あの破壊された町を見て、想像するのは人の死体だ。無残に殺された誰かの――もしかしたら知っている誰かの死体をみつけてしまうのではないかと怖かった。だけど行けども行けども出てくるのはシャドウばかり。当たり前だが自分たち以外に人は居なくて、人の居ない破壊された稲羽市が足立の内面なのだとしたら、あいつはずっと無人の町に一人きりで居たことになる。
 昔も、今も。たった一人で。
「……」
 孝介は困惑しながら町を眺めている。なにか言いかけて口を開くが、言葉はなにも聞こえなかった。
 同じように町をみつめ、怖かったのは景色のせいじゃないんだなと陽介は思った。
 この町を作ったのは足立だ。ここは破壊されたわけじゃない。多分、最初からあの男が壊れた形のまま作り上げたのだ。景色を見ていると頭が痛くなるのは、本来ならあってしかるべき死体が逆に存在しないからだ。
 どこまで行っても、あるのはからっぽばかり。壊れて用をなさない虚ろな入れ物ばかり。
 陽介はふと寒気を覚え、我が身を掻き抱くように腕を組んだ。その時相棒の視線に気付いて同じ方向へと目を向けた。
 孝介が見ているのは稲羽署の隣にある二階建ての家屋だった。頭上を走る電線が切れて屋根からぶら下がっており、二階の開いた窓の辺りでゆらゆらと揺れていた。時折電線の切っ先がスパークして辺りに火花を散らせているが、奇跡的にまだどこも壊された様子は見えなかった。
「あれ? あそこって――」
 何度か見返すうちに思い出した。あの玄関の形には見覚えがある。振り返ると、孝介はじっと軒先を眺めたあと、小さくうなずいた。
「うちだ」
 孝介が身を寄せている堂島家だった。建物自体は無傷だが、隣には今にも倒壊しそうな稲羽署が建っており、しかも電線が火花を散らすすぐ側では、カーテンがわずかな風に吹かれて揺れていた。ほんのちょっとしたきっかけでカーテンに火が付き、そうしたら建物全部が簡単に燃えてしまうだろう。カーテンと同じように電線が揺れているのは、足立が迷っていることの表れなのか。
「そんなにここが嫌だったのかな」
「……さあな」
 孝介は唇を噛み締めている。掛ける言葉が思い付かなかった。彼は一度目を落としたあと、ゆっくりと首を振った。
「……でもあの人、俺のこと助けてくれたんだ」
 陽介は再び堂島家へと視線を投げた。無傷のあの家が、唯一の良心の表れなのだろうか。からっぽで、無残に壊れればいいと思っていた町にも、心を寄せる場所があったという名残りなのか。
 それがこんな形でしか表現出来なかったというなら、あまりにも淋し過ぎる。
 孝介は小さくため息をつくと崩れかけの壁に座り直した。そうして目の前の光景を拒否するかのように、自分の手元を見下ろした。
「陽介」
「あ?」
「……お前、足立さんが憎いか?」
「憎いよ」
 答えるのにためらいはなかった。
「憎いに決まってんじゃん。正直殺してやりてぇくらいだ」
「……そっか」
「せめて先輩とおんなじ目に遭わせてやりたいよ。出来ることならそれ以上の恐怖味わわせて、もっと長引かせて、死ぬギリギリのところで苦しませて――」
 あの人の叫びは聞こえなかった。誰もあの人を助けてあげることは出来なかった。
「……」
 一体何人の人間がその事実に気付いていたんだろう。何故孤独と恐怖のうちにあの人が死ななければいけなかったのか。
 陽介は手の平にこぶしを打ち付けた。
「……でもさ、それじゃ意味ないだろ」
 訊いたのは彼の方なのに、何故か孝介は耳を塞ぎたそうにしている。陽介は怒りを鎮める為に深く息を吐き出した。
「意味ないんだよ。多分、やるだけだったら出来るんだろうけどさ、……それじゃ意味ねぇんだ」
 怒りに任せての復讐は簡単だ。だけど、それでは足立と同じところに立つことになる。以前生田目の病室で仲間に教えてもらったことを、ここで忘れてしまうわけにはいかない。
 だから陽介は決めていた。奴をここから引きずり出して、罪を白日の下に晒し、絶対に償わせる。あの男が刑事だろうがなんだろうが関係ない、義務と責任を負わずに望みばかりが叶うわけじゃないのだと、高校生の俺らが教えてやる。
「俺は」
 訴えかけるような孝介の声だった。顔を上げてこっちを見ると、まだ迷っているような表情をちらりと見せてから目をそらしていった。
「……俺、あの人のこと、助けたいんだ」
「……」
 こぶしに握った孝介の手が震えている。
「逃がすとか、そういう意味じゃなくてさ」
「……おう」
「嫌だろ、こんな町」
 ガラクタだらけの、からっぽだらけの、こんな町なんて。
「……」
「…………出来るかな」
「出来るよ」
 震えるこぶしをゆっくりと開き、膝頭に押し付けて、また組み合わせる。それは無意識なのだろうが、祈りのポーズだ。
「ホントに出来るかな」
「出来るよ」
「……」
「っつうか、俺らにしか出来ないだろ」
 震えを抑える為なのか、孝介は組み合わせた手の上にあごを乗せた。ぴくりと肩が痙攣し、震えはそれで納まった。しばらく孝介はうつむいたままだった。陽介は目の前を流れる霧をみつめていた。たとえ孝介が来なかったとしても、これを見るのは今日が最後だと決めている。
「せんぱーい、そろそろ出発しやしょうよ」
 壁の仕切りのところから完二が顔を突き出している。陽介は手を上げて応えた。そうして向き直ると、相棒が顔を上げてこっちを見ていた。
 陽介は、どうする、というように首をかしげてみせた。そうしながら、相棒の目に浮かんでは消えていく様々な感情を探っていた。
 もし怖いと言うのであれば、どうにか腰を上げさせるしかない。嫌だと言えば、残りの面子を納得させるだけの言葉を考えなければいけない。
 一緒に戦って欲しいとは思う。きっと仲間もそれを望んでいる。でも最終的には本人が決断するしかないのだ。
 孝介は再びうつむいて両手を下ろした。そうして深呼吸をしたのちに、また顔を上げた。真剣な眼差しでしばらくこっちを見たあと、不意に照れたみたいに小さく笑った。
「行こうか」
「――おう」
 内心で安堵しながら陽介も笑った。そうして手を差し出すと、孝介は上から叩き付けるようにしてその手を握った。


next
back
top