このあいだジュネスで縫い糸と紙コップを買ってきた。新たに作ったこれは、毛糸で試した時よりずっとよく声が聞こえた。菜々子はそれを自主研究と称してノートにまとめ、先生から大きな花丸を貰ったのだった。
その話を聞いた孝介は例の赤い毛糸を持って学校へ行った。数日後、毛糸は可愛いウサギの編みぐるみになって戻ってきた。孝介が「完二お兄ちゃん」という人に頼んで作ってもらったのだそうだ。
白いウサギは冬でも寒くないよう、菜々子と同じ赤いマフラーを巻いていた。今は菜々子の携帯電話にストラップとして付けられている。花丸のご褒美だと言った孝介も、それを渡す時すごく嬉しそうな顔をしていた。
「ねえ、お父さんもお話ししようよ」
「え、俺もか?」
いいと言う前に、孝介が階段を下りてきて遼太郎に紙コップを手渡した。遼太郎は戸惑いながらも階段を昇り、糸を引っ張った。
「いいよ、お父さん」
菜々子は襖を閉め、紙コップを耳に当てる。
「あーと……その、……そうだ、いつも朝飯ありがとうな」
照れくさそうな遼太郎の声が耳元に広がった。菜々子は声を殺してくすくす笑った。が、それ以上の言葉が続かない。どうやら終わりだったらしい。今度は菜々子がコップに向かう番だ。
「あのね、食べたい物があったらいつでも言ってね。菜々子、がんばって作れるようになるから。――どうぞっ」
いつの間にか襖が少し開いて孝介が覗き込んでいた。何を喋っているのか気になるのだろうか。菜々子は笑いながら背を向けた。これは遼太郎と二人っきりの会話、菜々子と遼太郎だけの秘密のお喋りである。
孝介が電話を取る時、どうして背を向けるのかが少しわかった気がした。秘密というのは嬉しくて、独り占めしていたいと思わせるものなんだ。電話の向こうに居る人と一緒に持つ、大事な宝物。
「えーっとな、…………あぁもう、孝介、代わってくれ」
なのに、早々に匙を投げる遼太郎の声が階段の上から飛んできた。
「えー、お父さんとお話ししたい」
「お父さんは話すのが苦手なんだよ。聞いてるだけならまだしも」
「だって三人じゃ、糸電話できないもん」
せっかく遼太郎とも遊べるかと思ったのに。菜々子は床に垂れてしまった糸を恨めしげにみつめた。
しばらく考え込んだあと、ぽんと孝介が手を打った。
「三人で話そう」
「え、できるの?」
「お兄ちゃんに任せとけ」
孝介はにっかりと笑って菜々子の手から糸電話を回収していった。
しばらく経ったのちに手渡された物は、一風変わった糸電話だった。紙コップから糸が伸びているのは同じ。だが糸の端にはクリップが付けられていて、それがコップ三つ分一緒になっている。菜々子は襖の向こうに、孝介は階段に、遼太郎は居間のテーブルにとそれぞれ位置し、糸が緩まないよう紙コップを持った。
「いい? 俺から喋るよ」
「おお」
「うん!」
菜々子は紙コップを耳に当てて息をひそめた。
「もしもーし。聞こえますかー?」
驚いたことにしっかり聞こえた。糸は切れていてクリップでつながっているだけなのに、糸が繋がっているのと同じくらいちゃんと声が伝わってくる。
「すごい、聞こえたよ!」
「驚いたな」
「これで三人でも話せるだろ?」
「うん! ――あ、ええと、菜々子しゃべってもいい?」
階段に向かって声を掛けると、「いいよー」とコップから大きな声が聞こえてきた。
「えと、こうやってなんでもできるお兄ちゃんはすごいと思います。お父さんはどうですか、どうぞ」
「確かにすごいな。糸電話を三人で喋るなんて発想、俺にはなかったぞ。――どうぞ」
「お父さん、どっちにどうぞ?」
「あーっと、孝介だ」
隙間から覗く遼太郎は、なんとなく隠れて姿を見張っているようで面白い。そして姿の見えない孝介の声がちゃんと耳に届くのも面白い。すごく不思議な感じがして、なんだかワクワクする。
孝介は編みぐるみを作ったお友達が、他にも欲しければ作ってくれると言っていることを教えてくれた。作ってもらうのは嬉しいけど、出来たら自分で作ってみたいと菜々子は言った。今度時間が出来たら一緒に教わりに行こうと話がまとまったところで、遼太郎が全然会話に参加していないことに気が付いた。
「お父さんもお話してください。どうぞ」
菜々子がそう言って隙間から覗くと、遼太郎はテーブルに広げていた新聞からあわてて顔を上げた。そうして紙コップを口に当て、
「あーっと、……少々小腹が減った気がするな。菜々子は腹減ってないか?」
「んとね、……ちょっと空いたかも。お兄ちゃんは?」
「うん、軽く食いたい気分だな。――買い物行く?」
「行きたい!」
「菜々子はどこがいい?」
勿論、
「ジュネス!」
「じゃあお父さんのところに集合だ。お兄ちゃんと競争!」
最後の言葉を聞くと同時に菜々子は襖を開けて駆け出していた。遼太郎は呆れながらも腕を広げて待ってくれている。同じように腕を広げて、
「菜々子が一等賞!」
大きく宣言し、父親の力強い腕のなかへと飛び込んだ。
菜々子が一等賞/2012.11.14
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