放火というのは現在でも重罪である。
それでもいたずらに火を放つバカはなくならない。
足立は東京で暮らしていた時、なんの因果か消防署の側に住んでいて、風の強い時期になると毎晩のように消防車のサイレンを聞いたものだ。
勿論不審火ばかりではないだろう。思いもよらぬ事故の方が圧倒的に多かった筈だ。
それでも火を放つバカは決して居なくならない。
ある時、放火の罪で捕まった男のニュースを見た。
男の職業は消防隊員だった。
理由を問われて男は答えたそうだ。
『火事が起きれば自分の活躍の場が増えるから』
――バカじゃないの?
カウンターでラーメンをすすりながら足立は心のなかで吐き捨てた。
だけど、今ならその男の心情が理解出来るような気がしていた。
足立の目の前には、電柱に引っかかった女子高生の死体がある。
おとといの晩、自分がテレビに突っ込んだ小西早紀の死体が。
勿論これで活躍の場が増えた、などと足立は思わなかった。面倒な事件が二度も続いたのだ。むしろ、やっかいなことになったなぁ、というのが刑事としての本音だった。
それでも足立はわくわくしていた。
――ああ、面白いなあ。
それが生身の彼の本音だった。
天城屋旅館の女将は話の途中で言葉を詰まらせ、うつむいた。
「……私が無理をさせてしまったんです」
絞り出すような声だった。足立はなんとなく気詰まりで、脇に立つ堂島へと逃げるように視線を動かした。
先輩刑事である堂島は、このところの忙しさで殆ど寝ておらず、女将と同じように憔悴の色を濃くしている。だが打ちひしがれるだけの女将と違って目には力があった。それは「責任感」の色だ。足立は刑事という仕事に情熱などかけらも持っていなかったが、だからこそ先達が放つこういった気合のようなものに触れるたびに、うとましくもなり、同時に憧れのようなものも感じていた。
「まだ事件と決まったわけじゃありません」
なだめるように堂島が言った。
「でも……っ」
「娘さんが居なくなってまだ一日です。もしかしたらひょっこり帰ってくるかも知れない」
「そ、そうですよぉ。バイトサボって遊びに行くとか、僕も学生の頃によくやってましたもん。そうなると今度は逆に行きづらくなって、バイト先から連絡が来ても居留守使ったりとかしちゃうんですよねぇあはは――痛!」
堂島の靴が右足を思いっきり踏みつけている。声に驚いて女将が目をぱちくりとさせた。足立は警戒させないよう、とにかく笑顔を保ち続けた。
「一度お話しただけですが、娘さんは非常に責任感の強い方だ。それでも、まだ一介の高校生です。遊びたい気持ちも確かにあるでしょう」
全体重をかけたあと、堂島はゆっくりと足を放していった。そうして何食わぬ顔で言葉を続けた。
「どうか必要以上に騒ぎ立てずに、いつも通り帰りを待ってあげてください。勿論、我々も全力を尽くして捜索を行います」
「でも……」
言いかけて、女将は言葉を切った。その先を言うのが恐ろしいと顔に書いてある。
――まあ、そうだよなあ。
足立はじっと女将の横顔を眺めている。
不安に怯える人間というものは何度見ても面白い。危うい均衡の上になんとか平静を保っているだけなのだ。ちょっとつつけば簡単にその顔は歪み、涙をこぼし、半狂乱になって騒ぎ出す。
――あー、からかってやりたい。
ま、こいつが居るところじゃ無理だけど、と横目で堂島を見ると、向こうも同じようにこっちを見ていたので一瞬ドキッとした。胸の内を悟られたかと思ってあわてて笑顔を返す。
「とにかく、なにかあったらすぐに連絡をください」
「……わかりました。ご迷惑をおかけします」
「いえ」
