玄関になにか大きな荷物が置いてあった。KKはそれを知らずに踏み込んでぶつかり、危うく転びそうになった。KKに腕を取られて歩くMZDは、あひゃひゃひゃひゃとだらしのない笑い声を上げた。
「ちゃんと足元見て歩かないとぉ」
「うるせえ、こんなとこに荷物なんざ置いとくな」
電気も付けていないから、どこからが廊下なのかもよくわからない。壁をまさぐるKKを見た影が、あわてて電気のスイッチを入れてくれた。サンキュ、と呟いて片側の靴を脱ぎかけたとたん、MZDがいきなり全体重をかけて抱きついてきた。バランスを崩したKKは上がりかまちに向こう脛をぶつけ、声にならない悲鳴を上げた。
「KKぇ〜」
もつれるようにして廊下に転がり込んだKKは、必死になってぶつけた脛をこすり続けた。MZDはそんなことなどお構いなしに、酒臭い息を吐きながらキスをしてくる。
「KK好きぃ〜」
「……っつうか、いてぇんだけど」
「好きぃ〜」
「わーったよ! とりあえず靴脱げ、靴」
あーい、と酔っぱらった声で返事をすると、MZDはスニーカーを脱いでぽいぽいとどこかへ放り出した。そのまま立ち上がり、すぐに力が抜けて廊下にへたり込む。
「KK」
「なに」
「なんか、歩けないよ?」
「……」
呆れて見ていると、MZDは廊下に寝転がり、そのまま暑いと言って服を脱ぎ始めた。上着を脱ぎトレーナーを脱ぎ、靴下を放り投げ、ハーフパンツの裾をたくし上げた。そうして、床板に体を押しつけて「気持ちいいー」とうめいている。
「……俺、帰っていいか?」
思わず渋い顔で影に訊いてしまった。影は困った顔でこちらを見返していた。二人は廊下で伸びる物体を見下ろし、同時に深いため息をついた。
店に着いた時からMZDは酔っぱらっていた。なにがあったのかは知らないが、とにかくご機嫌で、容赦がなかった。ところ構わず抱きついてくるし人前でも平気でキスをする。ある程度までは我慢していたが、とうとう耐えきれなくなり従業員用の控室に叩き込んでとっとと寝ちまえとやさしく諭したところ、いきなり「送ってってー」と駄々をこね始めた。
このままグダグダとまとわり付かれるよりはマシかと思い、影と二人でMZDの家へとやって来た。そんな苦労も知らず、件の物体は半裸の泥酔状態で廊下を匍匐前進し始めていた。
「スギー。……スギ居ないのぉー?」
居候の名前を呼ぶが、電気が付いていなかったことからスギが不在なのは確実だ。KKは再びため息をつき、MZDの目の前にしゃがみ込んだ。
「おら、ここまで来いよ」
奴はにかーっと笑って廊下を這い、力の抜けた腕でなんとかKKの首にしがみつくことに成功した。赤ん坊を見守る母親ってのはこんな気分なのだろうかと思いつつ、KKはゆっくりと立ち上がった。
「部屋行くぞ。とっとと寝ろ」
「ふぁーい」
よろけながら階段を上がり、そこ、と示された部屋のドアを開けた。ベッドにMZDの体を放り投げ、毛布を適当にかけてやる。相変わらず締まりのない笑いを浮かべている奴を見下ろして、とりあえずお仕事終了、とみたびため息をつく。
「KK、帰んの?」
ベッドにもたれかかるようにして座り、煙草を吸っていると、MZDが寝ぼけたような声で訊いてきた。
「帰るよ」
「なんでー?」
「明日仕事だし」
「帰っちゃやだー」
そう言って奴は毛布から手を伸ばし、KKのつなぎをつかんだ。KKはもはや言葉もなく見返すばかりだ。
「手、握ってくんなきゃ眠れない」
「……あの世行きがお望みなら、してやらんこともないが」
「っていうか、パンツ脱いでいい?」
「勝手にしろよっ」
MZDは、しかしKKのつなぎを握りしめたまま黙ってこちらをみつめている。KKは部屋にあった灰皿で煙草をもみ消すとMZDの手を取って軽く握り返した。奴は満足そうに笑い、毛布を口元まで引っぱり上げた。
「お前が酔っぱらうなんて、珍しいよな」
「んー?」
たまにはね、と呟いてMZDは笑う。
「手っとり早く憂さを晴らすには酒が一番でしょう」
「……なんかあったのか」
「んー? んー」
質問には答えず、そっと視線をそらした。そうして、
「内緒」
「――帰る」
「駄目ーっ」
どこにそんな力が残っていたのだと思うほどに強く手を引かれた。KKは仕方なく足を止め、酔っ払いを睨みつけながら再び腰を下ろした。
――お前が、今日仕事をしたから。
KKが店に来るのは、だいたい裏稼業を済ませた時だった。前はよく従業員用の控室に置いてあるソファーで眠っていった。倉庫を整理した時に空き部屋を作り、今はそこをKK専用の部屋として置いている。不眠症気味の彼は、多少うるさい方が眠れると言って以前よりも頻繁に店に来てくれるようになった。
そして殺しを終えたあとも相変わらず。
MZDはKKの裏稼業を知っているが、止めることはしない。たまに、いつか捕まって死刑になるよなどと茶化してみるが、そんな上等な死に方出来るわけねぇだろとあっさりかわされてしまう。
自覚があるなら、それでいい。だからなにも言わない。続けるも止めるも本人次第だ。MZDはただ受け入れる。
だけど時折、自分でも抑えようのない感情の塵が集まって小さな球になってMZDのなかで暴れ出す。KKが殺すたびに、塵がひと粒降り積もる。
好きじゃなければ良かったのにと、自分のバカさ加減に呆れて笑う。
「……KK」
「あー?」
KKはすっかりあきらめて床にどっかりと腰を下ろし、手の届く場所に放ってあった雑誌を読んでいた。名前を呼んだままなにも言わないので不思議に思ったのか、「なんだよ」と言いながら振り向いた。
「キスして」
「……」
「そんな怖い顔しちゃやーだー」
握った手をぶらぶらと揺らすと、不意にその手を引かれた。KKは手の甲にそっと唇を触れた。そうして、これで満足かと言いたげにこちらを睨み付け、また雑誌へと視線を落とした。
手を握り直した。嬉しくて、だけどみっともなく笑う顔は見られたくなくて、MZDはあわてて毛布を頭までかぶった。
「俺が寝るまで帰んないでね」
「わーったよ」
「眠くなったらベッド入ってきてもいいからね」
「気が向いたらな」
そっと毛布をどかしてKKの横顔を眺めた。だらしなさ全開の不精髭。疲れたような目元。煙草をくわえたままうつむいている。
「KK」
「なんだよ」
「KK、好き」
「……そりゃどうも」
きししと笑って目を閉じた。握った手が温かい。
「っていうか、ここスギの部屋なんだけどね」
「早く言えよっ」
恋唄/2008.10.22