口から飛び出た憤りの強さに自分で驚いていた。それで気が付いた、確かに怒っている。この大人はなんでこんなに無責任なことばかり平気で言うのだろう。他人事だから言うのは簡単だと思っているのだろうか。
「そんな……一年先に自分がなにしてるのかわからないのに、卒業したあとのことなんて考えられるわけないじゃないですか。いや、一応進路は考えてますけど、……出来ることと出来ないことがありますよ……っ」
 ずぞぞ、と足立が味噌汁を吸い込んだ。
「そりゃそうだ。来年僕がここでなにしてるかなんてわかるわけがない」
「でしょ?」
「でもある程度の予想は立つ。とりあえず僕は稲羽署に勤めてるだろうし、君は東京で高校三年生やってる。受験に向けて勉強中ってとこかな。どこ行くんだろうね。一応大学らしいけど、専門学校に進路が変わってるかも知れないし、もしかしたら市役所か区役所の職員になろうとして公務員試験受けようとしてるかも知れない。未来は選び放題だ。僕と違って」
「……」
「もしかしたら可愛い彼女とか出来てるかもね。僕のことなんか忘れてさ。まぁそれもいいと思うよ。なんてったって一年も時間があったらなんでも起こるんだ。僕だって、去年の今頃はこんな田舎に飛ばされるなんて想像もしてなかったし」
 そうして食器を置くと、不意に片手を伸ばして首の後ろをつかんできた。
「ねえ、なに怒ってんの」
「……怒ってないです」
 ただ、未来が怖いだけだ。
 足立が語るように、ここへ戻ってこれたらどれだけいいかと思う。仲間と、菜々子や遼太郎と、そして足立と、当たり前のように暮らせたらどれだけ幸せだろう。
 でも、ここに居たいと願うのと、実際に居続けるのは全く別のことだ。願うだけで全てが思い通りになるなら、誰も努力などしない。夢に破れる人間など一人も存在しない。
 自分にそれが出来るのかと考えると、そんな自信はかけらもない。
 足立は小さくため息をつくと、あのね、と口を開いた。
「言っとくけど、将来のこと考えて悩んだり怯えたりするのなんて時間の無駄だよ。人間に出来るのは選ぶことだけなんだから」
「……どういう意味ですか」
「起こっちゃったこと後悔するのは意味ないでしょ? それはもう起こっちゃったんだから、変えようがないの。だから『なんであの時ああしなかったんだ』って悩むのは意味ないの。悩んでる暇があったら目の前の問題をどう片付けるか考える。でね、まだ起こってもない未来のことを心配するのも意味ないの。だってまだなにも起こってないんだから心配しようがないでしょ?」
 そう言って足立は髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回してきた。
「出来るかどうかとか、今はその時期じゃないから考えなくていいんだよ。そういう選択肢もあるっていうだけの話。――ま、僕はかなり本気だけど、来年の君がどう思うかは別の話だしね」
「……」
 ぐしゃぐしゃになった髪の毛を指で梳き直したあと、足立はあらためて頭を撫でてきた。そうしてこちらをみつめ、ね、と呟いて笑った。
「ご飯、食べよ。冷めちゃうよ」
「……はい」
 それから二人は殆ど喋らずに食事を続けた。孝介は食べているあいだ、ずっと「来年の自分」を考えていた。
 不思議なことだが、足立に言われるまで孝介は自分の将来を漠然としか考えていなかった。とりあえず大学にでも行ってどこかの企業へ就職するのだろうとしか思い描いていなかった。
 稲羽市へ戻ってくる。――それを選ぶことも可能なのだと、初めて教えられた気分だった。
 勿論それまでには色々とこなさなければいけないことがあるだろう。勉強もそうだし、仕事もそうだ。だけど、もし自分が望めば、可能に出来るかも知れないなんて。
 ――思ってもみなかったな。
 親の事情で一時的に預けられているだけだ、という意識しかなかった。孝介はまだ稲羽市に「住んでいなかった」ようだ。それを、同じくよそからやって来た足立に教えられるとは。
 孝介はそんな自分がおかしくて、ふと苦笑を洩らしてしまう。それを見た足立が「あ、やっと笑ったー」と嬉しそうに言った。


「も、放してくださいよ」
「やーだー」
 食事のあと、交代でシャワーを浴びて軽く汗を流した。すっきりしたところでもう一度汗を掻き、べたつく肌を再びすっきりさせたいのに、どういうわけか足立が放してくれない。いつかのようにベッドの上で足立は壁に寄りかかり、後ろから孝介の体を抱きしめている。扇風機が回っているとはいえ、くっついていればそこに熱が溜まり、じんわりと汗が吹き出すのがわかった。
 足立は汗で湿った孝介の後ろ髪を掻き上げると、首筋に唇を触れてきた。孝介は息を呑み、それから静かに息を吐いた。足立は抱きしめる腕に力を込めてきた。
「あーあ、君がぬいぐるみだったらよかったのになあ」
 と、突然ぼやく。
「どういう意味ですか」
「だって、そしたらずっと一緒に居られるし」
「アイちゃんが居るじゃないですか」
「アイちゃんはアイちゃん、君は君でしょ。あーあ、どっかに君の等身大のぬいぐるみ売ってないかなあ。もし売ってたら、幾らでも出しちゃうんだけどなあ」
 完二に頼めば作ってくれそうだな、と一瞬思ったが黙っていた。
「っていうか、等身大ですか」
「そう。すっごい大事にしちゃうよ。朝晩はおはようとおやすみのちゅーしてさ、夜は抱きしめて眠るの」
「……それ、単に抱き枕が欲しいって言ってるだけでしょ」
「違うよ、そんなことないよっ。――いや、それも一理あるけどそれだけじゃないよっ」
「説得力ないです」
 振り返って睨むと、足立は笑いながらキスをしてきた。
「でも実際は、本物が一番だけどね」
「……それはどうも」
「ね、今日泊まってけば?」
 どうせ明日から夏休みでしょ、と足立は笑う。思わずうなずきかけたが、窓の外の雨音で孝介は我に返った。
 この調子では明け方まで続きそうだ。一応テレビをチェックしなければ。名残惜しいが、孝介はゆっくりと足立の腕から逃れ、首を振った。
「帰ります」
「えー、帰っちゃうのー?」
「……叔父さんまだ帰ってないかも知れないし、そうしたら菜々子が一人きりで留守番になっちゃうし」


next
back
top