「あーっと、こんちゃーっす」
 足立が声をかけると、軽トラの荷台に半身を突っ込んでいた男はのろのろと体を起こした。全身緑色で統一された作業着の上に、ちょこんと腑抜けた顔が乗っている。男は下の方から遠慮がちに足立を眺め、見覚えがあることに安堵したのか、ああ、と呟いてかすかに笑った。元議員秘書の生田目太郎だ。
「ども、稲羽署の足立です」
「どうも……」
 かぶっていた帽子を取って生田目は頭を下げた。帽子にはうさぎの跳ねる姿と共に「いなば急便」という文字が入っている。運送業は生田目の実家の家業だった。
「今日はなにを――」
「いやあ、例の事件に関連するのかは、まだわからないんすけどね」
 足立は一旦言葉を切ると、わざとらしく周囲を見回した。そうして声をひそめ、
「天城屋旅館の娘さん、居なくなっちゃったって、知ってます?」
「え……」
 生田目は一瞬、虚を突かれたように宙をみつめた。
 ――おっまえ、演技下手だなぁ。
 心のなかでダメ出しをしながら足立は手帳を取り出した。
「時間はハッキリしないんだけど、どうも十六日の夕方から夜にかけて居なくなったみたいなんすよねえー。生田目さんは配達であちこち回るだろうから、なんか不審な人物とか車とか見かけてないかなーって」
「十六日……」
「土曜日の夕方。まあ最近マスコミがあちこちうろうろしてるから、怪しいっちゃみんな怪しいんだろうけど」
 邪魔だよねぇあいつら、と言って足立は笑うが、生田目は聞いてないようだった。ぼんやりと荷台へ視線を落として、なにか思い出すような仕草をする。
「……土曜日は、確か一度荷物を届けに行きました。皆さん忙しそうで」
「団体さんが入ったとかで、すっごく大変だったみたいすよ」
「そうですか……」
 そうしてまた少し考え込んだあと、生田目は小さく首を振った。
「駄目ですね。最近はマスコミの車も多いですし、不審人物と言っても誰が誰だか……」
「ですよねえ」
 足立はわざと大きなため息をついて、さっさと手帳を仕舞い込んだ。
「まぁまだ事件って決まったわけでもないし、全然関係ないただの家出かも知れないんで、こっちもあんまり心配はしてないんすけどね」
「……」
 その言葉に、生田目はちらりと視線をそらせた。胸ポケットに突っ込んである伝票を取り出して、今更ながら仕事中だということをアピールしてみせる。
 ――で? どうなのよ、今のお気持ちは。
 ズボンのポケットに手を突っ込んで、足立は車のキーをもてあそぶ。そうして、どうなんすか、と重ねて思った。
 加害者の側に立った今の心境は。
 ただ残念なのは、生田目は自分が殺人に手を貸したのだと自覚していないことだ。生田目は雪子を「助けた」と思っている。
 ――あーあ、教えてやりたいなぁ。
 あんたがやったことで、一人の女子高生が死んじゃうんだよ。その事実を知った時、生田目はどんな反応を見せるのか。
「どうすか、仕事にはもう馴れました?」
 荷台の扉を閉める生田目に声をかけると、彼は「ええ」とうなずいた。
「まだ手間取ることも多いですけど、なんとか」
「議員秘書から宅配便だもんねぇ。業種が全然違うもんねえ」
「……」
 生田目はちらりと腕時計を見た。
「すみませんが、そろそろ配達に行かないと……」
「あーっと、気が付きませんで」
 店の表へ向かう途中で足を止め、わざとらしく声をかけた。
「そんじゃ、お仕事頑張ってください」
 運転席のドアを開けた生田目は、複雑な表情でうなずいた。
 車に戻った足立は車体に寄りかかって煙草を取り出した。そうして生田目の乗った軽トラが駐車場を出ていくのを見守った。そのまま煙を空に向かって吹き付け、こっそりと笑う。
 ――さあて。
 空は胸やけがするほど綺麗に晴れ渡っている。天気予報ではしばらくこの陽気が続くそうだ。
 ――生田目さんの絶望タイムは、いつかなあ。
 ああまったく、なんだってここはこんなに面白い町なんだ。
 僕、ここに来てよかったのかも。左遷されてから初めて足立はそう思った。


