映画はアクション物とSFが好き。コメディーもいいし、恋愛物も悪くない。ホラーはあんまり観たくないけど、一番苦手なのはサスペンス物だ。心理的にドキドキさせられるのって、怖くて堪らない。
 観るのは自宅が多い。映画館の大画面も悪くないけど、実はちょっと疲れるんだ。だからレンタルで好きなの借りて観るのが殆ど。
 飲み物用意してソファーに座って、煙草に火を付けて映像スタート。それからの約二時間、俺はずっと恋人の手を握ってる。
 ――って、ここまで話したらすっごい驚かれた。
「手ぇ握ったまんま?」
「うん」
「映画観てるあいだ、ずっと?」
「うん」
 バイト先の同僚は、紙ナプキンを補充する手を止めて固まっている。あれ、俺なんか変なこと言ったかな。
「……ケイさんとこって、付き合い長いんですよね?」
「んー、まあね。長いよね」
 だから、なんで結婚しないの? なんて、事情を知らない人からはよく訊かれるんだけど。
「ちなみに、どっちからつなぐんですか。やっぱり彼女の方からですか」
「うん、そう」
 俺はにっこりと笑ってうなずいた。
「なんかね、部屋暗くするから怖いみたいでさあ。寄り添って観てるよ」
 同僚は、もう言葉もないって感じで首を振っている。バイト先のイタリアンカフェ。時刻は二十二時に近い。お客さんはカップルが一時間前に入ってきただけだ。そろそろ閉店かな。
「羨ましい話ですねえ。俺んとこなんか付き合ってまだ二年経ってないけど、倦怠期もいいとこですよ」
 ダスターでカウンターを拭きながら同僚がぼやいた。そうして、なにか秘訣とかあるんですかと訊いてくる。
「んー、特にこれと言ってないと思うけど。まあそうやって素直に甘えてくれるのは嬉しいよね。だから俺もついつい」
 そう言ってにっかりと笑うと、同僚は深い深いため息をついた。
「惚れられてるんだなあ、ケイさん。羨ましい」
「えー、そお?」
 困っちゃうなーと笑って頭を掻いた瞬間、いきなり視界が天井を向いた。正確に言うと、膝の後ろを思いっきり蹴られて(膝カックンですね)あわや倒れる寸前、俺はカウンターに両手を付いて振り返った。
 KKが物凄く怖い顔で俺を睨み付けていた。
「――いらっしゃいませ」
 俺は顔を引きつらせながらも慌てて営業スマイルを作る。あいつは真上から俺を睨み付けたまま「一人」と呟いた。
「お好きな席にどうぞ」
 笑って店内を示す俺の顔をじっと睨みながらKKはカウンター席に腰を下ろした。同僚が、なんかやばそうな人じゃないですかと小声でささやくのに首を振り、友達だから大丈夫と答えておいた。
 おしぼりを持っていくと、
「酒」
 煙草の煙を吐き出しながらKKが呟く。
「色々ございますが、なにがよろしいでしょうか」
「一番高い酒」
「……ワインのフルボトルになりますが」
「グラスで一番高い酒。あとピザ」
「…………かしこまりました」
 厨房に戻ってオーダーを告げる声が動揺で震えた。俺は思わず両手をついて世界中に向けて謝りたくなっていた。
 ごめんなさい、大嘘こきました。手ぇ繋ぐの俺の方です。寄り添っちゃうのも俺の方です。甘えちゃうの俺の方です! ってか、なんでそんなにタイミング良く店に来るのよKちゃんってば!
 静かな怒りを漂わせるKKから同僚はわざとらしく視線を逸らしている。そりゃまあ、そうだ。目元は伸びすぎた前髪で隠れているとはいえ、本職の殺し屋さんが全力で殺気を放っているんだもの。
 穏やかだった店内の空気が一変した。楽しそうに笑い声を上げていたカップルは酔いが醒めた顔でひそひそと話し合い、同僚は厨房の方へと避難してしまっていた。
 ……こいつが俺の恋人だって教えたら、みんなどんな反応するのかな。つい白状してしまいそうな誘惑に駆られながら俺は酒の入ったグラスを持っていった。
 KKは紙袋から小さな箱を取り出してカウンターに置いた。グラスを置く俺の方をちらりと見て、「新入り」と呟く。
「なに買ったの」
 KKは無言で包装を解いた。なかから引っ張り出されたのは、透明で四角い、小さなグラス。でもなにかを入れて飲むには少し小さい気がした。家にある食器の類とも合わなさそうなんだけど。
 そう思ってKKを見ると、「本体はうちに居る」とまた呟いた。
「――なに買ったの!?」
「……」
 KKは煙草の煙を吐くばかりでなにも答えない。だけど、俺にはわかる。わかっちゃう。今のKちゃん、すっごい上機嫌だ。きっと目の前のこのグラスに正体不明な「本体」が入った様を想像して、無上の喜びに浸っているに違いない。
 これでまた、しばらくは放っておかれるんだ。そう思うとちょっと悲しくなってきた。厨房からピザ上がったよと声がかかったけど、取りに行く気力が一気に失せた。自分でもわかるぐらい不機嫌な表情になって料理を受け取り、またカウンターへ戻った。
「ごゆっくりどうぞ」
 棒読みで皿を置き戻ろうとした俺に、KKが声をかけた。
「仕事、何時までだ」
「……十一時前には上がれると思うけど」
 あいつは少しだけ考えてから、待っててもいいか、なんて訊いてきた。
 ――あのさKちゃん。なんで俺が嫌だとか答えると思ってんのよ!


