陽介が抱え起こしてくれた。背中を打ったせいでなかなか呼吸が出来なかった。孝介はこれ以上ないというくらいに大きく口を開き、腕を引いてナイフを構え直すペルソナと、その奥に立つ足立の嘲笑をしっかりと目に焼き付けながら息を吸い込んだ。肺に空気が入ると打ち付けた箇所がひどく痛み、思わず刀を取り落としそうになった。萎えそうになる気力を奮い立たせる為に、孝介は頬を平手で叩いた。
痛いのは生きている証拠だ。――しっかりしろ。
支えられて立ち上がった。その姿を見た足立は、へえ、とでも言いたそうに肩をそびやかした。
「結構頑丈だね、君」
「てめえ……!」
完二が武器を構えて出ようとした瞬間、足立のペルソナが動いた。四人を取り囲むように蒼い闇が立ち上がり、そこに人の顔のようなものがうっすらと浮かんで消えていった。一瞬なにが起きたのかわからなかったが、鋭い女の悲鳴が耳に飛び込んできて孝介は事態を悟った。あわてて振り返ると、雪子が我が身を掻き抱くようにしてうずくまり、激しく身を震わせていた。孝介は刀を握り直しながら完二の肩を引いた。
「完二、天城の援護頼む」
「ちょ……っ」
「お前一人で戦ってんじゃねぇよ!」
再び駆け出した背中に陽介の怒声がぶつかった。それでも孝介は止まらなかった。腕を上げるのが難しいと悟ると、刀を中腰に構えペルソナに向かって突っ込んでいった。
足立は一瞬不快そうな表情をし、軽く首を振ってみせた。孝介の周囲の空気が動き、鎌鼬となって襲い掛かってきた。右目の下に鋭い痛みがあったが孝介はこらえて走った。半ば自棄のように押し込んだ刀がペルソナの腹に突き刺さる。手応えはあった。だが奴はまだそこに居た。孝介の頭を押さえつけるペルソナの腕の向こうで、足立が憎々しげに刀の切っ先をみつめていた。
「俺は遊びに来たんじゃないんですよ」
言って、孝介は刀を抜いた。こんな程度で倒れる相手じゃない。すぐにペルソナを呼び出して力を溜めた。足立は片手をポケットに突っ込み、ふんと鼻を鳴らした。
「じゃあ、なにしに来たの」
「あんたを連れ戻す」
足立の口元が歪んだ。どうやら笑ったらしい。そのまま目を細めると、再び周囲の空気がざわめき始めた。身構える寸前、空気が見えない刃となって襲い掛かってきた。だが孝介は引かなかった。落ち着いて呼吸を整え、再びペルソナを呼び出した。その様子を足立は無表情に眺めていた。
「戻るとこなんかどこにもないよ」
呟きが聞こえた。孝介は構わず命中率を上げた。三度空気が動き、辺り構わず切り裂いていった。足立の足元をなにかが抉ったのに気付いて目を上げると、足立は自らの攻撃で頬に傷を作っていた。斜めに走る細い筋からゆっくりと血が滲み始めている。だがそのことに気付いていないのか、相変わらず暗い目でこちらをみつめ続けていた。
「一緒に行こうよ」
「――嫌です」
ヨシツネを呼び出した孝介は攻撃に転じた。ペルソナが繰り出す技を受けて足立の足元がよろめいた。だが休んでいる暇はない。孝介はまた力を溜める。足立は目の前の孝介よりも、背後に控える仲間たちの足止めに力を入れているようだ。武器を交える音がここまで聞こえてくる。今の足立は生身で攻撃を受けている。
孝介は新たにペルソナを呼び出した。
「……絶対、気に入ると思うんだけどなあ。新築だし、部屋は二つあるし、リビングもお風呂も広いし、……駐車場もあるし、コンビニだって近いし、すっごい、すっごいいい部屋なのに」
「アイちゃんはどうするんですか」
戻らなきゃ連れてこれないでしょ。背中の痛みをこらえながら孝介は訊いた。ペルソナに命じて力を上げる。足立は一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐにかぶりを振った。
「そんなのどうでもいいよ」
ヨシツネを呼び出した。
「君が居れば、なんにもいらないよ……っ」
「――俺だってそうだったよ!!!」
刀を振りかぶった瞬間、目の前にペルソナが現れた。振り下ろした刀をナイフで受け止める。弾き返されたがすぐに向かっていった。腹に突き刺さった刀を握って投げ出され、また孝介は向かっていく。片手に拳銃を握ったまま足立は頭を抱えていた。なんだよ、なんでだよ。うめき声が上がったが聞こえないフリをした。走り込んでいったところにナイフが振り下ろされた。孝介は鍔元で受けてペルソナと睨み合った。真っ黒い瞳が無表情にこちらを見下ろしてきた。
――なんでだよ
ペルソナの奥で足立がこちらを凝視していた。金色に光る目、見開かれた瞳。孝介はナイフを押し戻す。ペルソナがじりじりと後退を始めていた。
――なんでだよ……っ
足立のうめき声と嗚咽が繰り返し聞こえてくる。孝介は更に一歩踏み込んだ。足立はうつむいている。孝介は力を上げた。ペルソナがなにかを察して動こうとしている。お互い次が最後だ。奥歯を噛み締めてタイミングを計った。ペルソナの真っ暗な目を睨み返しながらゆっくりと息を吐き、止めた。
ナイフを弾き返す。ペルソナが片手を握り締めた。目の端でなにかが瞬いた瞬間、孝介は持てる力の全てを叩き付けるようにして刀を振り下ろした。斜めに斬られ二つに分かれていくペルソナの胴体の奥で、突然足立が咆哮を上げた。薄れつつあるペルソナの向こうでこちらを凝視しながら腕を伸ばしている。その手の先には拳銃がある。
孝介は駆け寄って拳銃を持つ手に斬り付けた。目測がずれて刀は拳銃そのものを弾き飛ばした。足立は涙を拭いもせず、茫然とこちらをみつめている。互いに息を乱しながらしばらくみつめ合った。頬に出来た傷からはまだ血が滲んでいた。なにかを言おうとするかのように足立の口が動いた。だが言葉は最後まで出てこなかった。ただゆっくりと、長いあいだ使うことを忘れていた筋肉を無理矢理動かすかのようなやり方で、にへらと、だらしなく笑っただけだった。
足立がなにを撃とうとしていたのかは、今もってわからない。
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