居間にあるテレビではお昼のワイドショーが流れていた。足立はおにぎりの最後のひとかけらを口に放り込み、ゆっくりと咀嚼を繰り返している。
今日は一人でコンビニへ行き、買い物をしてきた。店員からの問い掛けにもちゃんと答えることが出来た。大丈夫だ。大丈夫。そう何度も自分に言い聞かせ、口のなかの物をお茶で流し込んだあと、恐る恐る目の前にある電話の子機を取った。メモ用紙とボタンを何度も見比べながら苦労してダイヤルする。
呼び出し音が聞こえ始めた時は、それでも恐怖のあまり切ってしまおうかと考えた。そう出来なかったのは、二度目のコールが終わった瞬間、向こうで誰かが電話に出たせいだ。
『はい、畑中硝子店です』
「……あ……あの」
『はい』
ぞんざいな男の声がやや苛立たしげに言葉を待っている。ヤバい、心臓がバクバク言い出した。
「…………あの、足立と申しますが、社長さんは……」
『はい、私ですが』
相手の怪訝そうな空気は相変わらずだ。午前中に電話を掛けた時は別の男性が出て、社長は出掛けていると教えてくれた。昼には戻ると言われたのでまた電話すると言って切ってしまった。足立はしどろもどろになりつつ、堂島から紹介された旨を説明した。
『ああ、はいはい、聞いてますよ。よかった、電話貰えて』
堂島の名前が出たとたん、男の声音が変化した。親しげな空気に安堵して、足立は無意識のうちにため息をついていた。
『えーっと、とりあえずどうしましょ。一回うち来てもらえます? 簡単に説明とかしたいし。今日とか平気ですかね』
「あ、はい。――あ、あのでも、自分、その仕事したことないんですけど……」
『それは心配いらんですよ。すぐ馴れますって』
電話から感じ取れる限りでは、案外人がよさそうな人物だった。午後は三時半頃まで出掛けるというので、四時に面接へ行くことになった。履歴書を持っていくべきかと尋ねたが、「そんなんあとで構わんですよ」と豪快な笑い声が返ってきた。安心を通り越して若干不安にもなった。
どうにか電話を終わらせ、足立はテーブルに突っ伏した。それから顔を上げてテレビに表示されている時刻を確認する。店へ行くには電車に乗らなければならない。駅は二つ上ったところだ。確か孝介に見せてもらったネット上の地図では、駅からさほど離れているようには見えなかった。歩いて十分も掛からないんじゃないかという話だった。
残念ながら時刻表は覚えていないので、迷う可能性も考えて一時間前に出ることにした。一度シャワーを浴びて着替えたあとは、ずっとテレビを見て過ごした。部屋からアイちゃんを連れてきて一緒に座っていると、駄目なのはわかっているが店まで付いてきてもらいたくなった。けど、そういうわけにもいかない。時刻を確認し、足立はのろのろと腰を上げた。
「行ってきます」
名残惜しく握手をしてアイちゃんと別れた。
電車は一応なんとかなった。ラッシュの時間でなかったのが良かったのだろう。乗り込んでから降りるまで、ずっと戸口に立って外の風景を眺めて過ごした。駅を出てからは、この辺りにも田んぼの姿が結構見えた。田舎だなと改めて思ったが、出所してすぐ東京に追いやられるよりはずっとマシだったんだと、本当に思う。
畑中硝子店は住宅街のなかにぽつんとあった。三階建てマンションの一階部分が店舗になっており、すぐ隣には作業場があった。入口の脇に看板が掛かっていて、「畑中硝子店」の文字の下に「サッシ/バスルーム」などと書かれている。
入口は二間ほどの広さで、店のなかにはアルミサッシの見本のような物が飾られているのが見えた。
「ごめんください」
ガラス戸を開けてなかに入り、足立は声を掛けた。店のなかには誰の姿もなかった。奥に、住居に続くらしき戸口が見えたので、恐る恐る歩み寄ってまた声を掛けた。
「はい、ただいま」
中年の女性の声で返事があった。戸口の奥のドアが開き、背の低い女性が現れた。自分より幾分か年上のようだ。家族だろうかと思いながら名前を告げ、来意を説明すると、「あぁ、はいはい」と言って手を打った。
「今、社長呼びますから。ちょっとお待ちください」
そうして通路に戻り、作業場に続くらしいドアを開けた。
「あー、どうもどうも」
開けっ放しだったドアから出てきたのは、足立が見上げるほど背の大きな男だった。首に掛けたタオルで顔全体を拭きながら、店の隅にあるカウンターを示し、イスを勧めてくれた。
畑中一雄。渡された名刺にはそう書いてあった。
「いや、稲羽市に叔母が一人で住んでましてね、それが昔当て逃げされたことがあったんですよ。堂島さんにはそん時世話になったんですわ。本当は担当が違うらしいんですけど、まぁ色々と話聞いてくれてね。その御縁で」
聞けば堂島家の玄関を新しくしたのも畑中だという。
「ガラス屋さんって、単に窓ガラスの修理するだけかと思ってました」
「いやあ、仕事は色々ですわ。サッシの交換もやるし、ヒンジの修理とかもあるし」
「ヒンジ?」
「手で押し開けするタイプのドアあるでしょう。あれの根元のトコにね、閉まり方を調節する部分があるんですわ。あそこが古くなるとギイギイ音がしたり、勢いよく閉まり過ぎたりするんで、修理しないといけないんですよ」
他にもリフォームや、新築の家にガラスを入れたりすることもあるそうだ。
「現場仕事なんで、馴れるまではあれかも知れないけどね」
話の途中で、さっき応対に出た女性がお茶を持ってきてくれた。大きなグラスに麦茶が入っている。畑中はぞんざいに手を上げると「家内です」と短く言った。足立はあわてて頭を下げた。
「店はこいつと、あと若いのが一人居るだけなんですわ。まぁ若いって言っても、高校出てすぐうち来たからね。もうベテランですよ」
「はあ」
朝は八時半始業、定時は五時半だが、作業によっては残業もあるという。勿論残業代は出るし、年に二回、少しだがボーナスも貰えるという話だった。
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