ある日突然、人生を無理やり終了させられるというのはどういう感じなんだろう、と時々KKは考える。
星の数ほど人間が存在すればその生き様も死に方もまた無数にある筈だ。それらのなかでどれほどの人数が家族や愛する者に看取られて生を終えるのかはわからない。自ら命を絶つ場合もあるだろうし、事故や天災に遭遇することだってある。一人寂しく死ぬことはきっと珍しいことじゃない。
それでもKKは考える。
繁華街で酔っ払いの波にまぎれ、喧騒のなかに沈み込んで目標を追いながら、心の内で問いかける。
――お前は、次の瞬間に自分が死んでいる場面を想像したことがあるか?
俺は今からお前を殺すんだ。俺みたいな若造に突然人生を終了させられる気分はどんなもんなんだ? どんな死に方を思い描いていた?
狙うのはいつも暗がりのなか。気配を殺して風景のなかに溶け込んで、枯れ木のように突っ立って、そうしてKKは地球の人口を一つ減らす。たいしたことじゃない。どうせすぐに新しい奴が産まれてくる。
目標が完全に死んでいることを確かめるとKKは携帯で連絡を入れる。相手はKKが喋り出すまで絶対に口をきかない。
「俺だけど」
『……』
「終わったよ」
『ご苦労さん。明日は九時に原宿の現場な』
「まじっすか。ちょっとは休ませてよ」
『お前が自分で出るって言ったんじゃないか』
電話の向こうで榊のジジィが呑気そうに笑っている。KKは一つ二つ悪態をついて、ジジィにあっさりとかわされながら、わかったよと呟いた。
「じゃあね。おやすみ」
『ああ』
電話を切った瞬間、何故かもう一度ジジィと話をしたいという衝動に駆られる。ジジィでなくてもいい、誰かの声が聞きたい。――仕事を終えたあとはいつもそうだ。脳裏にちらつく死体の無残な死に顔と耳の奥で鳴り続けるサイレンサーのかすかな摩擦音から逃げ出したくてたまらない。顔を知っている誰かと話していなければ、これから無闇に他人をとっ捕まえて問い質してしまいそうになる。
――なぁ、突然人生を終わらせられる気分って、どんなもんなんだ?
俺が手伝ってやるから教えてくれよ――夜はまだ深い。こんな時間に会える人間といえば限られている。
KKは一旦自宅アパートへ向かいかけた足を止めて再び繁華街へと戻る。ゲームセンターでゾンビを撃ちまくったあと、街を抜けて地下鉄へ。
向かう先は、音と光の洪水のなか。
顔見知りの店員が笑顔でKKを出迎えてくれた。
「あいつ、居る?」
「奥に」
フロアへ入る前から深いバスドラムの音が振動となって床を揺らしているのが感じられた。KKはカウンターで酒をもらうと、グラスに口をつけながらフロアのなかをぶらぶらと一周する。鳴り続ける音楽に夢中になっている人々の顔が点滅を繰り返すライトによって一瞬照らされ、また闇へと消えてゆく。
奴はいつもの通り、壁際の定位置でイスに腰をおろしていた。
「こんばんは」
メガネの奥から眠そうな目でMZDが笑いかけてきた。KKは片手を上げて挨拶の代わりとし、隣のイスに座り込んで煙草を取り出した。
「珍しいね」
「……まぁな」
二人はしばらくのあいだ無言でフロアのなかをみつめていた。耳を打つビートに合わせてKKは時折自分の足を叩き、体を揺らし、グラスのなかの酒をゆっくりと片付けてゆく。
「外、寒い?」
音に負けないよう、耳元に顔を近付けてMZDがそう聞いた。KKは、少しな、と返して氷を噛み砕いた。
「なぁ、部屋借りていいか?」
最初からそのつもりでここへ来ていることは、奴にはもうバレバレだ。MZDは小さくうなずいてフロアのなかの暗がりを手で示す。KKはグラスを預けて立ち上がる。足元が揺れているように感じられるのは、多分気のせいだろう。
従業員用の控え室には誰の姿もなかった。KKはまっすぐソファーに向かい、どっかりと腰をおろすと上着を脱いで横になった。靴を履いたままの足を肘掛けに上げて、上着をかぶって目を閉じる。ドア一枚隔てたフロアで鳴り続けるやかましい音楽がまるで子守唄のように心地良い。一人だけど、一人じゃない。胸の内でそう呟くと思わず口元がにやけた。
