「俺このあいだ取材されちった」
先に立って階段を下りながら吉岡が言った。ぼけっとしていた陽介は、一瞬だけ返事をするのが遅れた。気が付くと吉岡は踊り場で足を止めて振り向き、自慢げににやにやと笑っていた。
「取材?」
「ほれ、例の殺人事件」
わざとらしく声をひそめてこっちの顔を覗き込んでくる。あまり食いつきたくない話題だったので、陽介は「へえ」と曖昧に応え、吉岡を促すようにのろのろと歩き出した。
「正門出たとこに自販機あるだろ。あそこで声掛けられてさ、小西のことで何か知ってたら教えてくれって言うからよ」
「なんつったんすか」
「適当。だって俺、あいつのことよく知らねぇし。一年の時は同じクラスだったけど、なんつうか浮いてる感じだったぐれぇしか印象ねぇもんさ。でもジュネスで働いてたこと話したら、結構嬉しそうだったな」
「ふうん……」
「金でも貰えんのかと思ったんだけどなー」
また来たらお前が話せば? という言葉には、もはや無言で笑い返すしかなかった。
一階に着いたとたん、フロアへ通じる扉が開いて林の姿が現れた。自分たちの顔を見て、何故か一瞬表情を曇らせる。
「お、ちょうどよかった。花村が五日代わってくれるってよ」
「五日? え――あ、ああ」
「よかったなぁ林。ちゃんと礼言っとけよ」
そう言って吉岡はわざとらしく林の肩を叩き、売上金の入ったビニールバッグを持ち上げてみせた。
「俺、事務所に金持ってくから」
「お願いします」
吉岡が更に階下へ行くのをなんとなく見送っていると、「あのさ……」と、遠慮がちに林が話し掛けてきた。
「五日、ホントにいいの?」
背の低い林は、本当に同い年かと疑いたくなるほど幼い顔立ちをしていた。高校の制服を着ていると怪訝そうな目をされることが多いらしい。春休みに一人で沖奈市のゲーセンで遊んでいた時も、「もう六時だから小学生は帰りなさい」と店員に注意されたそうだ。だがそれは見た目だけの問題であって、内面は吉岡よりもよっぽどしっかりしている。一緒に働いているとそういうことが伝わってくるものだ。
陽介はなんだか救われた気分で笑い返した。
「いいよ。先約があったんだろ?」
「いや、違うんだよ」
やっぱり聞いてないんだと言って、林は苦々しげに眉根を寄せた。
「確かに遊ぶ約束はしたんだけど、すぐあとにバイト入ってるの気付いて別の日に行くことにしたんだ。だから大丈夫だって――」
言いながら林は、吉岡の姿を捜すように階下へと目をやった。
「……言ったんだけどなぁ」
「聞いてなかったんだろ。いつものことじゃねぇか」
陽介も苦笑しながら下りの踊り場へと目を投げた。姿を消した吉岡の、やけに自信に満ちた笑顔を思い出す。そうして、俺もあんな風だったのかなとぼんやり考えた。
誰かの為に労を厭わない、いつも頼りにされている。引っ越してくる前から、ずっと自分に対してそういうイメージを持っていた。余計なことをしやがってと逆に怒られる時もあったのに、どこかで自分は頼りになる人間だと思い込んでいた。
誰かが殺されたという不謹慎な話題も、場が盛り上がるのなら平気で口にした。バカにされている同級生や、あいつん家は金がないと噂されている同級生のことも、話題に上れば軽々しく同意した。大事なのはノリだった。その言葉がどんな意味を持つのかなんて真剣に考えたことはなかった。
『私、ずっと花ちゃんのこと、ウザいと思ってた』
確かにそうだろうなと、今なら理解出来る。他の何かをけなすことでしか繋がることが出来なかった。心配するのは批判が自分に向くことだけだ。こんな人間、自分だってウザいと思う。
吉岡は以前の自分だ。もしかしたら今もそうかも知れない、もう一人の自分。
振り向いた陽介は林と顔を見合わせ、しょうがねぇよなという風に笑い合った。
「五日どうする?」
「僕、出るよ。朝からずっとじゃ大変だろ。どうせ連休中は吉岡さんも休みだし、どっちが出たって気にしないんじゃないの」
「そうだな」
休憩だという林と別れて陽介はフロアに出た。がらんとした印象だったが、じきに夕飯を見込んでの買い物客も増える筈だ。仕事はこれからが本番。気合いを入れよう。
「うっしゃ」
ひと言呟いた陽介は在庫を確かめる為、野菜売り場へと歩き始めた。
先輩が死んだショックからは抜け出せたと思う。驚いたけど、それでも変わらず学校へ通い、決められた日にバイトへ行っていると、本当にそんな事実があったのかと疑いたくなる時がある。学校へ行けばいつもの面子が居て、いつもの日常があって、そこに先輩だけが居ない。噂話も殆ど聞かなくなった。
以前何かの本で、悲しいことや辛いことがあった時は仕事で気を紛らわせる、みたいなことを読んだ。その時は嘘だろ、そんなこと出来るわけねぇじゃんと思ったけど、案外当たってたんだなと実感した。結局俺はたいして食欲も失わず、あまり眠れないということもなく、いつも通り学校に行って今は試験の心配をしている。相変わらずの日常だ。
ただ、そこに先輩だけが居ない。
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