堂島は一礼をすると足立に向かって行くぞ、と顔を振った。足立は遅れて頭を下げ、あたふたと堂島のあとを追った。
旅館の裏手にある事務所を出ると、玄関に向かって二人組の男性が歩いていくのが見えた。宿泊中の客にしては表情が硬い。またぞろマスコミの類であろう。
千客万来だね、と嘲り半分に足立が思った時、堂島が小さく舌打ちをする音が聞こえた。
「一旦、署に戻るぞ」
不機嫌そうな声だった。足立は無意識のうちに首をすくめていた。
「三件目ですかね」
命令されて運転席に乗り込む前、足立はそっと尋ねてみた。助手席のドアノブへ手を伸ばした堂島は、少し考え込んだあと、わずかに首を振った。
「まだわからん」
「でも――」
「状況だけ見れば、確かに前の二件と似たものがある。しかも二件目の被害者である小西早紀と天城雪子は同じ高校だ」
「八十神高校でしたっけ。普通の田舎の高校って印象でしたけどねぇ」
「お前の言うとおりだよ」
堂島は苦笑して車に乗り込んだ。
エンジンをかけたが、堂島はぼんやりとフロントガラスの向こうを眺めたまま、シートベルトを引こうとしない。
「あのぉ、煙草吸ってもいいすか?」
恐る恐る訊くと、「好きにしろ」とつっけんどんな返事があった。足立は一応恐縮しながら煙草の箱を取り出した。
「……足立」
「はい。あ、窓ですね、今開けます、はい」
「じゃなくてな。……」
堂島は、どういうわけか渋い顔つきで火の付いた煙草を眺めている。
「お前、なに吸ってんだ」
「キャスターですけど」
「……一本くれ」
「えええぇぇ!?」
驚きのあまり、灰を膝に落としそうになった。煙草の箱を受け取った堂島は、居心地が悪そうに空咳を洩らした。
「そんなに驚くことか」
「だって堂島さん、ずっと禁煙してるって――」
「七年振りの一服だ」
ライターで火を付けてやると、堂島は胸いっぱいに吸い込んだ。久し振りのニコチンは効くらしく、苦しそうに眉根を寄せている。
「動機はなんなんだ?」
七年振りの煙を吐き出したあと、苛立たしげに吐き捨てた。足立は思わず目をそらせた。
「それは犯人に訊かないと……」
「女ばっかり二人も殺しやがって、……くそっ」
堂島は怒りをぶつけるように足元を蹴りつけた。その隣で足立は煙草を口にくわえ、窓の隙間から吹き込んでくる風に目を細めていた。
――動機?
風に逆らうように細く煙を吐く。
――ないよ、そんなの。
出来たからやっただけだし。そしたらあいつら、勝手に死んじゃっただけだし。
足立は煙と共にため息を吐き出した。
――三人目、か。
テレビに映っていた和服姿の雪子を思い出す。まだ高校生だというが、あの首筋には惹かれるものがあった。もっとしつこく話を聞きに行けばよかった。まさかこんなに早く生田目が動くとは。
もしかして処女だったのかなぁ、だったらちょっともったいないことしたなぁ、――刑事にあるまじき思考をつらつらと続けたのち、わずかな笑みと共に足立は考えた。
――死体、いつ挙がるのかなあ。
抑えきれずに喉の奥から笑い声が洩れてしまう。足立はあわててむせたフリで誤魔化した。それを見た堂島は、呆れたような顔で半分残った煙草をもみ消し、シートベルトを引っ張り出した。
「行くか。愚痴ってても仕方がねえ」
「あぁ、はい」
堂島に続いて煙草を消した足立は、同じようにシートベルトを締めてハンドルに手を置いた。
天城屋旅館の一人娘、天城雪子が居なくなったと連絡があったのは、昨夜遅くのことだった。
稲羽市では今、二件の殺人事件が続けて起きている。そこへきて雪子の失踪だ。誰もが関連付けてこれを考えないわけにはいかなかった。
雪子は何故居なくなったのか? もし誘拐されたのであれば、犯人の狙いは? 被害者の共通点は?