「――は?」
 足立は両手にコーヒーの入った紙コップを持ったまま廊下に立ち尽くしていた。堂島は片方のコーヒーを受け取ってから繰り返した。
「天城雪子が戻ったそうだ。少し前に女将から連絡があった」
 堂島は心なしかホッとしているようだった。すわ三件目かと色めき立っていただけに、雪子の生還はやはり喜ばしいニュースであるようだ。
「どうした」
 茫然と突っ立っている足立を見て、堂島が不思議そうに声をかけてきた。足立はあわてて我に返り、大袈裟に首を振ってみせた。
「いえいえいえ。いやあ、よかったなぁと思って」
「ああ。これで旅館の連中も安心して眠れるだろう。……けどな」
「なんです?」
 堂島が歩き出したのにつられて足立もあとを追った。
「近くに居た連中が話を聞きに行ったんだが、天城雪子は居なくなったあいだのことをよく覚えていないと言うんだ」
「よく覚えていないって……じゃあ、やっぱり誰かに誘拐されてたってことですか?」
「少なくとも、ただの家出じゃなかったみたいだな」
 そう言って捜査本部である会議室へ入りながら、堂島は小さくため息をついてみせた。
「なんなんだ、こいつは」
「えぇ? いや、僕に訊かれても……」
「もしこれが例の事件につながるものだとしたら、何故犯人は天城雪子を殺さなかったんだ? 少なくとも自力で脱出したわけじゃなさそうなんだ。だとしたらどうして犯人は彼女を逃がしたんだ? なにかまずいことでもあったのか? それともこれは事件と全く関係のない、模倣犯の悪戯なのか?」
 堂島は壁に寄りかかりながら、思い浮かぶ疑問を次から次へと口にしていく。そうして最後に、はたと困った表情になって、「俺にはさっぱりだ」と首を振った。
 ――僕にもさっぱりなんだけど。
 コーヒーに口をつけて足立は考え込む。
 生田目はテレビに人間を入れる力を持っている。そしてその力で雪子をテレビに入れた――本人の善意で。これは間違いない。
 テレビのなかはかなりヤバい場所だ。あそこへ入ったらただで出られる筈がない。生田目はそれを知らないから、雪子を保護する為にテレビへ入れた、だからテレビから出す筈がない。
 ということは、どういうことだ?
 雪子が自力で出てきたのか、あるいは生田目以外の誰かが助けたのか。
 ――まさか。
 足立は自分が思い至った考えのおかしさに、思わず笑いを洩らしてしまった。そうして、
「なんだか余計に混乱してきましたねえ」
「まったくだ」
 堂島はがりがりと頭を掻き、大きなため息をついた。
 捜査本部に人の姿は殆どない。時間が遅いせいもあってか、数人が報告書をまとめているだけだった。
「今日はもう上がるか」
 気が抜けたように堂島が呟いた。
「あ、じゃあ途中まで送ってってもらえませんか。商店街の辺りで降ろしてもらえると、すっごく助かるんですけど」
「この野郎、上司をタクシー扱いか?」
 そう言いながらも、堂島は笑っていた。いっそう謎が深まろうとも、ともかく雪子が戻ったという報せは、暗礁に乗りかかっている事件のなかにわずかな光をもたらしたようだ。堂島は紙コップに残っていたコーヒーを飲み干して続けた。
「どうせだ。うちで晩飯でも食っていけ」
「え、いいんすか!?」
「と言っても、あるのは出来合いの総菜ばかりだがな」
「うーわー、すんません、ゴチになりますっ」
 大きく頭を下げながら、とにかく明日にでも生田目に会いに行こうと足立は考えた。絶対になにか知っている筈だ。出来る限り聞き出してやる。
 あんなうだつの上がらない男が、自分以上に情報を握っているなんて、許せるものか。


 駐車場に戻った軽トラの運転席に生田目の姿を認めて、足立は車を降りた。道路を横切り、事務所へ戻ろうとする生田目を呼び止める。
「あぁ、どうも」
 生田目はいささかうんざりしたような顔で足立を出迎えた。ども、と足立は片手を上げて、いつものように笑ってみせた。
「今度はなんの御用ですか」
「いやあ、今日は話を聞きに来たわけじゃないんですよ。一応報告をと思いましてね」
 そうして雪子が戻ったということを教えると、
「本当ですか!?」
 不思議なことに、生田目の顔がぱっと明るくなった。
 ――あれえ?
 瞬時にして足立の頭のなかはクエスチョンマークでいっぱいになった。
「……ま、まぁ、ひどく衰弱してるらしくって、今は学校も休んでるみたいなんすけどね」
「そうですか……でも本当によかった。これで親御さんも安心したでしょう」
「そっすねえ」
 動揺したせいで足立の返事は不自然に力の入ったものとなった。しかし生田目はそれに気付いていないようだった。二人の男は互いに自分の思考へと深く入っていた。
 ――あれれれれ?
 足立は心のなかで首をひねっていた。生田目の喜びは本心からのもののようだ。だけど、だとしたら、これは一体どういうことだ?
 あんたが助けたんじゃなかったの? だってテレビに放り込んだのはあんただし、ほかにそんなこと出来る奴なんて居るわけが――。
 ――まさか。
 そのことに思い至った時、足立は不意に戦慄を覚えた。
 ――居るのか?
 雪子を助けた第三の力が、この町のどこかにあるというのか?
 だけど考えられないことじゃない。今ここに、同じ力を持つ人間が二人居る。三人目が居ないなんて、どうして断言出来るだろう?
 ――へえ。
 喜びに浸る生田目を前にうつむき、見えないところでにやりと笑った。
 ――いいんじゃないの?
 テレビのなかに入り込んで、あんなヤバそうな場所から人を助けることが出来る、そんな人間が。
 あんな場所へ入り込んで他人を助けようなどと思う、バカな誰かが。
 それがどうやら居るらしいとわかっただけでも収穫だった。足立は満足してぞんざいに挨拶をすると、さっさと車へ戻ってしまった。
 運転席に腰を下ろして勢いよくドアを閉める。煙草を取り出し、火を付けながら窓を開ける。大きく煙を吐いた時、我慢出来ずに口にしていた。
「おっもしろいなあ」
 そうして存分に笑い声を上げた。怒りにかまけて殴りつけたこぶしがクラクションを鳴らしてしまい、それがおかしくて、また足立は笑った。


あれえ?/2010.11.24


back 小説トップ