毛布やシーツなんてどこで買ったってたいして違いはない筈なのに、なんでこんなに気持ちいいんだろうと、ペコはジェイのベッドで丸まりながらぼんやりと考えている。
たいしてクッションの効いていないベッド、洗いざらしのシーツ。だけど枕代わりのクッションは大きくてやわらかいし、ジェイの体のサイズに合わせてあるからどんなに寝相が悪くても落ちる心配はない。
ふとんと毛布を引っぱって頭からかぶり、暗がりのなかでじっと息をひそめていると、隣の部屋でジェイが立てる物音が低く伝わってくる。自分が寝ているあいだに誰かが自分の為になにかをしている。それはこらえようがないほど幸せな物音で、ペコはずっとこうしていたいと、いつもジェイを困らせるのだ。
「ペコー、そろそろ起きなよ。朝ご飯食べ行こう」
そう言いながらジェイは寝室のドアを開けて、ふとんにくるまったままのペコをみつけ、ふと言葉を失う。
「今頃冬ごもり? 冬眠するなら山行った方がいいんじゃない?」
ペコはふとんから顔だけ出して、少しすねたような表情をしながらジェイの姿を見上げた。
「目覚めのコーヒーが欲しいです」
「淹れたよ。飲みたかったらベッド出なさい。いつまでもそんなふうにしてると、襲うよ」
「……いいよ」
ペコの言葉にジェイはにやりと笑い返して、ベッドに腰をおろした。そうしてペコの頭を撫でながら唇を重ねた。
ペコはふとんから腕を出してジェイの首に抱きついた。そうして目覚めのキスを交わしながら、
「…うひゃっ」
突然、奇声を上げた。
「うわっ、わっ、ちょ…っ、ジェイ、勘弁してっ、うわっ、」
「いつまでも寝てると襲われるんだぞぉ」
「わぁっ、わかったから、ジェイ、ジェイってば、ごめん、起きるからっ」
そう言ってペコは息を乱しながらベッドの上を転げ回り、わき腹をくすぐるジェイの手から逃れようとした。それでもまだジェイの手が伸びてくる。ペコはあわててベッドを抜け出し、壁際に張り付いて呼吸を整えた。
「僕、あんまり朝にするの好きじゃないんだけどねぇ」
「そういう問題かよ!」
「すぐに起きないペコが悪いんだよ。早くしないとコーヒー冷めるだろ」
そう言ってズボンを放り投げた。
「ミルク温めてあげるから、さっさと起きなさい」
「俺、子供じゃねえんだけど」
「へえぇ」
「…むかつくー」
くすくすと笑いながらジェイは隣の部屋に姿を消した。それを見送りながらペコはズボンに足を通す。そうして床に放り投げてあったトレーナーを拾い、頭からかぶりながら窓の外を眺めた。
薄曇りの空から頼りない太陽の光が透けて見える。町は明るいが、どことなくかすんで見るのは春のせいだろうか。
三月に入り、ツアーも終盤を迎えていた。ペコはなかなかの個人成績を残しており、次期契約ではかなりの年俸アップが見込まれていた。もっともペコとしては好きでやっている卓球なので、あまり収入の増減は気にならない。とりあえずドイツリーグで腕を磨き、そうしてただトップに立つだけだ。
目指す場所が一つだけというのは、非常に楽でいい。
ダイニングへ行くとテーブルにコーヒーとミルクのカップが置いてあった。「わーい」と子供のように歓声を上げてペコはコーヒーをカフェオレにし、砂糖をたっぷりと放り込む。
「…見てるだけで口のなかが甘ったるくなってくる」
「なんで? 美味いじゃん」
「カフェオレは嫌いじゃないけどさ」
そう言ってジェイは苦笑し、半分も残っていないミルクを取り上げた。
「ペコって、あと何試合残ってる?」
「三日かな。二十一日が最後。ジェイは?」
「多分五試合ぐらいだったと思う。最終日は四月のあたまぐらい」
「なげぇなぁ」
「だから、三部は試合数が多いんだってば」
「そっか」
ペコはイスの上で器用にも両足を抱え、カップを口に運んだ。ラジオから流れてくる音楽にぼんやりと耳を澄ませ、暖を取るようにカップを抱えているジェイの両手をみつめる。ごつごつと骨っぽい、男らしい手だ。体が大きいせいでサイズもでかい。そうしてぼんやりしていると、不意にジェイの手が動いて自分に向かって伸びてきた。
