布団の上で抱き合った。一度触れると足立の動きは止まらず、孝介は考える間もなく快楽に引きずり込まれていた。
肌を擦る手と舌の感触は懐かしいものだった。孝介はまだ足立を覚えていた。肩と首の形、背中に抱きついた時の感じ、ごわごわとした髪の毛の感触、かすかに残る煙草の香り、全部だ。
声を噛み殺すと、煽るように足立が動いた。嫌だと首を振ればもっと責められた。感じている自分に気付くたびに孝介は我に返ろうとし、足立がそれを許さなかった。
ぞんざいな手つきで孝介を寝かせると息をつく間もなく後ろから貫いてきた。苦しさに喘いでいると乱暴に首筋へと噛み付いてくる。布団に押し付ける腕へ爪を立ててしがみついた。それは快楽の果てというよりはむしろ抵抗に近かった。足立は首から離れると髪の毛を鷲掴みにして孝介を押さえ込み、後ろから容赦なく突き上げた。
知らずのうちに夢中で声を上げていた。
仰向けに寝かされた時は既に息も絶え絶えで、嫌だとかすかに首を振ったが勿論許されなかった。再び侵入されふと目を上げた時、孝介は久し振りに足立の顔をじっくりと眺めていた。
少し痩せたろうか。アゴの辺りがすっきりして見える。目の下の隈はやはりここのところの出来事で睡眠不足なのか。遼太郎が入院してしまい、きっと現場はてんやわんやなのだろう。生田目を犯人として追いかけているのだろうが、警察には絶対に捕まえられっこない。
教えてあげることは出来ないけど。
視線に気付いた足立が動きを止めるのと、無意識のうちに孝介が腕を伸ばすのと、ほぼ同時だった。誘われるままに足立は抱き寄せられて唇を重ねてきた。舌を絡めて息を交わし、離れそうになる視線を追うと、首の下に入れられた手が孝介の顔を押さえ込んで噛みつくようにキスが繰り返された。
孝介は背中にしがみつく。足立がまた動き始めた。既に限界の近い孝介は爪を立てて嬌声を上げた。
「うるさいよ」
不意に腕が伸びて口をふさがれた。抵抗する手を押さえつけられ、唯一自由になる右手で足立の体のあちこちを引っ掻いた。背中から肩へ、そして腕にしがみつき、共に限界の近い体で快楽だけを追った。
喉の奥で洩れる悲鳴と孝介の爪が生む痛みが足立の体を熱くしている。汗が流れ落ちた。視界は涙で滲んでいる。足立が舐め回すようにこちらを見下ろしていた。かすかに笑う口元が怖くて目をつむると、追い打ちをかけるように深く突き上げられた。
孝介は切れ切れに声を上げた。敏感な部分を刺激されてもう終わりは目の前だ。嫌だと首を振ることも出来ず、大きく体を震わせながら熱を吐き出した。しがみついた二の腕に傷が出来ていることに気が付いたのは、足立が果てたあと、まだ互いに息を乱しながら抱き合っている時だった。
細く開けた窓から冷気が静かに忍び込んできていた。足立は入口近くの窓際に腰を下ろして煙草を吸っている。布団で横になった孝介は、足立が外へ吐き出しきれなかった煙が頭上を流れているのを、ぼんやりと見上げていた。
足立の腕からはまだ血が滲んでいる。煙草を吸う合間に一度傷跡を舐めて大儀そうに手のひらでこすったあと、シャツを羽織り、また窓の外へと視線を向けた。
静かだった。
テレビも付けず、音楽も鳴らさず、二人のあいだには会話もない。ダルさと眠気に誘われて孝介は目を閉じた。聞こえてくるのは、足立が時折煙を吐き出す音だけだ。ほかにはなにも聞こえない。
――静かだ。
もういい加減馴れてもいいだろう。孝介は眠りの波を探しながら自分に言い聞かせた。あの様子では遼太郎もしばらくここへ帰ってくることは出来ない。菜々子も、――菜々子も居ない。
また一人きり。
「……っ」
