それはどこかの研究施設のようだった。なにに使うのかわからない大掛かりな装置が狭い部屋に幾つも並んでいる。
部屋の中央にしつらえられた手術台の前で、白衣を着た白鐘が滔々と話を続けている。サイズの合わない白衣は袖から腕を出すことも出来ない。だが演説を続ける白鐘はそんなことなど微塵も気にしていないようだった。自分の考えに捕えられて現実の見えない目で、存在しないテレビカメラを追い続けていた。
ふた月振りに映ったマヨナカテレビ。
「――死んじまえ、クソガキ」
白鐘の言葉と同じように、足立の呟きは誰にも届かないまま闇に消えた。
陽介は大喜びで弁当を片付けている。隣に腰掛けた孝介は、その勢いの良さに感心しながら、代わりにもらった総菜パンへとかじりついていた。まだまだ暑いと思っていたが、季節は確実に移りつつあるようだ。半袖から伸びた腕に落ちる陽射しも、今日は心なしか弱々しい。
「白鐘の具合、聞いてる?」
問い掛けに陽介はうなずいた。
「こないだ里中が電話したとか言ってた。結構元気らしいぜ」
「ならよかった」
孝介は安堵のため息を吐き出した。
「しっかしあいつも、ホントに無茶するよな。俺らが気付かなかったらどうするつもりだったんだっつうの」
「それだけ本気だったってことだろ」
「それにしたってさ」
陽介は眉間に皺を寄せて苦々しげな表情だ。確かに、と呟いて孝介は肩をすくめた。
二ヶ月振りにマヨナカテレビが映った。だが本来これは有り得ないことだった。だって犯人は逮捕されているのだから。
マヨナカテレビは真犯人が別に居るということを教えてくれた。ようやく取り戻した平和は、実は仮初めのものだったらしい。驚きと動揺が孝介たちを包んだが、それならそれで納得のいくこともある。
例外だらけの諸岡殺し。あれは久保美津雄の模倣殺人だったのだ。
救出に動いた孝介たちだったが、今回は意外と難航した。久し振りのことで勘を取り戻すのに多少の時間がかかったし、敵のレベルも確実に上がっている。真犯人が居るとわかった今、こちらもうかうかしていられない。
今は直斗の回復待ちだ。なにか新しい情報が手に入ればいいが、これまでの流れからいってその可能性は低いと見ていた。山野真由美から数えて六人もの人間を誘拐しているのだ。そう簡単に尻尾を出すとは思えない。
弁当を食い終えた陽介は「ごっそさんでした!」と元気よく声を上げて両手を合わせた。そうしてペットボトルに手を伸ばしながら、にしてもさ、とこちらに向いた。
「なんで犯人、今更動いたんだと思う?」
「どういう意味?」
「だってさ、久保の野郎が逮捕されたんだぜ? あのままなにもしなかったら、ほかに犯人が居るなんて思いもしなかっただろ」
「それはそうだけど……」
孝介は返事に困り、食い終わったパンのビニール袋を細く折り畳み始めた。
言われてみれば確かにそうだ。直斗が誘拐されるまでそんな考えは殆ど浮かばなかった。
「むしろ久保が逮捕されたからってことはないかな」
ふと思い付いて孝介は言った。陽介が疑問の眼差しを投げかけてくる。
「今だったら警察が動くことは殆どないわけだろ? ある意味自由にやれるんじゃないかなって思ったんだけど」
「なるほどな。有り得そうだ」
ジュースをひと口飲んだ陽介は、憎々しげに足元を蹴りつけた。
「ったく、いい根性してやがる」
そうだな、と孝介は同意した。そして吹き付ける風に誘われて、校庭へと顔を向けながら笑った。
「犯人もそう思ってるかもな」
「なにが?」
「俺らのことをさ。『しつこい奴らだ』って、今のお前みたいに言ってるんじゃないのか」
「ここまで来てあきらめられっかよ」
そう言って陽介はふてぶてしく笑った。
「あーったく、あのちびっ子探偵、早く学校出てこねぇかな」
「こればっかりはなあ」
直斗の体に任せるしかないのだから仕方あるまい。
しばらくむっつりとした顔で考え込んでいた陽介だが、なにを思い付いたのか不意にぐししと気味の悪い笑い声を上げた。
「どうせだから見舞い行ってやるか」
「いいけど……」
「完二連れて」
意図を察した孝介は呆れ顔で振り返った。
「お前ね、いい加減にしないと本気で完二に殺されるぞ」
「なに言っちゃってんの。俺の親心を察して欲しいくらいですよ」
「誰が親だ、誰が」
思わず苦笑が洩れた。陽介はなにが不満なのか、「だってさあ」と反論をかましてきた。
