いつの間にか二人は床に座り込んでいた。泣き疲れて寄りかかってきたペコの体を受け止めるように、スマイルは壁を背にしてずうっとペコの頭を撫でている。息を整えながらペコは指先で涙をぬぐい、そうしながら、あらためてスマイルに抱きついた。
「ペコ」
少し恥ずかしくて、すぐには顔が上げられない。
「…悪かった」
ぼそりと呟いて、スマイルの肩口に顔を押し付ける。
スマイルは安堵したように小さく笑って、そっと耳元に口付けた。ペコは恐る恐る顔を上げて、うかがうようにスマイルを見た。
いつものやさしい笑顔がそこにあった。
二人はそっと触れ合うだけのキスを交わし、また互いの体を抱きしめあう。
「……どうすんだよ」
「なにが…?」
「…これからさ。結局、なんも変わんねぇじゃん」
「…そうだね」
思い切り泣いたお陰で、少しだけ気持ちが楽になったようにも感じられる。それでも、じきにまたドイツへ戻らなければならないのだ。
あの辛い日々が繰り返されるのかと思うと、たまらない。
「ペコはどうしたい?」
不意にスマイルが聞いた。質問の意味がわからなくて、ペコは顔を上げる。
「どうって?」
「だから、これからのことだよ。ペコは将来どうしたいと思う?」
「そりゃ…決まってんじゃん。卓球でてっぺん取んだよ」
「そうだよね、それがペコの夢だもんね。だけど、僕がそれを邪魔している、と」
「邪魔っつうか、」
そのとおりだけれども。
返事に困ってペコはうつむいた。それをなだめるようにスマイルは笑う。
「僕はね、まだそういうのがないんだよ。なにになりたいのか全然わからないんだ」
「…そうなのか?」
「うん、そうなんだ。卓球やってても、そりゃ楽しかったけどさ、それどまりなんだ。言っちゃえば、ペコについて一緒にやってるっていうぐらいでさ」
「…うん」
「だから高校卒業して卓球辞めて――ううん、もっと前だな。三年の時のインハイが終わったとたんにさ、もうペコと一緒に居る理由がなくなったなぁって思ったんだ」
「……」
「だから、余計に寂しかった」
そう言ってスマイルは少し照れたように笑った。
「寂しくていっぱい泣いてさ、余計にペコに迷惑かけてさ…」
「――別に、迷惑じゃ」
「でも心配はかけだだろ。だから余計にペコも辛いんだと思うんだ」
「……?」
スマイルがなにを言わんとしているのかがわからない。ペコは懐疑の眼差しでスマイルをみつめた。
「申し訳ないけど、あと一年だけ迷惑かけさせて」
「え?」
「一年のうちに、絶対にやりたいこと、みつけるからさ。ペコが居なくても、遠くで元気に頑張ってるなぁって素直に応援出来るようにするからさ」
「…どゆこと?」
「ペコに心配かけないように、一人前の男になりますっていう意味」
そう言ってスマイルは微笑む。
まだ上手く意味が理解しきれなくて、ペコは思わず首をひねった。
「…つまり、俺は、結局寂しいままドイツで一人過ごすことになるわけか?」
「寂しがってくれるのは嬉しいけど、僕が心配にならなければ、それほどは寂しくない…よね?」
「……多分な」
どのみち幾らかは心配が続くだろうけど。
「てっぺん取るのに僕が邪魔ならさ、僕のことなんか見捨てていいんだよ」
「――見捨てるってお前、」
「だってさ、友達ってそういうもんだろ」
そう言いながらも、ひどくやさしい手つきでスマイルはペコの頭を撫でている。
「お互い、困ってる時は助け合うけどさ、だからって相手に迷惑かけていいわけないだろ? そんなのは友達なんて呼べないよ。…ペコの邪魔になるなら、僕だって辛いよ」
「……」
「悪いけど、あと一年だけ時間をください」
「…なげぇな」
「そうだね…」
「……なげぇけど、お前がそう言うんなら、わかった。頑張ってみらぁ」
「ごめんね」
謝りながら、それでもスマイルは嬉しそうに笑っていた。
――この顔だ。
ペコはふと思い出す。三年の時のインハイ予選で見たあの笑顔とそっくりだった。
寂しそうでいながら、嬉しそうな、不思議な笑顔。
「…そうだよな」
「え?」
「俺、言ったもんな。もっと笑えって言ったもんな」
「――うん」
「そうだよな、お前がそうやって笑うようになれば、俺、それだけでいいんだ」
そう言ってペコはまたスマイルにぎゅうと抱きついた。
「お前が笑ってくれりゃあ、それでいいんだよ」
スマイルの体は、いつもと同じように、温かい。
二人はしばらくのあいだじっと抱き合ったまま無言だった。やがてどちらからともなく顔を上げると、そっと、探り合うように唇を合わせて、
そうして、恋人として最後の、長い長いキスをした。
−最後のキス 了−