突然の恐怖に孝介は飛び起きた。こんなことをしている場合じゃない、菜々子を助けに行かなければ。みんなを呼んでジュネスに、テレビのなかに、あの迷宮で一人きりの菜々子を救いに、自分以外の誰が、もし失敗したら遼太郎がどれだけ悲しむことか、もし失敗したら菜々子は、霧の朝に、菜々子を救いに――。
制服の上着をつかんで飛び出そうとした孝介の腕を引く者があった。見下ろすと足立が邪魔をするようにドアに寄りかかり、孝介の腕を引いていた。
「どけよ」
「こんな時間にどこ行くの」
「あんたに関係ないだろ!?」
足立はこちらを睨み付けると煙草を窓の外に捨て、片足で孝介の足元を払うと同時に強く腕を引いた。孝介は前のめりに倒れ込んだ。立ち上がろうともがいたが、足立の両腕がそれを押さえ込んだ。なにを考えているのか、突然「大丈夫だよ」と言い聞かせてくる。
「離せよ!」
「堂島さんも菜々子ちゃんも、無事に戻ってくるって」
「離せ……!」
「大丈夫だってば」
怒鳴り返そうと息を吸い込んだ瞬間、喉の奥から嗚咽が洩れていた。涙があふれてあっという間に周りが見えなくなった。恐怖に耐えきれなくなってすがりつくと、足立は同じように抱き返してくれた。これまでの不安を全て吐き出すように、孝介はひたすら泣き続けた。
孝介が泣き止むまでに足立は煙草を二本灰にした。煙を逃がす為に薄く開けていた窓を閉めた時、孝介が顔をもたげるのに気が付いた。
足立は腕の力をゆるめて孝介を見た。涙を乱暴に拭ったあと、孝介は力の抜けた目でこっちを見た。腕を伸ばして床の制服を拾い、背中にかけてやった。そうして立ち上がった時、同じように立ち上がりかけた孝介の体が突然崩れ落ちた。
「ちょ……大丈夫!?」
あわてて体を支えると、孝介は苦しそうに奥歯を噛み締めてしがみついてきた。一緒になって床に座り込んだ時、うめき声が孝介の口から洩れた。
「どしたの? どっか痛いの?」
「……足が……」
「足? なに、怪我!?」
全然そんな素振りは見せていなかったからひどく動揺してしまった。足立はおろおろと部屋のなかを見回し、病院に連れて行こうかどうしようかと迷った。孝介は苦しそうに息を吐きながら顔を上げた。
「…………足、痺れた……」
恥ずかしそうに呟き、困った顔でこっちを見ている。足立は一瞬ポカンとしたあと、大きく吹き出した。そうして思いっきり笑いながら孝介の足をつついてやった。
「なに、痺れたの? ねねね、どっち? 右? 左? それとも両方?」
「ちょ、さわんなって!」
動揺した自分が恥ずかしくてたまらず、それを誤魔化す為に大声で笑ってやった。孝介は顔を真っ赤にして腕を押さえようとしている。だがそうやって動くたびに足が揺れ、痺れに響くのか大仰に悲鳴を上げた。
足立は笑いながら顔を上げた。泣きはらした真っ赤な目が視界に飛び込んできた。文句を言おうと顔を上げた孝介と目が合った。気が付くと二人は至近距離で顔を見合わせていた。
足立の腕を押さえる手に、わずかに力が加わった。二人は迷いながら顔を近付けていった。ほんの少し手前で躊躇していると、孝介の方から近付いてきた。
そっと唇を触れてすぐに離れていく。
すぐ側に孝介の息を感じた。震える手が足立の首筋に触れた。熱い指だな、と足立は思った。二度目にはためらいも消えていた。二人は唇を重ねて、長いあいだキスをした。
唇が離れたあとも、孝介の目はまだなにかをせがんでいた。
「……また来るから」
足立は手を上げると孝介の髪を梳いた。懐かしい感触だった。
――あーあ。
孝介は辛そうにうつむいてしまう。足立は顔を寄せて脇から顔をのぞき込み、「ね?」と優しく言い聞かせた。
「……はい」
唇に親指を触れると、ようやく孝介が顔を上げた。目の端に残る涙を舌ですくい、そのまま抱きしめた。同じように孝介の腕がしがみついてくる。
――やだなぁ、もう。