上着を頭まで引っぱり上げてKKは深いため息をついた。少し寒いと思えるような室温もやがては感じられなくなる。あいつは何時までここに居るんだろう、そう思ったのが覚えている最後の記憶だ。波のように押し寄せるリズムに呑み込まれ、いつの間にか眠っていた。
こんな晩に限って、不思議と幸せな夢を見る。
音楽がうるさいだろうに、何故か彼はドアの開く音で必ず目を醒ます。MZDはソファーで横になったKKにみつめられながら後ろ手で扉を閉めた。騒がしいビートとは無関係に、KKはまるで人形のようにこちらを凝視している。
「寝てなよ」
MZDがそう言ってもKKは返事をしない。ぼんやりと床に視線を落として、きったねぇワックスだなぁとプロ意識を発動させるだけだ。
「超過勤務ご苦労様でした」
「……うっす」
呟いてKKは両足をおろした。MZDはソファーの空き部分に腰をおろして伸び上がった影が不思議そうにKKの姿を見下ろすのに、無言で笑い返した。
この男が裏で殺しをやっていることは知り合ってからしばらくして知った。最初のうちは何度かいさめたこともあったが、ほどなくしてそれが無駄な努力であることをMZDは悟った。
『俺がやらなきゃ、ほかの誰かがやるだけだ』
掃除と同じだよとKKは笑った。結局は誰かのところへ役割が回る。俺はこの仕事で食わせてもらってる、やらない手はないだろ? MZDはなにも答えられなかった。
それ以来彼の仕事についてなにかを言うことをやめた。毎回決まりごとのようにここへやって来るのを、ただ受け入れるだけだ。
KKは人を殺したあと必ずここへ来る。そうして必ずこのソファーで眠る。
いつも少し疲れたような顔でやって来て、部屋を貸してくれとMZDに頼む。酒が欲しい、食い物が欲しい、女が欲しい、音楽が欲しい、静寂が欲しい、安らぎが欲しい、そういった類のことは一切要求しない。ただこの場所に居させてくれ、それしか言わない。
唯一文句を言うのは、MZDがなにも言わずに帰ってしまった時だけだ。お前が帰る時は起こせよ、そう何度も念を押されている。以前それを忘れて一人で帰ってしまったことがあったが、そうすると次に会った時、完全に無視されてしまう。寝ている最中無理に起こすのも気が引けるので、だから結局は朝まで付き合うことになる。MZDはそれが嫌いじゃない。
「明日も仕事?」
「仕事」
「何時から?」
「九時に原宿」
「じゃあ、今日はゆっくり寝れるね」
「うん」
枕いる? と少しおどけたように聞きながら自分の足をポンと叩くと、KKはしばらく考え込んだあとにむっくりと起き上がってMZDの足に頭を乗せた。横向きに体を落ち着かせ、上着をかぶり直してまたぼんやりと床をみつめている。
「寝なよ」
「うん」
「朝になったら起こしてやるからさ」
「うん」
人を殺したあとのKKは、なにかをあきらめざるを得なかった子供のような顔をしている。誰にもどうしようもない現状を前に、愚痴も文句も泣き言さえもこぼさずに、ただじっと目の前の事実をみつめているような、強いあきらめと拒絶を感じる。まるで野生動物が一人きりで怪我を治しているみたいだとMZDはいつも思う。
だからこうして部屋を借りに来る彼をMZDは絶対に拒まない。ここで休んだのちにまた歩き出す気力が得られるなら好きなだけ休めばいい。
「いい夢が見られるといいね」
「……お前が来るまでは、いい夢見てたんだけどな」
「なんだ、そりゃ」
呆れて呟くと、KKが小さく笑う声が聞こえた。
一度だけ髪を梳いてそのまま肩へと手を載せる。KKは少し警戒するようにどこかを凝視していたが、やがて、
「なあ」
「うん?」
「……なんでもない」
目を閉じたKKを影は黙ってみつめている。MZDはそれに微笑を返すと、おやすみ、と言うように唇を動かした。
――おやすみ。
せめて今夜は良い夢を。
扉の向こうでは絶え間なくリズムが続いている。一人ぼっちの大きな子供は静かに呼吸を繰り返している。
突然音楽が止み、ひときわ高い歓声が聞こえてMZDはため息をつく。
扉一枚を隔てただけで、ここは孤独の領域だ。
狭間/2006.01.29