佐久間の部屋は相変わらず風通しが悪い。窓を全開にしているのにそよとも風は入り込んでこない。夏の盛りを過ぎたとはいえ、それでもまだまだ残暑は厳しい。
「……っ」
思わず声を上げそうになり、スマイルはあわてて唇を噛みしめる。壁に背をもたれるようにして床に座り込みながら、ただぼんやりと、目立つもののない部屋のなかに視線をさまよわせる。
中途半端に脱がされたズボンが足にまとわりついて気持ち悪かった。
佐久間はさっきから舌でスマイルのものをあおり続けている。その恍惚とした感じと、暑さに思考能力の大半を奪われてしまっている。時折自分の体が痙攣するように震え、壁に頭がぶつかる感触でスマイルは我に返る。
それが快感なのだとは、意地でも認めたくなかった。
九月に入り、大学の夏休みもそろそろ終わりが見えてきた。相変わらず暇を持て余す毎日で、人間、暇があるとろくなことを考えない。夕飯の買い物に出た筈だったのに、蒸し暑い空気のなかでふと酒屋の脇を通りかかった時、何故か無性に酒が飲みたくなった。そんなことは珍しかったのでついそのまま酒屋に入ってしまい、ビールの六缶パックとつまみを買い込んだ。
買い込んだはいいが、一人で全部飲みたいと思うわけではなかった。だったら買わなければいいだけの話なのだが、買ってしまったものはどうしようもない。今更これを冷蔵庫の肥やしにするのももったいない――せっかくキンキンに冷えているのに。
そうして何故かぶらりと佐久間のアパートへやってきてしまったのだった。ビールは少しぬるくなっていた。
突然の訪問に難色を示しながらも佐久間は部屋に上げてくれた。ヤニ臭い部屋で互いに言葉少なにビールを飲んでいた筈なのに、気が付いたらこんなことになっていた。
佐久間の舌の動きは止まらない。スマイルは半開きの口からよだれがこぼれ落ちそうになり、またあわてて唇を噛んだ。
息を呑み、熱い息を吐き、無意識のうちに握っている佐久間の腕に力を込める。
「あ……や…っ」
ふと敏感な場所を責められて、スマイルは小さく首を振った。
「やだ…っ」
熱を吐き出してしまいそうになり、あわてて佐久間の肩を強く揺さぶった。自分の口が発する甘えたような声に愕然としながらも、かなり切羽詰った状況に居る為に余計なことはなにも考えられない。暑い空気のなかで必要以上に体温を上げ、しきりに流れ落ちる汗を、ただ気持ちが悪いと思っている。
佐久間の動きが止まった。スマイルは安堵とも落胆とも付かないため息を吐き出して天井を見上げた。自分の乱れた呼吸が恥ずかしくてたまらず、あえぐように深呼吸を繰り返す。
ふと、ものから佐久間の舌が離れ、その代わりに手が触れた。見ると恍惚の表情で、かすかに笑いながら佐久間がこちらをみつめていた。
「…見るなよ」
顔をそむけた時、不意に佐久間の手が動き出した。スマイルは息を詰めてまた佐久間の腕にしがみつき、嫌々をするように首を振った。
「やめ――、や…ぁっ」
佐久間の手の動きはひどく緩慢で、張り詰めたものに快楽を与えながらもひどくじれったく、最後までは到達出来そうにない。目の端に涙をにじませて思わずすがるような目をしてしまい、そんな自分が嫌で、スマイルは意地で目をそらした。
――なんでこんなことしてるんだ。
逃げない自分が不思議で仕方ない。
唇を噛みしめたままそっぽを向くが、不意にあごをつかまれて正面を向かされた。そうして口をふさがれた。
絡み合う舌の感触がひどく気持ちいい。体の芯だけでは得られない快感を求めるようにスマイルは夢中になって佐久間の舌を吸い、腕にしがみつき、せがむように甘い悲鳴を洩らす。自分がなにをしているのか、もうあまり自覚はなかった。熱い息を吐き出しながら互いを味わい、とにかく楽になりたいとそれだけを思っていた。
わずかに残る理性が佐久間の視線に気付いた。もどかしげに佐久間の手を振り払い、
「見るな、ってば…っ」
何故か佐久間は寂しそうに笑っている。目だけをちろりと動かして、そういえば前もこんな顔してたなとスマイルは思った。スイカを持ってきた時――まだ先月の話だ――。
「…すまねぇな」
ふとそう呟いた。わけがわからなくてじっと佐久間の顔を見返した時、
「ペコじゃなくってよ」
そう言って、乱暴に押し倒された。
歯を食いしばりながらも、我慢出来ずに時折声が洩れてしまう。体を貫く佐久間の熱の感触にただスマイルは首を振り続けている。それが快楽の為なのか嫌悪の為なのかは自分でもよくわからない。ただ痛みが悪寒として背筋を這い上がり、そうしながらも体の奥は熱く、必死になって佐久間の首にしがみつくだけだ。
涙ぐんだ目が、佐久間のこちらを見下ろす視線とぶつかる。その目は相変わらずどこか寂しそうで、
――なんでそんな顔するんだ。
ペコじゃないのはわかりきってることなのに。
佐久間は何故か恥じたように視線をそらせ、深く突き上げてくる。言葉もなく互いの熱だけを感じながら、早く終わってくれないかと、自分の体であるのにまるで他人事のように思っていた。
『すまねぇな』
耳の奥に佐久間の呟きが残っている。何故そんなことを言うのかスマイルにわかる筈もない。そうして快楽の波に身をゆだねながら、ぼんやりと、
――それはこっちの台詞じゃないのか。
そう思った。
扇風機の生温い風は、それでも心地良かった。ふとんに寝転がってスマイルは天井を見上げ、流れてゆく煙草の煙の行方を目で追っている。
「ん」
不意に佐久間がビールの缶をよこした。スマイルは受け取って体を起こし、一口二口飲み干したあと、すぐに返してしまう。
そうしてまたふとんに横になった。
佐久間はこちらに背を向けるようにしてテーブルに着いている。天井の方を向いて煙を吐き出し、煙草をもみ消した。
「アクマ」
スマイルは不意に佐久間の腕を引いた。「あ?」と怪訝そうな顔で振り返った佐久間の腕を更に引き、
「…なんだよ」
「いいから」
自分の体の上に覆いかぶせるようにして抱き寄せた。佐久間は戸惑ったようにスマイルの頭の両脇に腕を置き、かすかにそっぽを向いた。
スマイルはその耳元に口を寄せて、
――ごめんね、ペコじゃなくて。
そう言おうとして、何故か言葉が喉に詰まる。
佐久間のむき出しの肩がかすかに汗ばんでいるのをみつめながら、結局なにも言えないまま、スマイルはその背中に抱きついた。
「…あちぃな」
まるで他人事のように佐久間が呟いた。
「エアコン買いなよ」
「んな金あるか」
そう言って苦笑し、やがて、ためらいがちにスマイルの髪を指で梳き始めた。
「お前買ってくれよ」
「僕だってないよ、そんなお金」
「やだねぇ、貧乏は」
「ホントにね」
二人は小さく笑いあう。
佐久間がわずかに顔を上げた。スマイルも振り向き、こちらを見る佐久間の視線を捉えて、不意に目を伏せた。唇が重ねられ、何度か口付けを交わし、そのまま二人は何事もなかったかのように静かに抱き合った。
「…あちぃなあ」
「うん」
「……」
「うん…」
すれ違い/2004.06.22