「なんか飲む?」
 部屋の片付けはあきらめたらしい。足立は台所へ向かいながら孝介に訊いた。
「あ……えっと、」
「アイスコーヒーと麦茶があるよ。どっちがいい?」
「……じゃあ、コーヒーで」
 金を返したらとっとと戻るつもりだったのに、いつの間にか腰を落ち着けてしまっていた。帰るとも言い出しづらい状況で、孝介はなにを見るともなく部屋のなかを見回した。
「はい」
 戻ってきた足立は両手に持ったグラスの片方を孝介に差し出し、脇に座り込んできた。どうやら家主の定位置であるらしい。手を伸ばしてテレビのリモコンを取り上げるとスイッチを入れ、しばらくあちこちチャンネルを変えたあと、結局ニュース番組に落ち着けた。
 孝介はアイスコーヒーを飲み、テレビへと目を向けながら、俺は一体なにをしてるんだろうと思った。特に共通の話題があるわけではない。事件のことは少し聞きたいとも思ったが、どう話を振ればいいのかわからなくて、結局なにも言い出せずに居る。
「――で?」
 テレビを見ながら足立が言った。
「今日はなにしに来たの?」
 何気ない口調だったので、孝介は一瞬、自分がまだ用件を済ませていないのかと思ってしまった。だが突き返した五千円札は目の前のテーブルに載っている。孝介は困惑して振り返った。足立はにまにまと笑いながらこちらを見ていた。
「……えっと、」
 返しましたよね、と確認したが、返事はなかった。
 足立はグラスに口をつけたあと、それをテーブルに置いた。つられて孝介もグラスを置く。
「てっきり昨日の続きやりに来たんだと思ってたけど、違ったのかな?」
「続きって――」
「だから、続きだよ」
 首の後ろから肩へと無造作に腕が回された。ぐい、と抱き寄せられ、気が付くと目の前に足立の顔があった。
 昨日はわからなかった煙草の香りがする。動揺した孝介はあちこちに視線を飛ばした。足立の唇が近付いてくるのを視界の端で捉え、あわてて目をつむると、まぶたの上に温かいものがそっと触れた。
 薄目を開けると喉が見えた。緊張した手が抱き寄せる足立の腕をつかんでいた。気配はすぐ側にある。だが孝介は動けなかった。
 ――続き?
 なんだよ、それ――足立が目をのぞき込んでくる。孝介は逃げられない。目を下へ向ければ、再び近付いてくる唇が見えた。きつく結んだ唇の上を舌でなぞられ、ぞわぞわとした感触にふっと力を抜いた瞬間、するりと舌が入り込んできた。
 昨日よりも激しいキスだった。
 息が苦しくて顔をそむけた時、勢い余ったのか足立は耳の後ろから首筋に向かってねっとりと舌を這わせた。
「は……っ」
 背筋を悪寒が這い上がる。同時に下半身が大きく脈打つのがわかった。足立はいつの間にか孝介の片足を踏みつけていた。だけど立ち上がれないのはそのせいだけじゃない。
 胸元に熱い息がかかる。舌先が肌をなぞるたびにおかしな声が洩れてしまう。孝介はあわてて手を口に押し当てたが、結局は我慢出来ずに声を上げていた。
 足立が顔を上げた。こちらを一瞥したあと腕をつかまれ、有無を言わせぬ勢いで唇が重ねられた。抗う気力などとっくに無くなっていた。気が付くと夢中で快楽を追っていた。やっと自由になった時は、しばらくなにが起こったのか理解出来なかった。
 視線に気付いて目を上げると、足立はかすかに笑ってこちらを見ていた。
「顔、真っ赤」
「……っ」
 まだ腕をつかまれている。振りほどきたかったけれど力が入らない。にまにまとおかしそうに笑っていた足立は、不意に下へと視線を移した。
「もしかして君、童貞?」
「…………!!!」
 ミカケダオシ。
「……それが足立さんになんの関係があるんですかっ」
「いや、元気だなぁと思って」
 そう言って足立は手を放し、指先で孝介の股間を撫で上げた。あわててその手を押さえたが、誤魔化しきれない膨らみが確かにそこにあった。
「あーあ。どうすんの、これ? どうやって帰るつもり?」
「ちょ……!」
 ズボンの上からそれを押さえつけられ、孝介は息を呑んだ。ズンと重い快感が爪先にまで走り、あまりのことに我を忘れそうになる。
「なんだったら抜いたげよっか?」
「やめてください……っ」
「そお? 人にしてもらうと気持ちいいよ?」
「……っ!」
 力が抜けて動けない。
 孝介はされるがままだった。ベルトを外され、下着のなかに手が入り込んできた時、陶酔のため息が喉の奥から洩れた。首筋を吸い上げる感触とものをしごく手の動きにめまいがしそうだった。テレビでは消すことの出来ない自分の声が恥ずかしくて、孝介は足立の肩口に顔を伏せ、必死になってその背中にしがみついていた。足立は耳元をねぶりながら孝介の頭を抱き、なだめるように時折髪を梳いた。そうしながらうなじをくすぐり、煽られた快感に孝介は悲鳴を上げた。
「……ぁ……っ、……も、」
 口にするのは恥ずかしく、ひたすら首を振って足立に合図した。
「もうイきそう?」
 終わって欲しい。終わって欲しくない。気持ちいい。でも恥ずかしい。でもやっぱり気持ちいい。
 不意に足立の体が離れていった。逃げ場を失った気分になってすがるように顔を上げると、また口をふさがれた。今度は夢中で舌を絡ませた。足立の手の動きも早くなる。早く終わって欲しい。まだ終わって欲しくない。波のように押し寄せる快感が恐ろしくて孝介はアゴを引いた。その瞬間、
「は……ぁっ、……あ……!」
 一瞬、目の前が真っ白になった。また足立の肩口へと顔を伏せ、痙攣するように身を震わせた。
 そっと頭を抱き寄せられた。慰めるように髪を梳く指が頬に触れた。孝介と同じくらい熱い指先だった。


「ホントにいらないの?」
 足立は廊下の壁に寄りかかり、しつこくも金を振ってみせた。
「いりません」
 ドアを開けながら孝介は言い返した。
「あっそ」
 振り返った時、足立は金をポケットに突っ込んでつまらなそうに頭を掻いていた。孝介の視線に気付くといつものように締まりのない口元でにへらと笑い、
「また遊びにおいでよ」
 そう言って手を振った。
「……」
 孝介は無言で頭を下げると通路に出てドアを閉めた。
 空がオレンジ色に焼けている。
 山の向こうに沈みかかった太陽が、稲羽市の空を焼いていた。
 ――燃えちまえ、こんな町。
 だが歩き出した次の瞬間には、そんなことを考えた自分を恥じていた。そうして、もし俺が生まれてなかったら、またそう考えて、バカバカしさに泣きそうになった。

遊びにおいでよ/2010.11.29


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