快感はいつも以上に深かった。
 まるで初めて触れるかのように丁寧に体中キスをされ、別段焦らされているわけでもないのだろうに、孝介の息は熱くなった。足立の呼吸を肌に感じるたびに声が洩れてしまい、こちらだって初めてではない筈なのに、どういうわけか恥ずかしくてたまらなかった。
「電気消してください」
 のしかかってくる足立の胸を押し遣り、顔を片手で隠しながら孝介は言った。
「なんで」
「いいから……っ」
 コンロ付いてるから真っ暗にはなんないよ、と言われ、孝介は返事の代わりにバシバシとあちこち叩きまくってやった。痛い痛いと足立は笑いながら起き上がり、壁のスイッチを切り替えた。真っ暗になった部屋のなかにコンロの青い小さな炎が突然姿を現し、半裸の足立をぼうと浮かび上がらせた。
 孝介はベッドで横になったまま足立の足をみつめていた。それはベッドに近付いてくると上には乗らず、縁に腰を下ろして手を伸ばしてきた。同じく小さな炎に照らされた孝介の前髪をそっと掻き上げる。孝介は感触に驚いてわずかに身を引いた。
「……そんなに怖がらないでよ」
「怖いんじゃないんです。ただ、その――」
「なに?」
 足立がベッドに上がった。孝介の上に身を落ち着かせると、両肘を突いて上から顔をのぞき込んでくる。見られていると思うと恥ずかしくて目が上げられない。孝介はそっぽを向き、耳元にかかったかすかな息にびくりと体を震わせた。
「なぁに?」
「……なんか、すごく恥ずかしくて……っ」
 何故なのかは自分でもよくわからない。
 バカにされるかと思ったが、足立は笑わなかった。こめかみと頬にキスをして孝介の顔を前に向かせると、優しく口づけをした。孝介は怖々腕を伸ばして首に抱きついた。足立の息はすぐ側にあった。
「そういう僕も、ちょっと緊張してたりして」
「……なんでですか」
「うーん、なんでだろ」
 足立の指が髪を梳く。その感触にも孝介は感じてしまう。
「やらしいことなんか、いっぱいしたのにね」
「いっぱいって言わないでくださいよっ」
「だってホントじゃない」
 そう言って足立は笑い、返事が出来ずに居る孝介にキスをする。
 また指が髪の毛を梳き始めた。足立は暗がりをみつめて考え込んでいる。
「目的が違うからかなぁ?」
 と、突然言って孝介を見た。
「目的?」
「そ。最初は君のことからかうのが面白かったんだけど」
「…………やっぱりそうだったんだ」
「最初はね」
 あわてて繰り返す頬をつねってやった。足立は苦笑したあと、不意に真顔に戻った。
「でも、今は違うんだ」
 言葉もなく抱き寄せた。唇を重ねて何度も息を交わす。唇が離れたあとは互いに熱いため息をつき、またみつめあった。足立はゆっくりと髪を梳き、
「全然違ってる」
 また唇を重ねてきた。


