梅雨の最後を惜しむかのように雨は降り続いている。
今年は空梅雨だと言われたとおり、雨の少ないひと月だった。お陰で孝介たちはあまり不安と共にテレビを見る羽目にはなっていない。それでも気が抜けないのは、やはり担任の諸岡金四郎が殺されて犯人の目星は付きながらも、未だ逮捕に至っていないせいだった。
四月に起きた連続殺人事件は、まだ終わっていなかった。
勿論孝介たちはそれを知っていた。これまでに五人がテレビへ放り込まれ、二人が死亡、残る三人も孝介たちが動かなければ危ないところだったのだ。天城雪子、巽完二、そして先月は元アイドルの久慈川りせ。
孝介たちはそれら三人を助けてきた。七月半ばのあの雨の晩、マヨナカテレビにはなにも映らなかった。だから安心していたのに。
明日から夏休みだが、孝介の心は重かった。ここへきてやっと犯人が捕まるかも知れない、それ自体は喜ばしいことだった。だが出来るなら自分たちの手で捕まえたかった。そして何故こんなことをしたのだと問い詰めたかった。
どうやら事件は解決しそうだ。しかしなにかがすっきりしない。まるで今日の天気のようにぐずぐずとした心を抱えたまま、皆は終業式を迎えた。そうして今、孝介は一人でジュネスへやって来ている。特に買い物が必要なわけではないのだが、なにか家で食べるお菓子でも買っていこうと思ったのだ。
まさかそこで彼に会うとは思わなかった。
「あれえ?」
スナック菓子の並ぶ棚の前で、寝癖のついたままの男がしゃがみながら、にへらと笑って手を振っている。
「……なにやってんですか、こんなところで」
「晩御飯の買い出しー。見て見て、キャベツ安いから一玉買っちゃった」
そう言って足立は何故か嬉しそうに買い物カゴを見せてくれた。晩飯の買い物という割には、キャベツ以外に目ぼしいものは見当たらない。どちらかといえば次々に放り込まれるお菓子の方が多いくらいだ。
「キャベツはいいですけど、それでなに作るつもりなんですか」
「んー、考えてないなあ。適当に野菜炒めとか?」
「それでも、一玉あったらしばらく不自由はしなそうですね」
「ねー。当分キャベツ尽くしだよ。飽きちゃうかな」
「っていうか、仕事は」
休みだよ、と言って足立は立ち上がる。言われてみれば今日は背広姿でない。
「君こそ、学校は?」
「もう終わりました。今日は終業式だけだから早いんです」
部活を済ませてきても、まだ四時過ぎだ。雨さえ降っていなければどこか遊びにでも行こうと思えたのかも知れない。
「あ、じゃあさ、うち来なよ。そんでなにか作って」
「はあ?」
「ついでに一緒にご飯食べてけばいいじゃない。キャベツ減らすのに協力してよ」
そう言って足立は孝介の返事も聞かずに歩き出す。先に立って歩いておきながら突然振り返ると「ところで君、料理得意?」と今更のように訊いてきた。
「得意ってほどじゃないですけど、一応は出来ますよ」
「なに作れる? キャベツ料理ってなにがあるかな?」
孝介が拒否することなど全く考えていないようだった。別に用事があるわけではないし、勿論誘われれば行くつもりではあるが、たまに足立のこの強引さについていけなくなる時がある。
仕方なく孝介は足立を伴って調味料の並ぶ棚へ移動した。
「回鍋肉とかどうですか」
「あ、それ! いいね、食べよう食べよう」
「じゃあこれ」
孝介は棚から平べったい箱をひとつ手に取って足立に渡した。肉や野菜を切って炒めてそれとからめれば出来上がり、という料理の素だ。
「その裏に載ってる材料で、足りないもの全部買ってください」
「結構あるね。豚肉でしょ、ピーマンでしょ、……え、長ネギもいるの?」
全部買わなきゃだ、と足立はぼやいている。
「普段なに食べてるんですか」
思わず苦笑が洩れた。足立は目的の品を求めて歩き出しながら、「だってしょうがないでしょ」と言い訳をし始めた。