孝介の頭を撫でながら思う。――あのさ、君に頑張ってもらうしかないんだよ。君たち以外に誰が菜々子ちゃん助けられると思う? でもそれを言葉に出して応援するわけにもいかない。だからだ。だから同情のフリで誤魔化している。君の為じゃないよ、菜々子ちゃんの為だよ。そうやって自分自身も誤魔化そうとしている。
この身の重さを、温もりを、どれだけ望んでいたのかを、忘れようとしている。
体を起こすと孝介も顔を上げた。泣き疲れた目にはなにが見えているのか、キスをしても殆ど反応はなかった。
「今日はもう寝な」
足立はそう言って孝介の前髪を掻き上げた。
「また明日電話するよ。一緒にご飯でも食べよ」
「はい……」
一度目を落としたあと、孝介はなにを思ったのかまたこっちをみつめてきた。
「……足立さん」
「うん?」
なに、と訊くように目を向けると、孝介はゆっくりと手を上げて頬を撫でてきた。足立は無意識のうちにその手から逃げた。逃げてしまったことに自分で驚いて孝介を見ると、傷付いた顔で茫然とこっちを見ていた。
宙に取り残された手がそろそろと下ろされていく。その途中で足立は手首をつかみ、指先を自分の頬に触れさせた。孝介にさわりたいと思うことはあったが、考えてみれば触れて欲しいと思ったのはこの時が初めてだったかも知れない。
しばらく躊躇したあと、孝介の指が再び動き始めた。頬をなぞり、唇に触れて、髪の毛を梳いていく。足立は手を離しながら目を上げた。見ていると、孝介は奥歯を噛み締めてまた涙を落とし、突然首に抱きついてきた。
「足立さん……っ」
二人は言葉もなく抱き合った。耳元で孝介がしゃくり上げている。つられて泣きそうになりながら足立は孝介の髪の毛を梳いた。そうして力の限り抱きしめた。
――あーあ。
涙をこらえる為の嘆息が洩れた。
やっぱり駄目だ。やっぱりこうなっちゃうんだ。無理なのはわかってたけど、あーあ。
なんで君を好きなことが忘れられないんだろう。
孝介がゆっくりと体を起こした。まだ涙は止まっていない。足立は困って部屋のなかを見回し、遠くに転がるティッシュの箱を引き寄せ、中身を適当に引き抜いた。
「ホラ、洟かんで」
そう言って顔に押し付けると、孝介は泣き笑いの顔で「子供じゃないんですから」とティッシュで乱暴に涙を拭い、こらえきれずにまた涙を落とした。そのまま誤魔化すように視線をそらせたが、見えていないわけがない。
「ごめん」
我慢出来ずに抱き寄せた。腕のなかで孝介は無言で首を振っている。背中にしがみつき、これまでの全てを吐き出すように涙を流し続けている。
ためらったのちに、足立は本心を吐き出すことにした。
「……会いたかったよ」
「俺もですよ……!」
責めるような口調が胸に響いた。思う存分罵ってくれと足立は思った。
またこんな風に抱き合える時が来るなんて、あの日には想像も出来なかった。
静かな部屋のなかに、孝介のしゃくり上げる声だけが小さく響いている。あらためて床の制服を拾い背中にかけてやった時、不安そうに孝介が顔を起こした。涙は止まりかけていたが、まばたきをした瞬間、またひと粒の涙がこぼれ落ちた。
足立は迷いながら顔を寄せて涙の跡に唇を触れた。孝介は持っていたティッシュで顔を拭い、何度か深呼吸を繰り返している。
頬に手をかけ、親指で涙の筋道を拭った。そのまま顔を寄せた。
「……また明日、電話するから」
「……」
「今更顔合わすの嫌かも知んないけど、その――」
「嫌じゃないです」
呟いたあと、孝介は真っ赤な目を上げて足立を見た。その目はまるで訴えかけるかのように、まっすぐこっちを向いていた。
「足立さんがいいんです……っ」
もう言葉はなかった。思いっきり抱きしめて、嬉しくて、泣いた。
やだなぁ、もう/2011.01.22
2011.02.12 一部加筆訂正