それでも、すがりついてくる腕が嬉しかった。アパートの扉を開けて、笑顔で迎え入れてくれることが嬉しかった。そして、いつまでこんなふうに笑顔で居てもらえるのだろうかと、不安になった。
きっと、いつかは帰ってゆく。
私は嫌な人間だ、孔のことを思うたびに風間はそう考えた。孔の寂しさに付け込んで自分の方こそ彼にすがりつこうとしている。なにくれとなく世話を焼き、心配だと口で言い、そうしながら、結局は自分が安心したいだけなのだ。孔の為などではない。なのに彼はそんなことなど微塵も疑わず、笑いかけてくれる。
きっといつか見捨てられる。こんな汚い下心を持ってそばに居るなどと知れたら、簡単に嫌われるに違いない。それでも――それだからこそ、その時までは出来る限りそばに居たい。声を聞き、会いにゆき、その笑顔を見ていたいと、風間は思っていた。