「――なあ」
声に孝介は顔を上げた。自分よりも背の高い叔父だ、かなり見上げる恰好になる。
「お前、ここに来たこと後悔してるか?」
「えぇ?」
何を言うのだと孝介は笑った。しかし遼太郎は真剣な表情で返事を待っていた。だから孝介も真剣に言葉を探した。
「してないよ。俺、この町に来てよかったと思ってる」
「……」
遼太郎は何か言いたそうに口を動かしたが、すぐには言葉が出なかった。しばらくして、そうか、と呟いただけだった。
「姉さんたちによろしくな」
「叔父さんも、菜々子によろしく伝えて。早く元気になれって」
「ああ。たまには電話してやってくれ」
「わかった」
そうして互いに言葉を失った。孝介は息を吐くと、深々と頭を下げた。
「お世話になりました」
「……元気でな」
孝介は玄関を出た。薄い霧が出迎えてくれた。
電車は貸し切り状態だった。孝介は網棚に荷物を載せると進行方向に背中を向けて腰を下ろした。未練がましいなぁと自分でも思ったが、どうしても最後までこの町の風景を目にとどめておきたかった。
色々なものに出会えた町。
自分の人生を変えた町。
後悔はしていない。一切していない。
心残りがあるとすれば、今日からしばらく足立に会えないことだけだ。ゴールデンウィークには泊まりに行くと約束をしたが、ひと月以上も先の話。まるで十年も待たなければいけないような心境だった。本当にやっていけるだろうか。孝介の心には不安しかない。
電車が川を渡っていく。孝介は少しのあいだだけ目を閉じた。鉄橋を渡り終えた時、いつやって来たのか目の前に一人の青年が座っていた。向かい合う格好で腰を掛け、手に持った写真をやたら熱心に眺めている。
孝介はまた窓の外に目を移した。流れ去る風景が悲しかった。
「――随分熱心に見てるんですね」
次の駅に着いて、そこを出発しても青年はずっと写真を眺めていた。だから思わず声を掛けていた。電車は相変わらず二人の貸し切り状態だった。
「ああ。大事な物だからな」
青年は言った。
「そんなに?」
「俺の宝物だ」
「へえ……」
たかが写真がそんなに大事なのだろうか。孝介はふと興味が湧き上がり、そっと上の方から覗き込んでみた。青年と同じ年頃の仲間が集まって写っている、集合写真のようだった。
「あんたは持ってないのか?」
「俺ですか? 俺は、別に――」
写真だったら携帯電話に山ほどデータが残っている。足立が単独で写っている物、二人で一緒に撮った物、何気ない風景、消してと懇願されただらしない寝顔も何もかも。
大事な思い出だ。
「――そうか、あんたはそれを選んだのか」
「はい」
俺にとっては宝物です。孝介は言った。心の底からの言葉だった。それを聞いた青年が顔を上げた。自分とそっくり、瓜二つの人物が目の前で穏やかに笑っている。
「後悔はしてないな?」
孝介は同じように笑い返した。
「あなたが微塵もしていないのと同じくらいに」
「そうか……」
そうしてまた写真に目を落とし、そうか、と繰り返した。
電車が短いトンネルに入り込んだ。トンネルを抜け、窓の外に風景が戻った時、既に青年は消えていた。
孝介は一人きりだった。
窓枠に肘を付き、そのまま頬杖をついた。次の駅に着くまでずっと外の景色を眺めていた。
世界で一番・さいご/2014.08.03
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