これらの全てに、警察はまだなにも答えられない。そもそも死因すらわかっていないのだ。遺体の状況から死亡推定時刻が出されているだけで、どうやってアンテナや電柱にぶら下げたのか、その方法も正確にはわかっていない。
最初の被害者である山野真由美の死体が発見されてから、ようやく今日で六日目。ここ数年来、有り得ないほどに殺伐とした空気が稲羽署内に漂っていた。
そんななかでただ一人、普段と変わらず呑気な刑事が居る。
――みぃんな、怖い顔しちゃってぇ。
春に本庁から異動になった足立透である。
切れ者のエリートという触れ込みでやって来た足立だが、本物のエリートであればこんな鄙びた地へ役職もなしに異動してきたりはしない。要は左遷されたのだ。今は堂島の部下として毎日こき使われている。
足立が一人だけのほほんとしているわけは、勿論左遷されてしまった結果、最初からさほど抱えていたわけでもないやる気を一気にマイナスまで持っていかれたせいだ。ばっかばかしいじゃんあっはっはー、というわけである。
だって稲羽市って、ビックリするくらい田舎。
ジュネスという大きなスーパーが出来たせいで、古くからある小売店は軒並み潰れてしまっていた。同じものを売っていても、どうせなら小奇麗かつオシャレな店で買う方がいいらしい。別にオシャレな店で買ったって、古ぼけたおばさんまでもがオシャレになるわけじゃないのにねぇ。
あ、あと、電車が一時間に一本、ひどい時は二時間に一本しか来ないんだ。しかも最寄駅の八十稲羽駅って支線の終点だから、ちょっとした繁華街で呑んでいても、いよいよ盛り上がるっていう時にもう帰り支度を始めないといけないんだよ。これじゃあコンパでお持ち帰りとかもしてもらえなくて、かわいそうだね。
それから車は一家に二台が普通なんだ。お父さん用とお母さん用だね。それ以外には田んぼへ行くお爺ちゃんお婆ちゃんの為の軽トラがあるかな。車がないとどこにも行けないからさ、ここ。バスが通ってるったって、路線が充実してるわけじゃないしさ。っていうか僕、均一料金じゃないバスに初めて乗ったよ。いやあ、日本もホントに広いよねえ。
――クソが。
本庁に居た頃の足立はそれなりに「出来る」人物として上の人間から目をかけられていた。ちょろい、と内心嘲笑いながら日々平穏に過ごしていたところで、やらかしてしまったのは本当に小さなミスだった。
小さいけれども決して無視出来ないミスだった。
そのミスが決定打となって足立は出世コースから外された。やる気など一ミリも出る筈がない。
更に足立がほかの刑事と違って呑気に構えている理由がひとつある。足立が、現在堂島を筆頭にして、皆が血眼になって捜している連続殺人事件の犯人だからだ。
繰り返して言う。犯人は足立だ。
しかしこれには足立にも言い分があった。それは「だって僕、テレビに入れただけだし」という、実に重みのないひと言である。
――あー、おっかしいの。
捜査員は日々苛立ちと疲労をつのらせ、睡眠不足の目をこすりながら今日もあちこちへと駆けずり回っている。勿論足立もそれに参加させられているわけだが、気合など当然入らない。熱意なんてかけらもありはしない。自分が起こした行動によって大勢の他人があたふたする様を見て、陰で独り嗤うばかりだ。
『自分の活躍の場が増えるから』
放火で捕まったあの男は、多分仕事熱心だったんだろうと足立は思う。それと同時に頭も悪かったんだなぁと今なら思う。
やるなら絶対にばれない方法を選ばなくちゃねえ。
テレビに入れてどうなるのかは考えなかった。そもそも山野真由美をテレビに落としたのだって、偶然みたいなものだった。そういう意味で面白かったのは、やっぱり小西早紀の時だ。
殺意を持ってテレビに落とす。
でも自分がやったのはそれだけだ。
死んだのは奴らの勝手。
僕、なんか変なこと言ってる?
そして今、足立は更にわくわくし始めている。協力者が現れたのだ。絶対に捕まらない方法で、それが殺人へつながることだとも知らないで。
――やっぱ、こうでなくっちゃ。
人生なにが起こるかわからない。残念なのはこの秘密を語り合う仲間が居ないことだが、ま、所詮凡人には理解出来ない話だしね。
こんな楽しいこと、誰かに教えちゃうのも勿体ないしねえ。