スマイルはだいたい言葉よりも表情が先に出る。本人は隠しているつもりなのかも知れないが、その微妙な感情の変化は、よく観察していると案外簡単に見分けられるようになる。――というのが、佐久間が最近知ったことだ。
 今も、せっかくグラスに注いでやった緑茶を一口飲んだまま、なにやら苦い顔つきだった。
「あんだよ」
 佐久間が聞いても、スマイルは口をつぐんだままだ。うつむきがちになって口のなかでなにやら舌を動かしている。
「…アクマ、これちゃんと洗った?」
 そう言いながらグラスの中身をのぞいている。
「あたりめぇだろ」
 長いあいだ食器カゴのなかに入れっ放しではあったが、ちゃんと洗ってはある。
「ゴミ入ってた」
 スマイルは言いながら口のなかに指を突っ込んで舌を探る。そうしてなにかをつまみ出す仕種をするが、なかなか思うように取れないようだった。しまいには、
「アクマ、取って」
 そう言って佐久間に向かって舌を差し出す始末だ。
「んなもん、飲み込んじまえ」
「やだよ、気持ち悪い」
「ったく、ガキじゃあるまいし…」
 佐久間は小さく舌打ちをして、それでも不承不承スマイルの口のなかをのぞき込みながら指を伸ばした。
「見えねえんだ、上向け」
 まるで歯科検診のように、佐久間はスマイルの口のなかをじっとみつめる。ピンク色の、意外に大きな舌が佐久間の目の前にあるが、そのどこにもゴミなど見えない。
「ねえぞ」
 言われてスマイルは舌をしまいこみ、またもごもごと口のなかで動かした。
「あるよ。左の方」
「…これか?」
 ゴミらしきものが見えて佐久間は指を伸ばす。が、唾液で滑って思うようにつかめない。二度三度と挑戦するうちに、不意に佐久間の指をくわえるようにしてスマイルが口をつぐんでしまった。
「…お前な」
「…よだれが…」
 ずっと口を開けっ放しだったせいで唾液が溜まってしまったらしい。スマイルは佐久間の人差し指をくわえたまま顔を上に向け、そうして伏し目がちにそっと喉を鳴らす。
 実際やってみるとわかるのだが、歯を噛みしめないでなにかを飲み込むのは意外と難しい。だから佐久間の指を口から放せばいいのだが、何故かスマイルはくわえたまま唾を呑み込もうと奮闘している。
 ――こいつ、ホントにバカかも。
 自分の指をくわえたまま、ひどく真面目そうな顔つきで一生懸命唾を飲み込むスマイルの姿は、本人が真剣なだけにいっそうおかしかった。佐久間はわずかに笑いを洩らしながら、静かにスマイルの準備が整うのを待った。
 時折スマイルの舌が指を舐めるように動くのが、くすぐったくてたまらない。
 準備が整うあいだ、佐久間は無意識のうちにスマイルの顔を眺めている。わずかにまぶたを伏せて、かすかに眉間に皺を寄せているその表情は、男の癖にひどく色っぽく見えてしまうから不思議だ。
 呼吸の為にスマイルが一度大きく口を開けた時、佐久間はわざと奥まで指を突っ込んだ。一瞬スマイルは困惑の表情を見せたが、それでも珍しく素直に指をくわえ、そのまま舌で舐め回す。
「唇にも快感があるんだってよ」
 佐久間はにやにや笑いながらそう言った。
「口でなにかしゃぶるのは、気持ちいいんだと」
 微妙にスマイルが嫌そうな顔をする。それでも指を舐めながら時折ため息をつくように息を吐き出す姿は、佐久間の言説が間違いでないことを示していた。
 やがて佐久間はお預けを食らわせるようにスマイルの口から指を引き抜き、一度自分の舌でねぶってみせる。スマイルはなにも言わずにその姿を眺めている。そのままスマイルの首の後ろをつかんで引き寄せ、唇を重ねた。メガネがなるべくぶつからないように角度を取りながら互いに舌を絡ませ、
「ん…っ」
 時折、痙攣するようにスマイルが体を震わせるのを、薄目で眺めて楽しんだ。
 二人のキスは、不思議といつまで経っても慣れそうにない。スマイルはいつも困惑したような表情を崩さず、それでも、すがるように佐久間の腕にしがみつく力はひどく強い。変な奴だと佐久間は思う。
 唇を離し、スマイルが目を開けてこちらを見る瞬間が、佐久間は好きだった。それは普段では絶対に見られない絶妙な表情で、まあ言ってみればひどくそそられるものがある。いつもだったらこのままふとんに押し倒したりなんぞもするのだが、
「……?」
 佐久間はふと伸ばしかけた手を口に当てた。そうしてもごもごと舌を動かしながらスマイルを睨みつける。
「テメー…ゴミ、こっちに寄越しやがったな」
「偶然だよ」
 そう言ってスマイルはにやにやと笑う。佐久間は腹を立ててスマイルの髪の毛をつかみ、乱暴に自分のあぐらを掻いている足の上に引き倒した。性懲りもなくスマイルはまだ笑っている。佐久間の手から逃れ、不意に顔を近付けてきて、
「なんだったら、返品する?」
「おお、突っ返してやらぁ」
 そうして二人はまた唇を重ねた。
 表情が読めたところで、スマイルの気まぐれ具合は、全然はかれそうにない。


玉虫色の君/2004.06.05


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