孝介から電話があったのは六時少し前だった。今会社を出たので、七時頃には戻れると言う。面倒なので弁当でいいですかと訊かれ、足立は同意した。このあいだ貰ってきたメニュー表を見ながら弁当の種類を選び、電話を切ったあとは、ひたすら帰りを待っていた。
玄関の扉が開く音が聞こえ、足立が迎えに出ると、孝介はちょっと驚いた顔をしてみせた。
「どうしたの?」
「いえ……誰かが居るのって、久し振りの感覚なもんで」
お帰りと言うと、孝介は少しはにかみながら、ただいま、と返してくれた。
飯を食いながら仕事の話をした。決まったことを伝えると、孝介は素直に喜んでくれた。
「叔父さんには報告しました?」
「うん。君が帰って来る前に電話した。『よかったな』って言ってくれて……」
「そっか」
そう言う孝介も、やはり嬉しそうだった。心配してくれていたのだろう。そう思うと胸が詰まるようだった。
「……あの」
飯が終わりかける頃、足立は改めて声を掛けた。
「……ちょっと相談っていうか、お願いがあるんだけど……」
「なんですか?」
足立は箸を置き、グラスの緑茶をひと口飲んだ。
「あの、……ここの家賃と光熱費半分出すから、しばらく置いてもらえないかな。一時的にっていうんじゃなくて、その……同居人って形で」
「……」
「あの、勿論君が出ていけって言うんなら、すぐに――あ、いや、すぐには無理かも知れないけど、頑張ってお金貯めてなるべく早くに出れるようにするから」
孝介は漬物を口に放り込んで考えている。しばらく返事はなかった。
「……駄目かな?」
漬物を食い終えた孝介は、同じように箸を置き、こっちに向いた。
「俺も、ひとつだけお願いがあるんですけど」
「な、なに?」
「……もし将来的に足立さんがここを出ていきたいってなったら、その時は前もって話してください。……何も言わずに消えたりしないでください」
そんなことかと拍子抜けしてしまった。だが孝介は真剣だ。足立は何度もうなずいた。
「わかった。約束する」
足立の返事に、孝介は安堵したみたいに息を吐いた。
「よかった」
そうして照れたように笑うと、片手を差し出してきた。
「じゃあ改めてってことで」
「う、うん」
手を握り返して握手を交わした。共同生活の始まりだった。
晩飯のあとに見たテレビはグルメ番組だった。カツ丼の美味い店を紹介している。飯を食ったばかりなのに、二人でやたらと「食いたい、食いたい!」と盛り上がった。
「ああいうのはお店に行くしかないよね」
「いや、カツ丼自体は家でも作れますよ。めんつゆがあれば簡単です」
「ホントに!?」
思っている以上に孝介は料理が得意なようだ。少しやってみたいと言ったら、「初心者向けの本ありますよ」と言って自室から持ってきてくれた。和食中心の教本で、野菜の切り方や下ごしらえのし方、出汁の取り方まで写真付きで載っている物だった。
「すごいね。ちゃんとこういうの持ってるんだ」
「なんでも基本が大事なんです」
「なるほど」
言いながら足立はページをめくってみた。ほうれん草のお浸し、かぼちゃの煮物、などといった料理が並んでいる。火加減の強さまで説明してあって、なるほど、これなら自分でも出来そうだ。
ぱらぱらと見ていくと、筑前煮のページに何か文字が書き付けてあるのをみつけた。材料の欄にある「しょうゆ……大さじ2」の脇に、「1と小さじ2、薄味が好み」とある。孝介の字ではない。
他のページも見てみた。何種類かの料理に、同じような文字で幾つか注意書きのようなものが書かれてあった。丸みを帯びた可愛らしい文字だ。確信を持てるわけではないが、恐らく女性の手によるものだろう。
『……彼女とか居ないの?』
『半年前に別れました』
――ああ、そっか。
孝介からページを隠しつつ思った。――そうだよなぁ。変わってなくても、時間は過ぎてたんだよなぁ。
そうしてページの陰から孝介の顔を盗み見て、その隣に座る見知らぬ誰かの姿を想像して、耐えられなくなって、足立は目を閉じた。自分勝手だなと、自らを嘲笑いながら。
なんでかなぁ・その2/2012.02.21
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