「……いやぁホント、あの時は正直、どこのお坊ちゃんが浮かれてバカやったんだろうって思ってたよぉ」
 酔いのみなぎるままに身を揺らしながら足立は笑った。
「俺はあの時、本当に笑いをこらえるのが大変でしたねえ」
 意味もなく一緒に身を揺らしながら孝介は言葉を返す。
 四月下旬の、月の綺麗な晩だった。世話になっている叔父の遼太郎が、上りが一緒になったからと言って部下の足立を連れ帰ってきた。大抵は従妹の菜々子と二人きりで夕食を取るのだが、一気に人数が倍になったせいで、珍しく今夜はにぎやかな晩となった。
 大人二人はそれぞれお気に入りの酒を開けてグラスを傾け、楽しく呑んでいた、のはいいのだけれど、まだ幼い菜々子が馴れない人物と騒がしさに怯えているようだったので、仕方なく足立を二階の自室へと引っ張ってきた。とっとと帰ればいいのにと思っているうちに、酔っ払った足立は窓を開けてそのまま窓際に居座ってしまった。
 ――ホラ、えぇと、堂島さんとこの、
 そんな風に呼ばれるたびに、月森ですと返事をしていたのに、足立はいっこうに孝介の名前を覚えようとしない。あぁごめんごめん、酔っ払っているせいで一段と間延びした声でそう笑っては、わざとらしく寝癖の残る頭を掻いた。掻くだけで反省は一切しない。孝介も仕舞いにはどうでもよくなり、堂島さんとこの、と声をかけられるたびに、はいはいと返事をするようになっていた。
『ね、ホラ、来てごらんよ。お月様が綺麗だよぉ』
 にまにま笑いながら足立はそう誘ってきた。まだ窓を開けると肌寒い季節だというのに平気で外へと身を乗り出し、山頂にかかる月をうっとりとした顔で眺めている。片手には缶ビール。孝介はため息を返事として同じく窓際へと歩み寄った。
 ずいぶんと大きい、真っ赤な月がかかっている。
『……綺麗ですかね』
『うん。怪しい感じがすっごく綺麗』
 何故か足立は嬉しそうに笑った。
 やがて寒くなったと言って身を寄せてきた。互いの腕にもたれかかるようにして二人は窓の下に腰を下ろし、そうして今、足立のリズムに従って意味もなく右へ左へと揺れている。
「なぁんか着任早々、変な事件起きちゃったよなあ」
 足立は言いながら背広のあちこちを探った。そうして煙草を取り出すと許可を得ることなくいきなり火を付けた。文句を言う隙もない。缶ビールの残りを飲み干してそこに灰を落とすと、また意味もなくにまにまと笑った。
「君も、ここに来たのは最近なんだっけ?」
「はい。新学期が始まる前日に――」
「そっかぁ。元はどこに居たの?」
「東京です」
「あー、じゃあ僕と同じだあ」
 都会から流れてきた者同士だねぇ、と何故か握手を求められた。手を出さないでいると、いつまでもにこにこ笑ったまま期待の眼差しを向けられるので、仕方なく握り返した。こういうところはおっさん臭いなぁ、と孝介は思った。
「でもいいねぇ。君にとってここは『田舎の親戚の家』なんでしょ」
「はあ。でも遊びに来たことはないんですよね。あったとしても覚えてないくらい昔で――」
「僕なんか親戚一同東京に集まっちゃっててさあ。つまんないよねえ。誰でもいいから北海道とか九州とか行けばいいのに」
「……自分が引っ越すっていう選択肢はないんですね」
「やだよ、めんどくさい」
 足立の吐き出した煙が白い筋となって目の前を過ぎた。取調室で嗅いだのと同じ匂いだった。
「まぁでも、なんにもないトコだけどさ、僕はここ気に入ったかな」
 そうしてまた月へと視線を投げて、君はどう? と問いかけてくる。
 孝介も振り返り、同じように赤い月を眺めた。だけど視界は思ったほど明るくなく、どぎつい赤の色が妙に恐ろしくて、すぐに近所の家々へと目を落としてしまった。
 ひとつひとつ、こぢんまりとした家々の窓に明かりが灯っている。ここから見ることは出来ないが、今日は同じように天城も自宅で休んでいる筈だ。陽介も、里中も、そして自分も、ようやく今夜は安心して眠れる。
「俺も、好きですよ、ここ」
 嫌な事件がきっかけではあったけど、不安なこともあるけれど、「一緒に居たい」と思う仲間が出来た。
 きっと、ここでしか得られなかった宝物だ。
「夜は静かでよく眠れるしねぇ」
「……足立さんは、悩みとか全然なさそうですもんね」
「悩んでたって意味ないじゃない」
 足立はそう言って苦笑した。孝介は一瞬、まじまじと足立の顔をみつめてしまった。当の本人は空に向かって白い煙を吹き上げている。そうしてふと視線に気付いて振り返り、
「なに?」
「……いえ、別に」
 足立を見る視界の隅に、月の赤が映っている。会話の糸口を失った二人は、互いにどこへともなく視線をさまよわせた。そうしながら孝介は思った。
 ――やっぱりこの人、わからない。
 時に子供じみただらしなさを見せるかと思えば、ふとした瞬間、叔父の遼太郎以上に達観したような雰囲気をうかがわせる。大人というのはそういうものなのかとも思うが、それだけではどこか納得がいかなかった。
 しかし振り返って見た足立は、既にいつものとおり、締まりのない口元ににまにまと笑いを浮かべていた。どうやら機嫌よく酔っ払っているらしい。
「――ああ、わかりましたよ足立さん」
「んー? なにがぁ?」
「今日も寝癖がすごいです」
「……そこはほっといてよ」

わかってないなあ/2010.11.08


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