「忙しい時は料理なんかする暇ないしさ。そもそも家に帰れないんだから」
「諸岡先生の件はどうなってるんですか。犯人の行方がつかめないとかなんとか言ってましたけど」
「え? えーっと……ねえ」
足立は足を止めて周囲を見回した。そうして顔を近付けてくると、内緒だよ、と断りを入れてから教えてくれた。
「犯人の奴、事件の直後から行方くらましちゃってるみたいなんだよね。八方手を尽くしてるんだけど、まるで煙みたいに消えちゃっててさ」
「そうですか……」
考えてみれば山野真由美から数えて六人もの人間を誘拐しテレビに放り込んでいるのだ。やはり一筋縄ではいかないらしい。
「警察も頑張ってるんだけど、ちょっと今回は……ねえ」
「そんなこと、警察の人間が言わないでくださいよ。足立さんたちがやらないでほかに誰がやるっていうんですか」
「わーかってるって。ね? そういうわけで、君は美味い料理を作って僕を応援してください」
「……足立さんって、ホント口上手いですよね」
頭をぐしゃぐしゃに撫でる手から逃れて孝介は歩き出す。
「味噌汁どうします?」
「え? あーっと、君適当に考えてよ」
「どうせだからキャベツの味噌汁にしますか」
「なにそれ、キャベツ!? キャベツお味噌汁にしちゃうの!?」
「美味いですよ。食べたことないんですか」
「ない。作って」
足立は期待に目を輝かせている。それを見た孝介は、そういえば菜々子もこんな反応してたっけ、となんとなく思い出した。
一通り材料を揃えたあと、レジへ向かう前に紙皿を買うと言って足立は棚のあいだを巡った。
「うち、僕の分のお茶碗しかないからさ」
「いいですよ、そんなの。なんか適当なヤツで」
「どうせだからちゃんとしたヤツ買っちゃう?」
君専用の、と言って足立が振り向いた。孝介は恥ずかしくて目が合わせられない。
「ね。買っちゃおうか。お茶碗とお椀と箸」
「……そこまでしなくても……」
「また作りに来ればいいじゃない」
「も……紙コップとかでいいですからっ」
「あ、照れてる」
背中を平手で叩いて孝介は逃げ出した。そのあとを痛みに顔をしかめながら足立が追いかけてくる。
外ではまだ雨が続いていた。今日は一日降り続きそうな気色である。
「また霧出るのかなぁ」
傘の下から空を見上げて足立がぼやいた。どうでしょうねと返しながら、多分出ない筈だと孝介は考えた。今テレビのなかには誰も居ない。逃げている犯人が捕まれば、事件は解決の筈である。
一応今夜もテレビはチェックしようとだけ決めて、孝介は買い物袋を持ち直した。
「っていうか、すごい量のお菓子ですね。これ全部一人で食べるんですか?」
ふたつに分けた買い物袋の片方にはお菓子がこれでもかと詰め込まれ、そのなかに丸々のキャベツが埋まっている。足立はにこにこと笑いながらうなずいた。
「僕、お菓子つまみにお酒飲む人だから」
「……糖尿病だけは気を付けた方がいいですよ」
「心配だったら食べに来なよ」
僕の分、片付けちゃえばいい。そう言って足立は笑う。孝介は返事に詰まってそっぽを向いた。
「……も、なんで足立さんはそういう恥ずかしいこと、平気で言えるんですか」
「だってどうやって君のこと部屋に引っ張り込もうかって、そればっか考えてるからさ」
「……っ」
「ホントだよ」
孝介は足早に無言で歩く。なんと言って返せばいいのか想像もつかない。こういうところで上手い言い回しが思い付かないのは、やはり年齢による経験の違いなのだろうか。
隣にやって来た足立が、不意に脇から顔をのぞき込んできた。
「で、そうやって照れた顔見るのが楽しいから」
「……帰ります!」
「わー待って待って、帰んないで」
帰っちゃヤダ、と言って腕を引っ張ってくる。引っ張られたはずみで足立と体がぶつかった。その温もりが心地よくて、また孝介は言葉を失った。