「言わせてもらうけど、俺、去年転校してきてから一個もいいことなしだぞっ。ジュネスの店長の息子ってだけで商店街の人には目の敵にされて、バイトの連中にはいいように利用されて、……なんか、気になる娘には片っ端から振られてばっかだし」
それはお前がガッカリ王子だからじゃないのかと思ったが一応言わないでおいてやった。
「その癖あとから転校してきたお前はとっとと年上の彼女捕まえやがるしっ」
「それは関係ないだろ」
「っつうか先生、その後彼女とはいかがなんですか」
陽介は手に握ったペットボトルをマイクに見立てて差し出してきた。
「なんで話がこっちに来るんだよ」
「いいじゃん、教えろよ」
そう言っておかしそうににやにやと笑っている。その顔を見ていると、とてもじゃないが正直に話そうという気にはなれなかった。孝介は誤魔化すように頭をガリガリと掻き、さあね、と呟いてそっぽを向いた。
「あれ? 上手いことやってんじゃねぇの?」
拍子抜けしたような顔で陽介がまじまじとみつめてくる。孝介は返事に詰まってしまった。
「そう見えた?」
「だってお前、なんも言わねぇしさあ」
陽介は少し意外そうだった。話すのをためらっていると、「言いたくないならいいけどさ」と目をそらせてしまう。相談もしてくれないのかと言外に聞こえてくるようだった。その姿を見た時、孝介は今更のようにハッとした。嫌な話になるかも知れないのに、それでも陽介が聞こうとしてくれていたことに、今の今まで気付いていなかったのだ。
その、と言いかけて陽介を見ると、友人はペットボトルをもてあそびながらもこちらに向いてくれた。
「……最近、ちゃんと会ってないんだ。電話も殆どしてないし」
「なんで。仕事忙しいとか?」
「多分そうだと思うけど……」
それは予想というよりは希望だった。そうであって欲しいと思うのは、そうじゃない可能性の方が高いことを知っているからだ。
夏休みの後半にドライブへ誘われて以来、足立とはまともに話をしていなかった。直斗のことを尋ねたり、家に帰ったら何故か酒を飲んでいたりと、顔を合わせる機会はそれなりにあった。だがなんとなく話しづらくて、必要最低限の会話しか交わしていない。
部屋で一人になった時、電話をしてみようかといつも迷う。だが掛けてなにを話せばいいのかわからなくて、結局電話を放り出してしまう。その繰り返しだった。
孝介は今も足立がわからない。
自分の気持ちもわかっていない。
このままではフェードアウトするように関係が終わってしまう気がした。孝介のなかには、それでいいじゃないかとささやきかける自分も居る。無理にしつこくして今以上に嫌われることもない。単に飽きただけとか、足立だったらそんな程度の理由でも納得がいく。
多分、自分さえ騒がなければ、少なくとも今のままで居られるに違いない――。
「暗い顔してんなぁ」
陽介の言葉にのろのろと顔を上げた。孝介はうなずいて、そのままがっくりと肩を落とした。こんなに気持ちがダダ洩れ状態なのだ。自分を騙すことなど無理に決まっている。
「電話してみりゃいいじゃん」
「やだよ」
「なんで」
「……なんか、怖くてさ」
勿論声が聴きたかった。会って顔が見たかった。しかし電話を掛けようとするたびになにを話そうかと考えるのだが、いつも思考はひとつのところへたどり着いてしまうのだ。
――俺のこと、嫌いになったんですか。
うん、と言われるだけならまだいい。嫌われたのなら仕方がない、それなら素直にあきらめもつく。
怖いのは、別に最初から好きじゃなかったよ、という言葉だ。その最後通牒を受け取る準備は、さすがの孝介にも出来ていない。
再びのろのろと顔を上げた孝介は、一度大きなため息をついた。
「なぁ陽介」
「うん?」
二人は同時に顔を見合わせていた。おかしいことに気付いたのは孝介が先だった。
「じゃなくて、花村」
「いちいち言い直すなよっ」
陽介は照れたようにそっぽを向き、どっちでも好きに呼べばいいだろ、とぶっきらぼうに言い放った。孝介はうん、とうなずいたあと、あのさ、と言葉を続けようとした。
「……なに言おうとしたんだっけ?」
「俺が知るかよ」
横目でこちらを見ながら陽介は笑っている。しばらく考え込んだが、なにを言おうとしていたのか本当に思い出せなかった。孝介は空を行く雲を眺め、まぁいっか、と呟いた。
「夏も終わりだなぁ」
「なー。終わっちまうぜ」
「……いつになったらケリがつくのかな」
ふと飛び出した言葉だったが、それは事件のことだったのか、それとも足立のことだったのか、やはり孝介にはわからなかった。