足立は事務用便箋をめくりながら、こっそりとため息をついていた。
 ――ヤバい。
 マジでどうしよう。
 狭い取調室の小さな机。その向こう側には更に更に小さくなってイスに座る一人の少年が居た。おどおどと落ち着きなさげに辺りを見回し、目を止めるものがない為に、結局組み合わせた自分の手元へと視線を落とす。少年はそんなことをさっきから何度も繰り返している。
「ええと……久保くん、だっけ」
「は、はい!」
 足立が声をかけると、久保美津雄は緊張した面持ちでこっちをみつめてくる。それを見た足立は再び思った。
 ――ヤバい。
 こいつ、本物だ。
 少なくとも諸岡金四郎を殺ったのは間違いない。まだニュースで流れていない情報をきちんと持っている。こいつが警察関係者だとは到底思えないから、つまりこいつは諸岡殺しの犯人だということだ。
 ヤバい。どうしよう。
 今犯人がみつかったら、生田目が誘拐をやめてしまう。生田目が誘拐をやめてしまったら孝介たちも動かなくなる。
 なんてこった。なんの為にここまで掻き回したと思ってんだ。もっと滅茶苦茶になるのが見たいのに。
「……えっと、とりあえず今までの供述をまとめてみたんだ。読み返して確認してもらってもいいかな」
「は、はい……」
 久保は震える手を伸ばして便箋を受け取った。そうしてパラパラとページをめくりながら、「俺、死刑ですかね」と呟いた。
「は?」
「――死刑に、なるんですかね」
 暗い目のなかで、恐怖と期待が交互に浮かんでは消えていく。考えてみたら、足立は鏡のなか以外で殺人犯と向かい合うのは、これが初めてだ。お互いどんな態度で接したらいいのかさっぱりだった。
「い、いやあ、どうかなぁ。君、未成年だし、情状酌量ってのもあるし――なんだっけ、諸岡さんとは……その、学校でなんかあったんでしょ?」
「……あいつ、俺のこと『腐ったミカンだ』って……」
「ミカン?」
 だが久保は返事をせずにぶつぶつと呟き続けている。足立はうんざりした気分でその姿を眺めていたが、ふと聞こえてきた「三人も殺った」の言葉に耳を止めた。
「ちょっと待って。君、殺したのは諸岡さんだけじゃ――」
 久保は手を止めてこっちを見た。気味の悪い顔でにたりと笑うと、
「なに言ってんですか。三人ですよ。あの頭の悪い女子アナも、バカな女子高生も、全部俺が」
 そこまで言って言葉を切ると、不意にぐふぐふと笑い始めた。
 ――ああ、最悪だ。
 そもそもひと目見た時から気に入らなかった。ネズミみたいに怯えてる癖に、殺しをやったんだからと妙に不遜な態度も見せたがる。
 こいつが今捕まったら、喜んであることないことを言い募るだろう。手柄に飢えている今なら、多少供述におかしなところがあっても、絶対連続殺人の犯人に仕立て上げられる。
 犯人が捕まれば、殺人事件は話題に上がらなくなる。
 話題に上がらなければ、マヨナカテレビは映らなくなる。生田目は誘拐をやめてしまうかも知れない。誘拐をやめてしまったら孝介たちは――。
 最悪だ。冗談じゃない。
 平穏な日常なんてまっぴらだ。
「ごめん、ちょっといいかな」
 足立は久保の手から便箋を奪い取ると腰を上げた。
「悪いんだけど、場所を変えよう」
「え……」
 久保は不服そうにこっちを見返してきた。足立はわざとらしくドアの方をちらりと見てから顔を寄せた。
「君みたいな人をこんな部屋で取り調べるわけにはいかない。詳しくは説明出来ないけど、ちょっと内部のごたごたがあってね」
 君は特別な人だから、という風に笑顔を向けると、久保は安心したようにうなずいた。嬉しそうに腰を上げて、素直にあとをついてくる。
 部屋のドアを開けながら足立は笑った。
「今度はもうちょっと広い部屋だよ。テレビもあるから、少し休憩しようか――」


 腕のなかで孝介は逃げようともがいた。だがしっかりと押さえつけて唇を重ねると、観念したようにおとなしくなった。
「……」
 唇を離したあと、孝介は困惑気味にこっちを見上げてくる。
「どうしたんですか」
「なにが?」
「……なんか最近、妙に機嫌がよくないですか」
「そお?」
 ベッドの上で壁に寄りかかり、孝介の体を抱きしめている。無意識のうちに眺めていたテレビの画面から目をそむけ、別に、と呟いて額にキスをした。
「っていうか、この態勢、暑いんですけど」
「えー。じゃあ扇風機強くしてよ」
「これ以上強くしたら埃が飛んでえらいことになりますよ」
「じゃあ我慢して」
 そう言ってわざと強く抱きしめた。
「だから部屋掃除してくださいって……っ」
「君、もうじき夏休みでしょ? バイト代払うから掃除してよ」
「その前に期末テストがあるんですけど」
「あーあー、学生さんは大変だぁ」
 くすくすと笑いながら横になった。仰向けになった体の上へ孝介の身を引っ張り上げ、のぞき込む格好の彼とみつめあう。孝介は恥ずかしそうに顔を近付けてくると、そっと唇を触れて逃げていった。そのまま息を吐いて身をもたげてくる。
 足立は孝介の頭を撫でながら天井をみつめた。バラエティ番組を映すテレビからは乾いた笑い声が飛んでくる。
「テレビ、つまんないね」
 そう言って起き上がり、テーブルのリモコンを取って電源を落とした。
「あの……前から訊こうと思ってたんですけど」
「んー?」
 脇に座り直した孝介が、ちらりと壁を見て呟いた。
「ここ、隣の部屋の人って――」
「ああ。左右とも空き部屋だよ。前は端っこの部屋に人が居たんだけど、僕が入るのと入れ違いに出てっちゃった」
 だからね、と足立はにこにこ笑って続けた。
「君が大きい声出しても平気なんだ」
「そういうことじゃ……っ」
「違うの?」
「……いや、それもありますけど……」
 孝介は恥ずかしそうにうつむいてしまう。この子のなにがいいって、こういう初々しさがいつまでも残っていることだ。足立は腕を引いて孝介を抱き寄せ、額を合わせた。
「ってことで、君の声は僕しか知らないわけだ」
「……っ」
「しよ」
 孝介は困ってあちこちに視線をさまよわせている。足立は更に顔を近付けて頬を両手で包み込み、ね、と呟いた。
「僕だけの声聞かせてよ」
「…………足立さんは恥ずかしいです!」
「うん、知ってる」
 君のせいだ、と言って唇を重ねた。

聞かせてよ/2010.12.23


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