 エレベーターが動き出したとたん、俺はKKの首を抱き寄せて唇を押し付けた。
「えへへー」
「……なんだよ」
 俺はニヤニヤ笑いながら、なんでもなーいと答えた。あんまり二人一緒に出かけることがないから、こんな風に待ち合わせして帰るだけでも、なんとなくデート気分になれるのが嬉しくてたまらない。
 エレベーターを降りた俺は先に立って歩き出した。鍵を開けて、いつもの癖でただいまと言いながら電気を点ける。マフラーを外し、居間の電気を点けた瞬間。
 テーブルの上に、そいつを発見した。例の四角いグラスに納まるご予定の「本体」。
 背後を振り返ると、KKはうっとりとした表情で奴をみつめていた。上着も脱がないままテーブルの前へ行き、荷物を置いて床に座り込む。そうしてそっと手を伸ばすと、固い緑の体に指を触れた。
 ちなみに言っておくけど、Kちゃんは本当に無表情な人だ。怒ってる時はともかく、ちょっと機嫌がいいとか困ってるとか、ましてや、あぁ今すっごく幸せなのね、とか、そんな微妙な差がわかるのは多分世界中でも俺しか居ない。それだけ長く深く付き合ってきたってことで、ある意味幸せなことなんだろうけど。
 でも。
 わかっちゃうからこそ口惜しくてたまらない。ねえKちゃん。なに、その満足そうな顔。しかもサボテン相手にさあ!
 今俺の目には、KKがピンク色のオーラに包まれているように見えた。幸せなんだろうなあとは思うものの、一緒になって喜んであげる気にはなれなかった。
 こっそりとため息をついてから部屋の暖房を入れ、座り込んだまま動かないKKのマフラーを取ってやった。
「どこで買ってきたん?」
 そう訊くと、あいつは駅ひとつ向こうの商店街の名前を上げた。それから色が着いた砂の入ったビニール袋を指し示す。最後に器だけ気に入った物がみつからなくて、延々探し回ったのだと教えてくれた。
 俺は呆れるしかない。なんでそんなことに情熱を傾けられるんだろう? まだ気に入ったシャツとか靴がみつからなくて丸一日潰すっていうのならわかるけどさあ。
 まあ、呆れながらもそれがKちゃんだ。俺はそんなKちゃんが好きなのだ。
「コーヒー飲む?」
 上着を脱がせながら訊くと、ようやく俺という存在を思い出したように顔を上げた。そうして、俺が入れるから着替えてこいと言って台所に向かってしまった。
 照れてる。かっわいいの。
 お言葉に甘え、部屋着に着替えて居間へ戻ると、例のサボテンの姿が消えていた。もしやと思って台所へ行ってみたらば。
 コーヒーが出来上がるのを待ちながら、あいつは棚にサボテンの鉢を置いてうっとりと眺めていた。
 …………俺、サボテンに負けたってことでいいのかな。


愛はどこで売ってますか/2008.11.24


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