外の空気は冷たかった。さすがの孝介も、これには身震いが止まらない。しかし、だから言ったのにと足立に言われるのがなんとなく気に食わなくて、やせ我慢で胸を張って歩き続けた。
「風邪ひいたって知らないからね」
「ひいたら足立さんにうつしてあげますよ」
「いらないよ、そんなもの」
「なんでですか。遠慮しないでもらってくださいよ」
「うぎゃー、寄るなバイキン!」
まだクシャミすらしていないというのに、足立は夜道を走って逃げた。ホントにあんたは子供か、と心のなかで突っ込みながら孝介はあとを追った。
キャベツ鍋は美味かった。ことのあとで余計に腹が減っていたせいもあり、二人で夢中になって片付けた。足立は購入したばかりのヒヨコの茶碗で嬉しそうに飯を食った。趣味が合わないというのは致命的ではなかろうかと思ったが、とりあえず考えるのはやめにしておいた。
「ポケットに手入れるとあったかいよ」
足立はなにを思ったのか突然振り向くと側に駆け寄ってきた。そうですねと答えた時、不意に片手を取られ、そのまま足立が着るコートのポケットへと突っ込まれた。
「あああいやあの」
「ねー。あったかいでしょ」
逃げようと腕を引いたが、足立は孝介の手を強く握りしめて笑うばかりだ。幸い二人は例の細道へ入り込んだところで周囲に人影はなく、恐らく見られることはないだろうが、それにしたってこれはさすがに恥ずかし過ぎる。
「……足立さん」
「んー? なにー?」
「あの……離してください」
「やだ」
声音はいつもの調子だったが、やけにきっぱりとした返事だった。足立はまっすぐ前を向いて歩きながら、ポケットのなかで孝介の手を握り直した。
――今は違うんだ
その言葉を体現するように、ぎゅっと。
結局足立に手を取られたまま自宅まで帰り着いた。本当は泊まっていけと言われたのだが、病院からなにか連絡があるかも知れないからと言って泣く泣く断ったのだった。
玄関の鍵を開けて足立を見ると、彼は目を扉へと向けた。真っ暗な玄関の扉を開けて一歩踏み出した時、何故かそれに足立が続いた。一緒に三和土へ入り込んで後ろ手で扉を閉めると、突然唇を重ねてきた。別れを惜しむかのように、二人は長いあいだキスをした。
唇が離れたあとも、しばらくのあいだ無言で抱き合っていた。いつか足立が「帰したくない」と言った時の気分が理解出来るようだった。
離れたくない。一日中でも一緒に居たい。
だけど、残念ながらそういうわけにもいかないのが実情だ。お互いこなさなければならない義務がある。本当に朝が来るのは面倒臭い。
「じゃあね」
足立は孝介の頭を何度か撫でたあと、抱き寄せて額にキスをした。そうして離れそうになる手を、孝介はあわてて引き止めた。
「あの、」
「うん?」
恥ずかしくて顔が上げられない。だけど言わないと後悔する。孝介は意を決して口を開いた。
「…………足立さんがうちに泊まるのは、駄目なんですか」
「いいの?」
無言で何度もうなずいた。勿論駄目なわけがない。
「じゃあ今度ね」
「今度おおおおお?」
意外な返事にむくれて顔を上げる。睨み付けるようにすると、足立はあわてて首を振った。
「いやだって、今日はちょっと無理だよ。僕今、携帯も持ってないし――」
孝介はうつむいた。壁に寄り掛かり、無言で足立の手を握りしめる。
「あの……お願いだから拗ねないで」
「……拗ねてないですよ」
だが気分はそれに近いものがあった。せっかく妙案を思い付いたのに、「また今度」って、それはないだろう。
孝介は上目遣いに足立を見た。彼はおろおろしながら言葉を探している。手を引くと足立が一歩側に寄った。額を合わせ、二人は同時に言うべきことを考えていた。
「……帰っちゃうんですか」
「あぁいやその、今日はね。あの……ホラ、また明日電話するから」
「帰っちゃうんですか」
「……あーもー、お願いだから誘惑しないで」
「誘惑って、そんな」
足立の言葉がおかしくてつい吹き出してしまった。それで何故かあきらめがついた。あらためて顔を上げ、頬に唇を触れたあと、孝介は小さく笑った。
「電話?」
「うん。電話する。絶対にするから」
「はい」
淋しいが仕方ない。足立はまだ気にしているようだったが、孝介がもう一度笑うと、ごめん、と呟いて抱きしめてくれた。
「今度は絶対ね」
「はい」
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
そっとキスをして、孝介は手を離した。扉を閉める時、足立は笑って手を振った。孝介も同じように手を振り返し、一人で家に取り残された。だが手にはまだ足立の温もりが残っていた。足立の声が、おやすみ、と呟いていた。
一人だけど、一人じゃない。
全然違ってる/2011.01.31
2011.02.13 一部加筆訂正
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