 外の空気は冷たかった。さすがの孝介も、これには身震いが止まらない。しかし、だから言ったのにと足立に言われるのがなんとなく気に食わなくて、やせ我慢で胸を張って歩き続けた。
「風邪ひいたって知らないからね」
「ひいたら足立さんにうつしてあげますよ」
「いらないよ、そんなもの」
「なんでですか。遠慮しないでもらってくださいよ」
「うぎゃー、寄るなバイキン!」
 まだクシャミすらしていないというのに、足立は夜道を走って逃げた。ホントにあんたは子供か、と心のなかで突っ込みながら孝介はあとを追った。
 キャベツ鍋は美味かった。ことのあとで余計に腹が減っていたせいもあり、二人で夢中になって片付けた。足立は購入したばかりのヒヨコの茶碗で嬉しそうに飯を食った。趣味が合わないというのは致命的ではなかろうかと思ったが、とりあえず考えるのはやめにしておいた。
「ポケットに手入れるとあったかいよ」
 足立はなにを思ったのか突然振り向くと側に駆け寄ってきた。そうですねと答えた時、不意に片手を取られ、そのまま足立が着るコートのポケットへと突っ込まれた。
「あああいやあの」
「ねー。あったかいでしょ」
 逃げようと腕を引いたが、足立は孝介の手を強く握りしめて笑うばかりだ。幸い二人は例の細道へ入り込んだところで周囲に人影はなく、恐らく見られることはないだろうが、それにしたってこれはさすがに恥ずかし過ぎる。
「……足立さん」
「んー? なにー?」
「あの……離してください」
「やだ」
 声音はいつもの調子だったが、やけにきっぱりとした返事だった。足立はまっすぐ前を向いて歩きながら、ポケットのなかで孝介の手を握り直した。
 ――今は違うんだ
 その言葉を体現するように、ぎゅっと。
 結局足立に手を取られたまま自宅まで帰り着いた。本当は泊まっていけと言われたのだが、病院からなにか連絡があるかも知れないからと言って泣く泣く断ったのだった。
 玄関の鍵を開けて足立を見ると、彼は目を扉へと向けた。真っ暗な玄関の扉を開けて一歩踏み出した時、何故かそれに足立が続いた。一緒に三和土へ入り込んで後ろ手で扉を閉めると、突然唇を重ねてきた。別れを惜しむかのように、二人は長いあいだキスをした。
 唇が離れたあとも、しばらくのあいだ無言で抱き合っていた。いつか足立が「帰したくない」と言った時の気分が理解出来るようだった。
 離れたくない。一日中でも一緒に居たい。
 だけど、残念ながらそういうわけにもいかないのが実情だ。お互いこなさなければならない義務がある。本当に朝が来るのは面倒臭い。
「じゃあね」
 足立は孝介の頭を何度か撫でたあと、抱き寄せて額にキスをした。そうして離れそうになる手を、孝介はあわてて引き止めた。
「あの、」
「うん?」
 恥ずかしくて顔が上げられない。だけど言わないと後悔する。孝介は意を決して口を開いた。
「…………足立さんがうちに泊まるのは、駄目なんですか」
「いいの?」
 無言で何度もうなずいた。勿論駄目なわけがない。
「じゃあ今度ね」
「今度おおおおお?」
 意外な返事にむくれて顔を上げる。睨み付けるようにすると、足立はあわてて首を振った。
「いやだって、今日はちょっと無理だよ。僕今、携帯も持ってないし――」
 孝介はうつむいた。壁に寄り掛かり、無言で足立の手を握りしめる。
「あの……お願いだから拗ねないで」
「……拗ねてないですよ」
 だが気分はそれに近いものがあった。せっかく妙案を思い付いたのに、「また今度」って、それはないだろう。
 孝介は上目遣いに足立を見た。彼はおろおろしながら言葉を探している。手を引くと足立が一歩側に寄った。額を合わせ、二人は同時に言うべきことを考えていた。
「……帰っちゃうんですか」
「あぁいやその、今日はね。あの……ホラ、また明日電話するから」
「帰っちゃうんですか」
「……あーもー、お願いだから誘惑しないで」
「誘惑って、そんな」
 足立の言葉がおかしくてつい吹き出してしまった。それで何故かあきらめがついた。あらためて顔を上げ、頬に唇を触れたあと、孝介は小さく笑った。
「電話?」
「うん。電話する。絶対にするから」
「はい」
 淋しいが仕方ない。足立はまだ気にしているようだったが、孝介がもう一度笑うと、ごめん、と呟いて抱きしめてくれた。
「今度は絶対ね」
「はい」
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
 そっとキスをして、孝介は手を離した。扉を閉める時、足立は笑って手を振った。孝介も同じように手を振り返し、一人で家に取り残された。だが手にはまだ足立の温もりが残っていた。足立の声が、おやすみ、と呟いていた。
 一人だけど、一人じゃない。


全然違ってる/2011.01.31

2011.02.13 一部加筆訂正


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