お願いします。再度呟いて頭を下げた。沈黙の時間が恐ろしく長く感じられた。何も言わずに帰ってしまうかも知れない、もしそうなったとしても足立を恨む筋合いはない。孝介は返事を待つあいだ、足立の足を眺めながらずっとそんなことを考えていた。
「僕の方が嫌われてるんだと思ってた」
 足立は帰らなかった。ずっとそこに立っていた。孝介はゆっくりと顔を上げて足立を見た。奴は不安そうにこちらを見ていた。
「僕でいいの?」
 他に誰が居るというんだろうか。孝介は口を開き、だがその瞬間、不意に泣きそうになってあわてて口を閉じた。
「俺、……俺は、足立さんが……っ」
 胸が詰まって上手く喋れない。足立さんが、ともう一度言って、やっぱり上手く言葉にならなかった。ぎこちなく腕を伸ばして袖にしがみついた。腕を引くと、抵抗することなく足立が目の前へやって来た。
 同じようにぎこちなく腕が上がり、静かに抱き寄せられた。孝介は背中にしがみついた。足立の指が髪を梳き、そっと頭を撫でたあと、小さくため息をつく音が聞こえた。
「よかった」
 足立の囁き声が耳をくすぐり、静寂のなかへと消えていった。


「ごめんなさい」
 呟きを耳にした足立は、不意に頭をもたげてこちらを見た。孝介は枕に頭を乗せたまま目だけを動かして足立を見返した。
「なに?」
 薄いオレンジ色の明かりのなかで、足立は小さく笑っている。
「……俺、わがままばっかりですね」
「そんなことないよ」
「でも――」
 足立はため息をついて横になった。布団のなかから手を出して、孝介の頭を撫でてくれる。
「辛いとか苦しいとか、そういうのは我慢しなくていいんだよ。困ってる時、誰かに助けてもらうのは、別に悪いことじゃないんだから」
「……」
 だけど、そのせいでその誰かが迷惑をこうむるのだとしたら、どうしたらいいんだろう。事実足立だって、こんな風に無理に引き止めてしまった。
 孝介が言葉を探していると、足立は腕を引っ込め、布団を掛け直してくれた。二つ並んだ布団の片方は無人のままだ。
 最初は一組だけを居間に敷いた。枕を整えている最中、もしよかったら君もここで寝ないかと足立が言った。二組の布団を並べて明かりを消し、それぞれが横になってしばらくしてから、嫌でなければ手を握ってもいいかと孝介が訊いた。握った手を引いて、ちょっと寒いねと足立が呟いた。俺の足、温かいですよと言うと、足立が暖を求めて両足を突っ込んできた。やがて君がカイロになってくれればいいんだと言って足立がこちらへやって来た。
 最初から一個だけ敷けばよかったねという囁きは、腕のなかで聞いた。
 足立は孝介の襟足を掴み、そっと後ろへ撫でつけている。時折指を上げ、静かに髪を梳いては優しく抱き締めてくれた。
「全部明日でいいよ」
 足立の唇が動く。
「明日、一緒に考えよう。今日はとりあえず寝ようよ。ゆっくり寝てさ、明日一緒に考えよ」
 菜々子のこと、遼太郎のこと、陽介や仲間のこと、自分のこと。
 足立のこと。
 もう一度ごめんなさいと言いかけて言葉を飲み、だけど、ありがとうも何か違う気がして口に出来なかった。孝介は無言で足立のトレーナーにしがみついた。
「大丈夫だよ」
 足立の手が髪を梳いている。
「全部上手くいくよ」
 孝介は目を閉じた。そうして、明日だ、と自分に言い聞かせた。
 明日、全部終わる。やれるだけのことはやってきた。確証がない訳じゃない。でも、百パーセント確実とも言えない。万が一ということもある。
 だけど今は信じよう。信じるしかない。自分が信じられない俺自身を、仲間はみんな信じてくれている。確証はない。だけど、やってみなければわからない。
「大丈夫だよ」
 孝介は眠った。一人きりになってから、初めてのゆったりとした眠りだった。

世界で一番・その4/2014.03.31


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