驚いて顔を上げると、ジェイの手がペコの髪の毛をつかみ、軽く引っぱった。
「さすがにこの頭も見慣れたなぁ」
「もう一年だぜ。また切り行かなきゃ」
「元には戻さないの?」
「それはない。もっと短くしようかとも思ってる。試合中に、汗で濡れて張り付くんだよな」
邪魔でしょうがねえと言ってペコは笑った。
「そういえば、今年は日本に戻らないんだね。ビザは平気なの?」
「うん。二年の期限で出たから、今年はいいんだ。来年以降も残るようならまた取らなきゃ駄目だけどさ」
「そう…」
ふとジェイは口をつぐんで、物思いにふけるような顔になる。
「あに」
「――別に」
「なんだよ、言えよ。気になるじゃんか」
「…今日もかわいいなぁと思って」
思わずカフェオレを吹き出すところだった。
「男にかわいいって、あのさ」
「ペコが言えって言うから言ったのに」
そう言ってジェイは笑い、身を乗り出してペコにキスをする。床に足をつき、同じようにペコも身を乗り出してキスを受け、テーブルの上で手を重ねあいながら、唇を割って侵入してくるジェイの舌の動きに甘い声を洩らした。
唇を離すと、いつものように緑色の瞳がじっとこちらをのぞき込んできていて、
「ほら、かわいい」
そう言って笑った。ペコは恥ずかしくなってうつむいてしまう。
こんな時、いつもジェイには敵わないと思う。自分の方が六つも年下だからというだけではない気がする。完全に子供扱いされていることが時にひどく腹立たしくあり、それでも時にはひどく嬉しくてたまらない。
去年の七月以来、こんなふうにジェイのアパートへ泊まるようになった。たまにジェイがペコのアパートへ来ることもあったが、どちらかといえばペコが押しかける時の方が多かった。自分の部屋に人を招くことにはあまり慣れていなかったし、部屋は狭くても、ジェイの空気がたっぷり染み込んでいる空間は、何故か落ち着いた。
ジェイと抱き合って眠るのは気持ちいい。あの大きな手で体中をまさぐられ、快感に酔い痴れるのはたまらなく幸福なことだった。スマイルの時とは違ってひどく安心出来たし、
――俺、なんであんなこと言ったんだろ。
カフェオレの残りを飲み干しながら、ペコはふと風間のことを思い出し、一人で恥ずかしくなってうつむいた。
去年のクリスマスの前の頃だった。チームの体育館に日本からの遠征チームが来ていると聞いて見物に行ったのだ。そこにたまたま風間が居た。監督に食事に誘われて一緒に夕飯を取り、酔いにかまけて風間を部屋に呼んだ。
別になにをするつもりもなかったのだが、酔っ払って眠り込んだ風間を起こそうとして、ソファーに引きずり倒された。誰かと間違えているようだったが、体は正直だ。風間の手の動きに感じてしまい、途中で気が付いた風間に、ペコは言ってしまったのだ。
『続き、しませんか』
ジェイに言われた一言がずっと頭に残っていた。人生は選択の連続だ――だとしたらこれもまた選択の瞬間であり、なにかを得、あるいはなにかを失う為の時なのだと、ペコは考えた。
正直、風間が乗ってくるとは半分ほど予想外だった。それでも自分から言い出した手前、拒否することも出来ず、闇雲のうちに寝てしまった。
『責任を取れと言ったのは君の方だ』
――ああ、そうだよ。俺が悪かったんだよ。
なんのつもりであんなことを言ってしまったのか本当にわからなかった。多少の好奇心があったとはいえ、しばらく経ってから後悔した。誰でもいいわけではない。そのことが風間と寝てはっきりした。そして一番の問題は、「ひどく感じてしまった」ということだ。
――俺ってやっぱスケベなのかなぁ。
飲み終えたカップを置いて、ペコはふとテーブルに顔を伏せた。
「どうしたの」
ジェイが不思議そうに聞いてきたが、即答出来なかった。ちらりとジェイの顔を見上げながら、
「…あとでな」
そう答えながらも、こんなことをどうやって話したらいいのか、ペコにわかる筈がなかった。