首に腕を掛けて締め上げてやる。完二はあわてたように腕を押さえてじたばたと暴れ始めた。
「ちょ、ギブギブ!」
「はーい二人とも、そんなトコで遊んでると後ろから蹴り飛ばすよー」
 千枝の明るい声が背後で高らかに宣言をくだした。孝介と完二は靴跡を頂戴せずに済むよう、あわててテレビをくぐってジュネスへと戻っていった。
「っかぁー、今日も暴れたなあ」
 ジュネスの家電売り場に戻った陽介は、テレビの前で大きな伸びをした。その隣では、完二が暗い顔つきで腹を押さえている。
「俺、腹減ってたまんねっす」
「愛家でも寄ってくか?」
「あ、あたしも行く!」
 陽介の呼びかけに大喜びで手を上げたのは千枝だった。
「雪子はどうする?」
「私はいいや。ちょっと遅くなっちゃったから、今日は帰るね」
「直斗もたまにはどうよ」
「いえ、僕も帰ります。天城先輩、よかったら途中まで一緒にどうですか」
「いいよ。じゃあ行こっか」
 帰宅組の雪子と直斗を見送ったあと、陽介は気合いを入れてこぶしを握りしめた。
「よっしゃ。行くぜ、相棒!」
「いや、俺も帰るよ」
「あれえ?」
 拍子抜けした顔で皆が振り向いた。
「先輩、帰っちゃうの?」
 りせの言葉に、なんと言って返せばいいのかわからなかった。テレビのなかから戻ってきた今、孝介が考えているのは、とにかく早く一人きりになりたいということだけだった。言葉に詰まっていると、「ま、いいじゃん」と陽介が助け船を出してくれた。
「今日は俺らだけで行こうぜ」
「そっすね。んじゃあ、お疲れっす」
「お疲れクマ」
「また明日ねー」
 一階の食品売り場で買い物をして帰ると言って、孝介は皆を見送った。にぎやかな話し声と共に一団が去っていく。最後の一人の背中が見えなくなると、孝介の顔から自然に笑顔が消えた。上げていた手を下ろし、疲労で出来上がった大きなため息を、腹の底から深々と吐き出す。
 ――疲れた。
 二日間の休みを言い渡したのは、なにより自分の為だったのかも知れない。そんなことを考えながら孝介は皆と逆の方向に歩き出した。いつも探索のあとはそれなりに疲労を抱えるが、今回ばかりは事情が違う。
 テレビに捕まっているのは菜々子だ。そして恐らく生田目も一緒に居る。
 孝介は階段をとぼとぼと下りながら、この一週間のことを思い出していた。文化祭が終わり雪子の好意で旅館に泊まり、それからしばらくは気の抜けた日々が続いた。大きなイベントのあとはいつだってそうだ。日常に馴れるまでに時間がかかる。
 でも、だからって忘れてはいけないことまで忘れていた。事件はまだ続いている。それを思い出したのは、愚かしいことに二通目の脅迫状が届いてからだった。しかもそれを遼太郎に知られてしまった。
 それだけじゃない。マヨナカテレビに菜々子が映った。菜々子が消えた。遼太郎が生田目を追って事故を起こした。孝介は遼太郎の入院手続きの為にバタバタと夜を過ごし、それから休む間もなくダンジョンの攻略に入っている。
 二日間の休みは間違いなく自分の為だ。精神的にも肉体的にも限界が近付いているのを感じていた。誰かがミスをするたびに声を荒らげて罵りたくなる、そんな自分が嫌でたまらなかったのだ。
 食品売り場の惣菜コーナーを回ったが、孝介の目を惹くものはなにもなかった。それでもなにか食わなければ体に悪いと思って小さな弁当を買い込み、暗くなった河川敷を通って家へと向かった。
 玄関で鍵を取り出し、真っ暗な家の扉を開ける。出迎えてくれたのは寒々しい空気と、沈黙だけだった。


 菜々子が誘拐されて以来、自分を罵ることが孝介の日課となっている。菜々子は確かにテレビに出なかった。だけど噂話は何日も前からあちこちで聞いていた。それを知っていたのに何故防げなかったのかと、今更そんなことを言ったって仕方ないのはわかっているのに、どうしても自分を責めることがやめられない。
 今回の出来事はイレギュラーだ。今までの法則から言えば起こる筈のなかった事件だ。そうやって自分を慰めようとするのだが、家へ帰れば事実菜々子の姿はなく、むしろイレギュラーだからこそ気付いてもよかったんじゃないかと思ってしまう。
 自分たちなら警戒出来た筈だ。脅迫状だって届いていた。しかもあの内容――大事な人が入れられて、殺される。
 今更なにを言っても遅い。菜々子は確かにテレビのなかに居る。りせでなくともそれはわかる。今は無事に助け出すことだけを考えるべきだ。みんなも協力してくれている。でもだからこそひとつのミスが苛立たしく、それを責めたくなるたびに、また怒りが自分に向く。
 何故気付けなかった。
 何故防げなかった。
 もっと早く動いていれば、少なくとも遼太郎は無事だったかも知れない。そうすればこんな風に、いや今はなにを言っても仕方がない。だけどやっぱりあの時、いやもっと以前、一通目の脅迫状が届いた時に、いやもっと前、直斗が誘拐された時、いやもっともっと前、久保美津雄を捕まえに行った時――。
 繰り言が頭で止まらない。
 この二日間は出来るだけ一人で居ようと決めていた。誰かと一緒に居るとどうしても笑わざるを得なくなる。気を遣ってくれているのはわかるし、だからこそ安心させたいと思うのだが、今はむしろ責められる方が気楽だった。
 今は思いっきり落ち込もう。この二日間、存分に自分を責めてやろう。それで気が済めば、きっと立ち上がれる。……多分、大丈夫だ。
 そんな風にして一日目が暮れようとしていた。孝介は河川敷の草むらに腰を下ろして、夕暮れに沈みゆく景色をぼんやりと眺めている。とっとと帰ろう。そう思うのに、どういうわけか立ち上がれなかった。
 帰れば真っ暗な家が待ち構えている。出迎えの声も聞こえない。家に一人きりで居るのは別に初めてのことではないのに、今はそんな些細な事実に耐えられない。
 菜々子が居ない。遼太郎は怪我に倒れている。自分が動かなければどうしようもないのに、今は帰ることすら考えたくない。一人になりたくないのに、誰かと居れば苛立ちばかりが募る。
 ああもう、最悪だ。
 孝介は頭を抱え込んで息を吐いた。本当にあと一日で立ち直れるんだろうか。弱音を吐くのはあとでいい、頭では理解出来ているのに、歩き出す気力が今は欠けている。


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