窓の外は薄曇りだ。
 梅雨明けが囁かれる今日この頃だが、残念ながら週末はまた天気が崩れるらしい。孝介は教室の自分の席で頬杖をついたまま、もう何度目になるのかわからないため息をこぼした。
 悩みがあるわけではない。むしろ逆だった。ちょっと気を抜くとすぐに足立の顔が思い浮かんでしまう。
 正直昨晩は家に帰るのが辛かった。足立の部屋に泊まっていってしまおうかとも思ったが、遼太郎がいつ帰るかわからなかったし、足立も朝早くから会議があるというので、お互い泣く泣くあきらめた。
 その代わり、仕事が早く終わりそうだったら連絡を貰えることになっている。昨日の今日でとも思うが、実際にはこうして授業を受けている今でさえ、許されるなら足立の許へ向かいたかった。
 数日前までの自分が嘘のようだ。思い悩んでいたあの頃の自分に言ってやりたい。そうやってうだうだ考えてるあいだに、とっとと告白してしまえ、と。
 ――早く夜にならないかなぁ。
 知らずのうちにまたため息が出た。――と、そこで初めて人の姿に気が付いた。あわてて顔を上げると、担任の諸岡が孝介の視線を遮るように立ちはだかっていた。
「授業中によそ見とはいい度胸だな、転校生」
「え、あ、えっと……」
 ぎろりと睨み下ろす視線に、孝介は思わず立ち上がっていた。周囲から洩れ聞こえるくすくすという笑い声にやっと気付いた。どうやら諸岡は随分前からそうして立っていたようだ。
「なっとらん! 夏休みが近いからといってだらけ過ぎだ!」
 持っていた教科書で頭をはたかれた。授業を聞いていなかったのは事実なので、孝介は素直に謝った。タイミングよく授業終了のチャイムが鳴ったお陰で、くどくどしい説教に捕まることはなかった。だが罰として、普段使われることのない社会科教室の掃除を言い渡されてしまった。「徹底的に綺麗にするまで報告に来るな」とは諸岡の言だ。
「やっちまったなぁ、相棒」
 振り返ると後ろの席で陽介がにやにや笑っていた。そっとしておけ、と呟くので精一杯だった。
「災難だったね、リーダー」
「でも月森くんがボーっとしてるなんて珍しいね」
 何かあったの? と首をかしげる雪子に、千枝も大きくうなずいている。
「そうそう。なぁんか今日は様子が変っていうか……」
「もしかして具合悪い?」
「いや、大丈夫だから」
 孝介はあわてて首を振る。千枝も雪子も納得はしていないようだったが、体調を崩しているわけではないと重ねて説明すると、安堵したように息を吐いた。
「手伝いたいんだけど、あたしら先約があるからさ」
「ごめんね。掃除、頑張って」
「ありがとう」
 孝介は手を振って二人を見送った。そうして何気なく後ろを見ると、陽介がイスに座ったまま携帯電話をいじっていた。バイトがあるなら二人と同じように早々席を立って帰ってしまう筈である。
「……花村」
「あん?」
 声に陽介が顔を上げた。
「ありがとう。お前って本当に友達思いのいい奴だよな」
「――手伝って欲しいんなら素直にそう言えよ!」
 だが暇であるのは事実のようだ。しょうがねぇなぁと言いながら渋々立ち上がり、一緒に社会科教室へと向かってくれた。
「にしても、お前が注意受けるとか珍しいよな」
「そうか?」
 社会科教室は実習棟にある。これまでに一度も使ったことがなく、何があるのか見るのは今日が初めてだった。
 入口のドアを開けてなかに入ると、じっとりと湿った空気が出迎えてくれた。広さは通常の教室の半分程で、教室と言いながらも、実際にはただの資料室であるらしい。
「里中も言ってたけど、今日はお前マジで様子が変だしよ。……なんかあったんか?」
 換気の為に教室の窓を開けながら陽介が言う。心配してくれているらしい。友達というのは本当にいいものだ。
「…………聞きたい?」
 教室の隅にあるロッカーから箒を取り出して孝介は振り返る。自分でもだらしないのはわかっているが、どうしてもにやにや笑う口元が隠せなかった。
「いや待て! なんか聞かない方がいい気がする! っつうか聞かせんな!」
「なんだよ花村、そんなに聞きたいなら教えてやるよ。俺、実は昨日――」
「だーーーわーーー!!!」
 陽介は両方の耳を手でふさぎ、ありったけの大声を出しながらそっぽを向いた。孝介は箒の柄を両手で握り声が治まるのを待った。声を出し尽くした陽介は肩で大きく息をつき、耳をふさいだまま振り返った。物凄く神妙な顔付きだった。
「……もしかして、告った?」
 孝介はピースサインを返す。
「…………もしかしてオーケー貰った?」
 今度は親指を立てて返した。
「………………まさか……まさかお前……っ」
 ぐふぐふいう気持ち悪い笑い声が返事だ。陽介の顔が一瞬にして絶望の淵に沈んだ。
「お、俺の相棒が……、そんな、不潔な……!」
「バカ野郎、健康な十代の男子高校生だぞ。むしろ清潔だろうが」
 そう言って胸を張るが、実際には堂々と自慢出来ることではない。そもそも体だけならずっと前から関係があった。むしろそれが始まりだったと考えるとなんだか微妙な気分にもなるが、今はそんなことなどどうでもいい。
 まっすぐに足立を好きだと思える今の、なんと幸せなことか。
 陽介はしばらく言葉を失っていたが、やがて大きなため息をつき、ガリガリと髪の毛を掻き回した。
「……まぁ、男として負けを認めるのは口惜しいけどよ。親友としては祝福してやらなきゃなんねぇんだろうな、ここは」
「花村……」
「よかったな」
 そう言って陽介はまっすぐに笑いかけてくる。
 少し前、誰にも言えなかった胸の内を陽介にだけ聞いてもらった。あれが直接何かを解決したわけではなかったが、自分の気持ちと向き合うきっかけにはなった。今こうして幸福に酔っていられるのも彼のお陰だ。孝介はありがとうと心の底から言葉を返した。
「月森」
「なに?」
 陽介が照れ臭そうに笑いながら側へやって来た。そうして肩をポンと叩くと、
「天城たちに知られたくなけりゃビフテキ三人前奢れ」
 目が真剣だった。


next
back
top